青いチェリーは熟れることを知らない①
鳥頭とチェリーと偏見と
ちえりが入るまでドアを支えていた鳥居がその場から立ち退くとようやく扉が閉まる。するとリビングから勢いよく駆け寄ってきた愛らしいぬいぐるみのようなワンコ"チェリー"。
――ハッハッ!! クゥーンクゥーンッッ!!
「あ! おはよう"チェリー"! 元気だった? ふふっ今日も可愛いねぇっ!!」
跪いたちえりの膝の上に上がり激しく尻尾を振り乱しながら顔を舐めようとする彼女。
キリリとした顔立ちに似合わず懐っこいワンコ"チェリー"に顔が蕩けてしまいそうになる。
「よしよしっ! あははっ!!」
子犬と言えどもやはり大型犬。
精悍な手足はすでに太く、抱き上げると結構な重みに成長の早さを感じる。
「……もしかしてあんた犬飼ってた?」
「うん? うん、雑種だけど……」
地元の散歩でたびたび聞かれる"何の犬種ですか?"がちょっとトラウマなちえり。
皆が連れているのはコマーシャルで有名になった流行の小型犬や、一目でわかるほど有名な犬種ばかりで、"雑種"と答えるのが嫌なちえりはわざと人通りの多い時間をずらして散歩するほどだった。
その時の苦い想いを思い出し、とたんに顔に陰りが生じる。
「いいじゃん別に。あんたの犬はあんたが好きで、あんたは自分の犬を愛してんだろ?」
「う、うん……っ……」
鳥頭の思いがけない言葉にパッと顔をあげるちえり。
「偏見を持ってるのは人間だけだ。堂々としてればいい」
「あ……」
ポンと頭に置かれた手はすぐに離れ、お盆を手にした彼はスタスタとリビングへ向かって歩く。
(なんか今のカッコよかった……俺様なやつかと思ってたのに……)
ワンコ"チェリー"を腕に抱きながら大人しくついていくと、相変わらず馴染のある間取りに二部屋の違いを探してしまいそうになる。そしてここへ来るのは二度目だが、物が少ないぶんとても広く感じる。
「なんか飲むだろ」
お盆をテーブルに置いた鳥居がキッチンから顔を覗かせる。
「あ、ありがと……じゃあ珈琲もらっていい?」
手身近なソファへ腰かけながら、すっかりちえりの膝の上でくつろぐ"チェリー"を繰り返し撫でる。
「わかった、緑茶な」
「……何で聞いたのよ……」
お茶が悪いわけじゃないけど、最初から選択肢がないのならはっきりそう言ってほしかった。
相変わらず掴みどころのない彼に"しょうがないなぁ"と思いながらも、不思議と怒りはない。
すぐに味のある湯呑と一緒に、艶やかな羊羹が目の前に置かれた。
「お茶美味しそう……羊羹久しぶりかも」
「ありがたく食えよ」
「う、うん……いただきます」
まずは口の渇きを潤すために湯呑へ手を伸ばす。
実家にあるツルツルの陶器とは違い、手に馴染む自然なフィット感と土の色に歴史を加えたような色合いに、思わず目を見張る。
「わっ……柔らかい……」
決して素材が柔らかいわけではなく、温かみのある感触に自然とそういう例えが口から零れた。そして触れば触るほど感動し、熱々の湯呑を両手で撫でまわしてしまう自分に驚く。
「気に入ったか?」
「うん……、でもベタベタ触っていい物じゃない気がするのはなんでだろう……」
「好きに触ってろ。俺も食う」
「あ、はい。どうぞ」
瑞貴以外の人が自分の手料理を食べるのは不思議な感覚だった。
鳥頭は色違いの湯呑で緑茶を一口飲み、先にちえりが握ったおにぎりを口へと運んだ。
「……ごめん、具は高菜だけど食べれる?」
「むしろ好き」
「よかった」
なんとなく彼の動作が気になり見入ってしまう。
しかし目の前の羊羹が"干からびる!!"と反旗を翻しては可哀想なのでフォークで切り分けながら美味しく頂いた。
「なぁ、この米どこの?」
少しでも瑞貴の負担が軽くなればと実家へ送金し、すこし前から地元の名産である米を送ってもらっていたちえり。
