青いチェリーは熟れることを知らない①
チェリー、真琴・兄に救われる?
若葉ちえりという人物のポテンシャルの低さに精通している桜田瑞貴に嘘は通じない。
正直にここに至るまでの浅はかな経緯を打ち明けると、瑞貴は少し考えて。
「へぇ……理由はどうであれ、ちゃんと仕事する気になったんなら偉い偉いっ」
彼の仕事が終わってから食事をしようということになり、昭和臭の漂う居酒屋に入ったふたり。
瑞貴は透き通るジョッキを一気に傾けると喉を鳴らしながら息つく間もなく飲み干していく。
「うん! 仕事後のビールはうまいっ」
「チェリーももっと飲めよ? グレープフルーツジュースだっけ?」
「はいっ!」
上着を脱いて両腕のワイシャツをたくし上げ、胡坐(あぐ)をかいた瑞貴は"久しぶりだなっ! 元気そうでなにより!"を何度も繰り返しながらちえりの肩をトントン叩く。
「おじさんもおばさんも元気か? それとタマも!」
幼馴染で家族のように育ってきたのだから、互いの家に変化はないかと気になるだけかもしれないけれど、家族のことまで気にかけてくれる瑞貴に胸が熱くなる。そして雑種のタマのことを覚えてくれているのがまた嬉しい。
「父も母も元気ですよ! タマは今朝、あ……真琴は今月の初めころに会いました」
瑞貴はまたも"そうかそうか!!"を繰り返しながら今度は私の頭を撫でた。
「俺はチェリーが元気なのが一番嬉しいよ」
色素の薄い優しげな目元がさらに柔らかく笑み、その微笑みが昔とこれっぽっちも変わっていないことに胸がキュンと鳴る。
「……私も、瑞貴センパイが元気で良かったです……」
眠っていたはずの、ほのかな想いがビールの泡のように心を満たす。
いつまでも見つめて居たいけれど……でも、それが一方的な想いであることはわかっている。
視線が絡むふたりの間に流れた一瞬の沈黙。
「……」
「…………」
すると、それを振り払うように話題を変えたのは瑞貴だった。
「……で? うちの求人見て面接に来たって?」
「……あ、そうなんです……"急募! 初心者歓迎! 正社員には社宅完備!"が物凄く魅力的で……」
「……んー、ちょっと前なら初心者歓迎もあながち満更でもなかったんだけどな……」
「え? あれってウソなんですかっ?」
この就職難の時代、世の中そんなに甘くない……考えれば当然だ。
あまりの恥ずかしさにおかしな汗が顔中から噴き出してくる。
「そういうと聞きが悪いか。でも、あれだけ人数いるんだから篩(ふる)いにかけられて当たり前っていうかな……専門用語が全然通じないのは流石に対象外っていうか……」
「……ガーン……」
すでに仕事を辞めてきた自分に戻る場所はない。やはり自宅警備員になるしかっ……と、涙目になっていると――……
「ぶはっ! チェリーホント変わってないなー! ガーンを効果音として口に出すやつはうちの会社にいないぞ?」
華奢な身を"くの字"にして抱腹絶倒している瑞貴に目が点になる。
「え、そうなの? 東京おそるべし……」
楽に面接パスして、次に悩むのは新居のこと! なんてのはすべて妄想に過ぎなかった。しかし、不合格とわかっていながらも謝礼として交通費を出してもらえたのは本当にありがたい。
"瑞貴センパイにも会えたし、あとはちょっとの負担で街ブラ出来るかも……"と、今日の悪夢はすっかり記憶の彼方へ追いやり、チェリーの頭は東京を去る前の観光へと早くも切り替わっていた。
「なぁチェリー……本気で働きたいなら正社員じゃないけどやってみるか?」
「…………へ?」
予想外の言葉が耳から脳へと到達するまでの三秒間。
聞き間違いかと思い目を丸くするが、フフンと胸を張った瑞貴は真琴とそっくりな動作で手羽先にかぶりつき、ポケットから覗かせた"リーダー"プレートを誇らしげに指差しているのだからやはり妄想が生んだ幻聴などではないことは確かだった。
