青いチェリーは熟れることを知らない①
緊急事態?
そして土曜日――
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
淡いグレーのスーツを清楚に着こなした瑞貴が玄関口で振り返り、後ろをついてきたちえりが彼の通勤用バッグを笑顔で手渡した。
有能な瑞貴が会社の緊急事態に召集されるのは仕方がないことなのかもしれないが、日頃から残業の多い彼に圧し掛かる負担は相当なものだと新人のちえりにもわかる。
(センパイ疲れてるべな……早く終わって帰ってこれるといいな)
あからさまに不安げな表情を浮かべたちえりに瑞貴が切なく笑う。
「チェリー午前中出かける予定ある? あるならカードキー渡しておくから……」
(ん? なんだろ、いまの間……)
「いいえ、今日はおうちでお掃除してようかなって思ってます。全然綺麗だからやるとこないかもしれないですけど」
「そっか、なんにもしなくていいよ。ゆっくりしてな?」
どこか安堵したような笑みを浮かべ、瑞貴は玄関の扉を開く。
「いえっ! そういうわけには!!」
(瑞貴センパイが働いてるのに私だけ休んでいられないっ!!)
「ははっ、ありがとな。適当でいいから」
「では適当に精一杯頑張ります! 行ってらっしゃいっ!!」
優しさと品を兼ね備えた王子スマイルは今朝も美しく、思わず拝みたくなるような神々しさだった。
「さぁやるぞーっ!!」
瑞貴を見送り、髪を結わいて腕まくりをするとポケットのスマホからメールの着信音が響いた。
「センパイ……?」
忘れ物とか? と思いながらメールを広げると――
"差出人 鳥居隼人
件名 瑞貴先輩って
文章 今日出勤?"
「……っ!」
差出人を見た瞬間ちえりの鬣(たてがみ)が逆立った気がする。しかし内容を見るからに瑞貴を心配しての言葉にも思えたため、真面目に返したほういいのかな? と殊勝な考えが顔を覗かせた。
「……声聞こえたんだべか? 瑞貴センパイば心配してるってことだし、ここはひとつ……"そうなのよ。瑞貴センパイは忙しいのよ"っと……」
送信を押してから朝食で使用した食器をキッチンへ下げ、掃除機を取りに別室へ向かう。そして、あらかじめ充電しておいたハイパワーなスティック型のコードレスクリーナーを手にリビングへ戻ろうとすると、再び着信音が鳴ってちえりはスマホを取り出した。
「また鳥頭だ。んー、やっぱりこの前のお礼、ちゃんと言ったほういいべか……」
嫌味なところはたくさんあるけれど、それを差し引いても"あの雨の夜"に受けた恩は大きい。場所を問わずなるべく関わらぬよう避けて行動しているが、奇跡的に顔を合わせてもすぐ子供の喧嘩のようになってしまい、からかわれた怒りから職場では感謝の「か」の字さえ浮かんでこなかった。
「タイミングって大事っていうし、このまま恩知らずな三十路になるわけには――」
自分で次の年代のことを口にしながら、心に受けたダメージを抱えきれずに膝を抱えてしまいそうになったちえりの指が画面に触れ、視界の端で鳥頭のメールが映し出された。
「そうだ……ま、まずメール見なきゃ!」
崩れ落ちそうになった己を奮い立たせ、並ぶ文字へ目を向けると――
"差出人 鳥居隼人
件名 そうだな
文章 お前と違ってな"
「……くっ! ほんっと可愛くない!!」
これ以上のメールは不要! と判断したちえりは空気清浄器のパワーを上げ、布団を軽く二つ折りにすると次々に掃除機をかけ、棚の上は丁寧にモップをかける。
「よしっ! こんなもんかな?」
汗はかいていなかったが、額のそれを拭う素振りをしながら折りたたんだ布団を元に戻していく。
そして時間を確認しようとスマホを取り出すと、メールと電話の着信を知らせるランプが点滅していることに気がついた。
「あれっ!? 掃除機の音で聞こえないんだっけべか……」
着信 二件
メール受信 三件
「瑞貴センパイ?」
(何かあったんだべか……もしかして例の"応援"に呼ばれたとか……?