「ん? うちの地元のお米。瑞貴センパイの地元でもあるけど」
「お前んち農家?」
「ううん、農家やってる家はいっぱいあるけど、うちは違うんだ。だから近所の人から直接買ってたりするだけ」
「ふーん……」
「…………」
(……ふーんってそれだけ? 結構おいしいお米だと思うんだけどな……瑞貴センパイも喜んでくれたし……)
期待外れの言葉に少しだけテンションが下がる。
しかし瑞貴は違った。いつもの米を完食したところで、送られてきた名産米へ切り替えると流石に気づいたらしい。彼が大学、そして就職して県外へ出てしまった頃にこの米はまだ存在しておらず、ここ数年で品種改良された真新しい代物で、全国の名だたるブランド米と肩を並べて戦える自慢の一級品なのだ。
「それにしても"チェリー"お利口さんだね。人が食べててもちょうだい言わないんだ?」
とても濃厚な羊羹を咀嚼しながらワンコ"チェリー"の柔らかな耳を撫でる。
「俺がそう躾けた」
「こんなに小さいのに凄い! うちは全然だめだったよ? テレビに夢中になって箸が止まるとすぐ狙って飛びついて来たっけもん」
「人間も犬も甘やかすとそいつの為にならねぇからな」
「う、うん……」
なぜか自分が言われるような気がして心地悪く座りなおす。
するとワンコ"チェリーが"つぶらな瞳でこちらを見上げてきた。それはまるで"どうかした?"と言っているように見えて――
「お前はお利口さんだねって話してたんだよ」
そう言いながら彼女の眉間を親指で撫でながら上下すると、"もっと褒めて"とばかりに尻尾を激しく揺らす。
「…………」
その様子をジッと見つめていた鳥居にちえりは気づかない。
そしていつの間にか完食していた彼は丁寧に感想を述べてくれた。
「おにぎりが一番旨かった。海苔と塩加減もまぁまぁだし、具のチョイスも俺好み。何より米がうまい」
「……は、はぁ……」
ポカンと口を開けながら瞬きしていると、その次にダメ出しが待っていた。
「ハンバーグもまぁ及第点。ミネストローネは……初めて作っただろ」
「え゙っっ!?」
ドキッとして思わず湯呑をひっくり返しそうになる。
なにを言われるんだろう……と、バクバク音をたてる心臓。大量の冷や汗が片鼻から出てきそうな勢いだった。
「まず味に深みがない。完成形の味を知らないやつが手さぐりで作った感がダダ漏れだ」
「……ダ、ダダ漏れ……」
「なに見て作ったか知らねぇけど、調味料の適量ってのがなってない。塩が多すぎる」
(やっばっ!!
瑞貴センパイにそんなの食べさせちゃったっ!!
塩で味が調うってのは、全部に共通じゃないんだばっ!!)
ハートブレイク間近のちえりはそんな中、ふと瑞貴の言葉を思い出した。
"……俺はチェリーが出してくれるもんなら何でも美味いぜ?"
"……例えばチェリーに毒を盛られても、俺は美味いと思うって言ったんだ"
「センパイの言ってた毒……むしろ私の料理……ほぼポイズンッッ!? 死……っひぃいいっ!!」
「死にはしねぇだろ……んで最後、俺の好みは和食だから」
「え……? 最後は余計のような気が……」
「黙れ。今度美味い店連れてってやる。少しは勉強しろ」
「……なっ!?」
「口答えすんな。今日部屋に入れてやった礼だと思って付き合え」
「…………」
(や、やっぱこいつ俺様野郎だっ!! 悔しいっ!!)
「返事がない」
「は、はいっ! わかりましたっ!! 有難くお勉強させていただきますっっ!!」
「じゃあ次」
「なによ、まだなんか……」
(あー言葉汚いとか、また日本語しゃべれとか――?)
半分自暴自棄になりながらワンコ"チェリー"の毛づくろいを始める。
しかし丁寧にブラッシングされているのか、触って違和感のあるようなところは見当たらなかった。
「お前の犬の話聞かせろ」
――ハッハッ!! クゥーンクゥーンッッ!!
