青いチェリーは熟れることを知らない①
「……? 瑞貴センパイ今なんて……」
「ん? 俺なんか言ったか? あ……あそこさ、冷麺うまいんだぜ! 今度はふたりで来ような!」
少年のような笑顔で微笑まれ、"今度はふたりで"という言葉を頂戴したちえりは思わず赤くなってしまう。
「は、はいっ!!」
瑞貴の日常に自分が居ることが当たり前になりつつあることが会話の内容からじんわり伝わってくる。この何気ない瑞貴の言葉はふたりの関係がこれからも続いていくのだと囁いてくれているように聞こえた。
歓迎会の席でのことは、すでに悩みの内に入らなくなっていたちえりは笑い合いながら瑞貴と通りを歩き、彼の指さす先にあるガラス張りの洒落た雑貨店へと入った。
吹き抜けの小高い天井には上品なシャンデリアが光を放ち、飾られている食器類はきれいに磨かれ、照明を浴びたその姿は輝かんばかりの煌きを纏っている。
「うわぁ! すごく素敵なお店! 全部見てまわるのに三日くらいかかっちゃいそう!」
「そうだな。上の階には家具とかも置いてあるみたいだから、次の休みにでもゆっくり来ような」
瑞貴は入口の"店内案内"を見ながら柔らかく微笑む。そんな王子スマイルを見られただけでもう大満足なのだが、激しく頷くちえりに瑞貴はさらなるご褒美とも言えるとっておきの言葉を添えてくれた。
「せっかくだからお揃いにするか?」
「え……いいんです、か……?」
「あ、でも全く同じだとわかんなくなるから色違いとかがいいかー」
(きゃぁああっ!! 瑞貴センパイとのペアの食器だなんて、もうカップルだべ! ちがうっっ!? や、やだっ!! 嬉しい……っ……どうすっぺ!!)
「な、なんなら同じでもっっ!!」
鼻息荒く、謹んで申し出るちえりに「相変わらず面白いな、チェリーは!」と笑いを堪える瑞貴の心情を詳しく知りたい、とちえりは思った。
(ハハ……、これは本気で感情をぶつけても"面白い"で終わってしまう、恋愛ゲームでいうバッドエンドになりかねない予感!!)
キュンとなる胸と複雑な感情が入り混じる頭だが、ちえりのそれは人よりも単純にできているため、目の前にぶら下がった王子の笑みに簡単に絆されてしまう。
並んで二人分のお揃いの茶碗とお椀、そして箸やカップを見てまわっていると、突如瑞貴が嬉しそうに声をあげた。
「チェリー! これタマっぽくないかっ!?」
はしゃぐ瑞貴が持ってきたのは、ちえりの実家の愛犬・タマと同じようなシルエットの黒い犬がワンポイントの可愛らしい、あたたかみのあるクリーム色を基調とした茶碗だった。
「ほんと! タマみたい!!」
しっかり瑞貴の手に収まっているペアの茶碗を見比べると、ひとつは赤い蝶ネクタイをした犬。そしてもうひとつは赤いリボンを片耳の根本につけた犬が描かれており、一目惚れしたふたりは数秒と待たずにそれで合わせることに決めた。
「そういえばセンパイ、さっき慌てて買ってたのってなんですか?」
ショップオリジナルの愛らしい手提げバッグを二つと、小さなバッグを一つ手にした瑞貴の顔を見上げて尋ねる。
「んー、いまは内緒。喜んでくれるといいけど……好みがわかんなくてさ。まあ、俺の自己満足みたいなものかな?」
(あ、もしかして真琴にかな? もうすぐ誕生日だもんね……)
桜田家にお邪魔するたび顔をそろえて出迎えてくれた仲の良い兄妹。一人っ子のちえりをまるで妹のように受け入れてくれ、誕生日もクリスマスも本当の家族のように共に過ごした。
そして瑞貴が離れてしまってからは真琴とふたりきりで祝っていたのだが、今は彼女だけが遠く離れてしまった。
(私も真琴の誕生日にはきっと帰れない。せめてプレゼントだけでも渡したいな……)
「瑞貴センパイが選んでくれたものですし、きっと喜んでくれますよ」
「ん、チェリーがそう言ってくれるなら俺も安心だ」
買い物が思いのほか楽しかったせいか、仕事疲れも見せずに話題の尽きないふたり。途中、瑞貴が「タクシー呼ぼうか?」と気を使ってくれたが、この幸せな時間をだれかに邪魔されたくないちえりは首を横に振って「楽しいからこのまま歩きましょう!」と、弾むように歩き続けた。
「そうだな、俺も楽しいよ」
学生時代に戻ったかのような語り口に、離れていた時間を感じさせないふたりの距離。
いつまでもこの時間が続けばいいと、ゆったりしたペースで歩いていたが、案外早く社宅が見えて。部屋についたのは二十二時をすこし過ぎたころだった。
「私、お洗濯しながらお風呂洗ってきますね」
「ありがとな」
「いいえ、私こそ何から何まで……」
先ほど購入した食器類すべて、またも瑞貴が代金を支払ってくれたのだ。そして大げさかもしれないが東京に来てからというもの、ちえりは一日に千円以上の出費をしたことがない。
「それは言わない約束だろ?」
「あ……」
着替え終えた瑞貴に諭すように顔を覗き込まれ、素直に頷いたちえりの頭をよしよしと撫でる手がやさしい。
(そうだった……だから私は自分が出来ることを一生懸命やらなきゃ!)