)
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
淡いグレーのスーツを清楚に着こなした瑞貴が玄関口で振り返り、後ろをついてきたちえりが彼の通勤用バッグを笑顔で手渡した。
有能な瑞貴が会社の緊急事態に召集されるのは仕方がないことなのかもしれないが、日頃から残業の多い彼に圧し掛かる負担は相当なものだと新人のちえりにもわかる。
(センパイ疲れてるべな……早く終わって帰ってこれるといいな)
あからさまに不安げな表情を浮かべたちえりに瑞貴が切なく笑う。
「チェリー午前中出かける予定ある? あるならカードキー渡しておくから……」
(ん? なんだろ、いまの間……)
「いいえ、今日はおうちでお掃除してようかなって思ってます。全然綺麗だからやるとこないかもしれないですけど」
「そっか、なんにもしなくていいよ。ゆっくりしてな?」
どこか安堵したような笑みを浮かべ、瑞貴は玄関の扉を開く。
「いえっ! そういうわけには!!」
(瑞貴センパイが働いてるのに私だけ休んでいられないっ!!)
「ははっ、ありがとな。適当でいいから」
「では適当に精一杯頑張ります! 行ってらっしゃいっ!!」
優しさと品を兼ね備えた王子スマイルは今朝も美しく、思わず拝みたくなるような神々しさだった。
「さぁやるぞーっ!!」
瑞貴を見送り、髪を結わいて腕まくりをするとポケットのスマホからメールの着信音が響いた。
「センパイ……?」
忘れ物とか? と思いながらメールを広げると――
"差出人 鳥居隼人
件名 瑞貴先輩って
文章 今日出勤?"
「……っ!」
差出人を見た瞬間ちえりの鬣(たてがみ)が逆立った気がする。しかし内容を見るからに瑞貴を心配しての言葉にも思えたため、真面目に返したほういいのかな? と殊勝な考えが顔を覗かせた。
「……声聞こえたんだべか? 瑞貴センパイば心配してるってことだし、ここはひとつ……"そうなのよ。瑞貴センパイは忙しいのよ"っと……」
送信を押してから朝食で使用した食器をキッチンへ下げ、掃除機を取りに別室へ向かう。そして、あらかじめ充電しておいたハイパワーなスティック型のコードレスクリーナーを手にリビングへ戻ろうとすると、再び着信音が鳴ってちえりはスマホを取り出した。
「また鳥頭だ。んー、やっぱりこの前のお礼、ちゃんと言ったほういいべか……」
嫌味なところはたくさんあるけれど、それを差し引いても"あの雨の夜"に受けた恩は大きい。場所を問わずなるべく関わらぬよう避けて行動しているが、奇跡的に顔を合わせてもすぐ子供の喧嘩のようになってしまい、からかわれた怒りから職場では感謝の「か」の字さえ浮かんでこなかった。
「タイミングって大事っていうし、このまま恩知らずな三十路になるわけには――」
自分で次の年代のことを口にしながら、心に受けたダメージを抱えきれずに膝を抱えてしまいそうになったちえりの指が画面に触れ、視界の端で鳥頭のメールが映し出された。
「そうだ……ま、まずメール見なきゃ!」
崩れ落ちそうになった己を奮い立たせ、並ぶ文字へ目を向けると――
"差出人 鳥居隼人
件名 そうだな
文章 お前と違ってな"
「……くっ! ほんっと可愛くない!!」
これ以上のメールは不要! と判断したちえりは空気清浄器のパワーを上げ、布団を軽く二つ折りにすると次々に掃除機をかけ、棚の上は丁寧にモップをかける。
「よしっ! こんなもんかな?」
汗はかいていなかったが、額のそれを拭う素振りをしながら折りたたんだ布団を元に戻していく。
そして時間を確認しようとスマホを取り出すと、メールと電話の着信を知らせるランプが点滅していることに気がついた。
「あれっ!? 掃除機の音で聞こえないんだっけべか……」
着信 二件
メール受信 三件
「瑞貴センパイ?」
(何かあったんだべか……もしかして例の"応援"に呼ばれたとか……?
)