「は、ははーっ!! リーダー様様っっっ!!!」
それから二時間後、すでに宿をとっていたちえりはビジネスホテルへと戻る。
『上まで話が行くのにそんなに時間かかんないから、実家に電話して送ってもらえよ?』
心強い瑞貴の言葉に何度励まされただろう。
居酒屋での別れ際に言ってくれた言葉が"不合格"という不吉な文字を跡形もなく消し去ってくれる。
「……瑞貴センパイ、やっぱり私の王子様……」
変わらない瑞貴の笑顔と優しさを噛みしめながら浸っていると、真琴の部屋で共に受験勉強に明け暮れていた時のことを思い出す。
『あ゙~も゙~だめ~~~!!!』
諦めの早いちえりは高校受験まで残り一週間となったこの日も頭を抱え、一向に覚えられない数式を前に悶絶していた。
すると、ベッドで漫画本を読んでいた高三の瑞貴が上体を起こした。
『んー? またチェリーは難しいとこからやろうとしてんのか? こんなの基本できたら簡単だって』
上から覗き込むようにちえりの問題集を眺めた短髪の瑞貴。
逆光になった彼の顔はとても落ち着いて見えて、まるで少女漫画に出てくる理想の彼氏象だった。
『瑞貴センパイィ……今から基本やってたんじゃ応用は解けないですよぉ……っグス……』
『おいおい、その発想はどこから来るんだ? 物事に近道なんて例外以外ありえない! 基本を知ってるやつのミスは最小限に留まるんだぞ? いいか? ここは……』
『……うっ、はい……』
子供ながらも瑞貴の言ってることがジン……と心に重くのしかかる。
先生や両親、もしかしたら真琴に言われるよりも素直に聞ける自分に驚いた。その彼のご教授あって、ちえりは低いながらも第一志望の高校へ入学することができ、それなりに高校生活を謳歌することができた。
内面、容姿ともに群を抜いて優秀な桜田瑞貴は、まさに若葉ちえりの"生き字引"である。と言えるだろう。
正直にここに至るまでの浅はかな経緯を打ち明けると、瑞貴は少し考えて。
「へぇ……理由はどうであれ、ちゃんと仕事する気になったんなら偉い偉いっ」
彼の仕事が終わってから食事をしようということになり、昭和臭の漂う居酒屋に入ったふたり。
瑞貴は透き通るジョッキを一気に傾けると喉を鳴らしながら息つく間もなく飲み干していく。
「うん! 仕事後のビールはうまいっ」
「チェリーももっと飲めよ? グレープフルーツジュースだっけ?」
「はいっ!」
上着を脱いて両腕のワイシャツをたくし上げ、胡坐(あぐ)をかいた瑞貴は"久しぶりだなっ! 元気そうでなにより!"を何度も繰り返しながらちえりの肩をトントン叩く。
「おじさんもおばさんも元気か? それとタマも!」
幼馴染で家族のように育ってきたのだから、互いの家に変化はないかと気になるだけかもしれないけれど、家族のことまで気にかけてくれる瑞貴に胸が熱くなる。そして雑種のタマのことを覚えてくれているのがまた嬉しい。
「父も母も元気ですよ! タマは今朝、あ……真琴は今月の初めころに会いました」
瑞貴はまたも"そうかそうか!!"を繰り返しながら今度は私の頭を撫でた。
「俺はチェリーが元気なのが一番嬉しいよ」
色素の薄い優しげな目元がさらに柔らかく笑み、その微笑みが昔とこれっぽっちも変わっていないことに胸がキュンと鳴る。
「……私も、瑞貴センパイが元気で良かったです……」
眠っていたはずの、ほのかな想いがビールの泡のように心を満たす。
いつまでも見つめて居たいけれど……でも、それが一方的な想いであることはわかっている。
視線が絡むふたりの間に流れた一瞬の沈黙。
「……」
「…………」
すると、それを振り払うように話題を変えたのは瑞貴だった。