「センパイは休んでいてくださいねっ」と、部屋着に着替えて腕まくりしながらバスルームへと向かったちえり。
最新式洗濯器をなんとなく操作しながら風呂を洗い始める。
「よし、あとはお湯を入れてと……」
ひと段落してリビングへ戻ると、ソファへ腰掛けた瑞貴がなにかに夢中になっている姿を見つける。
「瑞貴センパイ?」
首を傾げながら手元を覗き込むと、先ほど購入してきた茶碗たちの値札をはがしているのが見えた。
「明日から使おうと思ってさ」
「そうですね、タイミング逃すといつまでも使わずに置いてしまいますもんね」
彼の隣りに座ったちえりも一緒にシールをはがし始める。ひとりではとても地味でつまらない作業も、瑞貴と一緒にやるととても楽しいし、嬉しかった。
(明日の朝からお揃いの茶碗でごはん食べられるんだ……)
期待しかなかったこのとき。
いま思えばこの日までが一番楽しかったかもしれない――。
「ん? 俺なんか言ったか? あ……あそこさ、冷麺うまいんだぜ! 今度はふたりで来ような!」
少年のような笑顔で微笑まれ、"今度はふたりで"という言葉を頂戴したちえりは思わず赤くなってしまう。
「は、はいっ!!」
瑞貴の日常に自分が居ることが当たり前になりつつあることが会話の内容からじんわり伝わってくる。この何気ない瑞貴の言葉はふたりの関係がこれからも続いていくのだと囁いてくれているように聞こえた。
歓迎会の席でのことは、すでに悩みの内に入らなくなっていたちえりは笑い合いながら瑞貴と通りを歩き、彼の指さす先にあるガラス張りの洒落た雑貨店へと入った。
吹き抜けの小高い天井には上品なシャンデリアが光を放ち、飾られている食器類はきれいに磨かれ、照明を浴びたその姿は輝かんばかりの煌きを纏っている。
「うわぁ! すごく素敵なお店! 全部見てまわるのに三日くらいかかっちゃいそう!」
「そうだな。上の階には家具とかも置いてあるみたいだから、次の休みにでもゆっくり来ような」
瑞貴は入口の"店内案内"を見ながら柔らかく微笑む。そんな王子スマイルを見られただけでもう大満足なのだが、激しく頷くちえりに瑞貴はさらなるご褒美とも言えるとっておきの言葉を添えてくれた。
「せっかくだからお揃いにするか?」
「え……いいんです、か……?」
「あ、でも全く同じだとわかんなくなるから色違いとかがいいかー」
(きゃぁああっ!! 瑞貴センパイとのペアの食器だなんて、もうカップルだべ! ちがうっっ!? や、やだっ!! 嬉しい……っ……どうすっぺ!!)
「な、なんなら同じでもっっ!!」
鼻息荒く、謹んで申し出るちえりに「相変わらず面白いな、チェリーは!」と笑いを堪える瑞貴の心情を詳しく知りたい、とちえりは思った。
(ハハ……、これは本気で感情をぶつけても"面白い"で終わってしまう、恋愛ゲームでいうバッドエンドになりかねない予感!!)