「……で? うちの求人見て面接に来たって?」
「……あ、そうなんです……"急募! 初心者歓迎! 正社員には社宅完備!"が物凄く魅力的で……」
「……んー、ちょっと前なら初心者歓迎もあながち満更でもなかったんだけどな……」
「え? あれってウソなんですかっ?」
この就職難の時代、世の中そんなに甘くない……考えれば当然だ。
あまりの恥ずかしさにおかしな汗が顔中から噴き出してくる。
「そういうと聞きが悪いか。でも、あれだけ人数いるんだから篩(ふる)いにかけられて当たり前っていうかな……専門用語が全然通じないのは流石に対象外っていうか……」
「……ガーン……」
すでに仕事を辞めてきた自分に戻る場所はない。やはり自宅警備員になるしかっ……と、涙目になっていると――……
「ぶはっ! チェリーホント変わってないなー! ガーンを効果音として口に出すやつはうちの会社にいないぞ?」
華奢な身を"くの字"にして抱腹絶倒している瑞貴に目が点になる。
「え、そうなの? 東京おそるべし……」
楽に面接パスして、次に悩むのは新居のこと! なんてのはすべて妄想に過ぎなかった。しかし、不合格とわかっていながらも謝礼として交通費を出してもらえたのは本当にありがたい。
"瑞貴センパイにも会えたし、あとはちょっとの負担で街ブラ出来るかも……"と、今日の悪夢はすっかり記憶の彼方へ追いやり、チェリーの頭は東京を去る前の観光へと早くも切り替わっていた。
「なぁチェリー……本気で働きたいなら正社員じゃないけどやってみるか?」
「…………へ?」
予想外の言葉が耳から脳へと到達するまでの三秒間。
聞き間違いかと思い目を丸くするが、フフンと胸を張った瑞貴は真琴とそっくりな動作で手羽先にかぶりつき、ポケットから覗かせた"リーダー"プレートを誇らしげに指差しているのだからやはり妄想が生んだ幻聴などではないことは確かだった。
「は、ははーっ!! リーダー様様っっっ!!!」
それから二時間後、すでに宿をとっていたちえりはビジネスホテルへと戻る。
『上まで話が行くのにそんなに時間かかんないから、実家に電話して送ってもらえよ?』
心強い瑞貴の言葉に何度励まされただろう。
居酒屋での別れ際に言ってくれた言葉が"不合格"という不吉な文字を跡形もなく消し去ってくれる。
「……瑞貴センパイ、やっぱり私の王子様……」
変わらない瑞貴の笑顔と優しさを噛みしめながら浸っていると、真琴の部屋で共に受験勉強に明け暮れていた時のことを思い出す。
『あ゙~も゙~だめ~~~!!!』
諦めの早いちえりは高校受験まで残り一週間となったこの日も頭を抱え、一向に覚えられない数式を前に悶絶していた。
すると、ベッドで漫画本を読んでいた高三の瑞貴が上体を起こした。
『んー? またチェリーは難しいとこからやろうとしてんのか? こんなの基本できたら簡単だって』
上から覗き込むようにちえりの問題集を眺めた短髪の瑞貴。
逆光になった彼の顔はとても落ち着いて見えて、まるで少女漫画に出てくる理想の彼氏象だった。
『瑞貴センパイィ……今から基本やってたんじゃ応用は解けないですよぉ……っグス……』
『おいおい、その発想はどこから来るんだ? 物事に近道なんて例外以外ありえない! 基本を知ってるやつのミスは最小限に留まるんだぞ? いいか? ここは……』
『……うっ、はい……』
子供ながらも瑞貴の言ってることがジン……と心に重くのしかかる。
先生や両親、もしかしたら真琴に言われるよりも素直に聞ける自分に驚いた。その彼のご教授あって、ちえりは低いながらも第一志望の高校へ入学することができ、それなりに高校生活を謳歌することができた。
内面、容姿ともに群を抜いて優秀な桜田瑞貴は、まさに若葉ちえりの"生き字引"である。と言えるだろう。