キュンとなる胸と複雑な感情が入り混じる頭だが、ちえりのそれは人よりも単純にできているため、目の前にぶら下がった王子の笑みに簡単に絆されてしまう。
並んで二人分のお揃いの茶碗とお椀、そして箸やカップを見てまわっていると、突如瑞貴が嬉しそうに声をあげた。
「チェリー! これタマっぽくないかっ!?」
はしゃぐ瑞貴が持ってきたのは、ちえりの実家の愛犬・タマと同じようなシルエットの黒い犬がワンポイントの可愛らしい、あたたかみのあるクリーム色を基調とした茶碗だった。
「ほんと! タマみたい!!」
しっかり瑞貴の手に収まっているペアの茶碗を見比べると、ひとつは赤い蝶ネクタイをした犬。そしてもうひとつは赤いリボンを片耳の根本につけた犬が描かれており、一目惚れしたふたりは数秒と待たずにそれで合わせることに決めた。
「そういえばセンパイ、さっき慌てて買ってたのってなんですか?」
ショップオリジナルの愛らしい手提げバッグを二つと、小さなバッグを一つ手にした瑞貴の顔を見上げて尋ねる。
「んー、いまは内緒。喜んでくれるといいけど……好みがわかんなくてさ。まあ、俺の自己満足みたいなものかな?」
(あ、もしかして真琴にかな? もうすぐ誕生日だもんね……)
桜田家にお邪魔するたび顔をそろえて出迎えてくれた仲の良い兄妹。一人っ子のちえりをまるで妹のように受け入れてくれ、誕生日もクリスマスも本当の家族のように共に過ごした。
そして瑞貴が離れてしまってからは真琴とふたりきりで祝っていたのだが、今は彼女だけが遠く離れてしまった。
(私も真琴の誕生日にはきっと帰れない。せめてプレゼントだけでも渡したいな……)
「瑞貴センパイが選んでくれたものですし、きっと喜んでくれますよ」
「ん、チェリーがそう言ってくれるなら俺も安心だ」
買い物が思いのほか楽しかったせいか、仕事疲れも見せずに話題の尽きないふたり。途中、瑞貴が「タクシー呼ぼうか?」と気を使ってくれたが、この幸せな時間をだれかに邪魔されたくないちえりは首を横に振って「楽しいからこのまま歩きましょう!」と、弾むように歩き続けた。
「そうだな、俺も楽しいよ」
学生時代に戻ったかのような語り口に、離れていた時間を感じさせないふたりの距離。
いつまでもこの時間が続けばいいと、ゆったりしたペースで歩いていたが、案外早く社宅が見えて。部屋についたのは二十二時をすこし過ぎたころだった。
「私、お洗濯しながらお風呂洗ってきますね」
「ありがとな」
「いいえ、私こそ何から何まで……」
先ほど購入した食器類すべて、またも瑞貴が代金を支払ってくれたのだ。そして大げさかもしれないが東京に来てからというもの、ちえりは一日に千円以上の出費をしたことがない。
「それは言わない約束だろ?」
「あ……」
着替え終えた瑞貴に諭すように顔を覗き込まれ、素直に頷いたちえりの頭をよしよしと撫でる手がやさしい。
(そうだった……だから私は自分が出来ることを一生懸命やらなきゃ!)
「センパイは休んでいてくださいねっ」と、部屋着に着替えて腕まくりしながらバスルームへと向かったちえり。
最新式洗濯器をなんとなく操作しながら風呂を洗い始める。
「よし、あとはお湯を入れてと……」
ひと段落してリビングへ戻ると、ソファへ腰掛けた瑞貴がなにかに夢中になっている姿を見つける。
「瑞貴センパイ?」
首を傾げながら手元を覗き込むと、先ほど購入してきた茶碗たちの値札をはがしているのが見えた。
「明日から使おうと思ってさ」
「そうですね、タイミング逃すといつまでも使わずに置いてしまいますもんね」
彼の隣りに座ったちえりも一緒にシールをはがし始める。ひとりではとても地味でつまらない作業も、瑞貴と一緒にやるととても楽しいし、嬉しかった。
(明日の朝からお揃いの茶碗でごはん食べられるんだ……)
期待しかなかったこのとき。
いま思えばこの日までが一番楽しかったかもしれない――。