「あ! おはよう"チェリー"! 元気だった? ふふっ今日も可愛いねぇっ!!」
跪いたちえりの膝の上に上がり激しく尻尾を振り乱しながら顔を舐めようとする彼女。
キリリとした顔立ちに似合わず懐っこいワンコ"チェリー"に顔が蕩けてしまいそうになる。
「よしよしっ! あははっ!!」
子犬と言えどもやはり大型犬。
精悍な手足はすでに太く、抱き上げると結構な重みに成長の早さを感じる。
「……もしかしてあんた犬飼ってた?」
「うん? うん、雑種だけど……」
地元の散歩でたびたび聞かれる"何の犬種ですか?"がちょっとトラウマなちえり。
皆が連れているのはコマーシャルで有名になった流行の小型犬や、一目でわかるほど有名な犬種ばかりで、"雑種"と答えるのが嫌なちえりはわざと人通りの多い時間をずらして散歩するほどだった。
その時の苦い想いを思い出し、とたんに顔に陰りが生じる。
「いいじゃん別に。あんたの犬はあんたが好きで、あんたは自分の犬を愛してんだろ?」
「う、うん……っ……」
鳥頭の思いがけない言葉にパッと顔をあげるちえり。
「偏見を持ってるのは人間だけだ。堂々としてればいい」
「あ……」
ポンと頭に置かれた手はすぐに離れ、お盆を手にした彼はスタスタとリビングへ向かって歩く。
(なんか今のカッコよかった……俺様なやつかと思ってたのに……)
ワンコ"チェリー"を腕に抱きながら大人しくついていくと、相変わらず馴染のある間取りに二部屋の違いを探してしまいそうになる。そしてここへ来るのは二度目だが、物が少ないぶんとても広く感じる。
「なんか飲むだろ」
お盆をテーブルに置いた鳥居がキッチンから顔を覗かせる。
「あ、ありがと……じゃあ珈琲もらっていい?」
手身近なソファへ腰かけながら、すっかりちえりの膝の上でくつろぐ"チェリー"を繰り返し撫でる。
「わかった、緑茶な」
「……何で聞いたのよ……」
お茶が悪いわけじゃないけど、最初から選択肢がないのならはっきりそう言ってほしかった。
相変わらず掴みどころのない彼に"しょうがないなぁ"と思いながらも、不思議と怒りはない。
すぐに味のある湯呑と一緒に、艶やかな羊羹が目の前に置かれた。
「お茶美味しそう……羊羹久しぶりかも」
「ありがたく食えよ」
「う、うん……いただきます」
まずは口の渇きを潤すために湯呑へ手を伸ばす。
実家にあるツルツルの陶器とは違い、手に馴染む自然なフィット感と土の色に歴史を加えたような色合いに、思わず目を見張る。
「わっ……柔らかい……」
決して素材が柔らかいわけではなく、温かみのある感触に自然とそういう例えが口から零れた。そして触れば触るほど感動し、熱々の湯呑を両手で撫でまわしてしまう自分に驚く。
「気に入ったか?」
「うん……、でもベタベタ触っていい物じゃない気がするのはなんでだろう……」
「好きに触ってろ。俺も食う」
「あ、はい。どうぞ」
瑞貴以外の人が自分の手料理を食べるのは不思議な感覚だった。
鳥頭は色違いの湯呑で緑茶を一口飲み、先にちえりが握ったおにぎりを口へと運んだ。
「……ごめん、具は高菜だけど食べれる?」
「むしろ好き」
「よかった」
なんとなく彼の動作が気になり見入ってしまう。
しかし目の前の羊羹が"干からびる!!"と反旗を翻しては可哀想なのでフォークで切り分けながら美味しく頂いた。
「なぁ、この米どこの?」
少しでも瑞貴の負担が軽くなればと実家へ送金し、すこし前から地元の名産である米を送ってもらっていたちえり。
「ん? うちの地元のお米。瑞貴センパイの地元でもあるけど」
「お前んち農家?」
「ううん、農家やってる家はいっぱいあるけど、うちは違うんだ。だから近所の人から直接買ってたりするだけ」
「ふーん……」
「…………」
(……ふーんってそれだけ? 結構おいしいお米だと思うんだけどな……瑞貴センパイも喜んでくれたし……)
期待外れの言葉に少しだけテンションが下がる。
しかし瑞貴は違った。いつもの米を完食したところで、送られてきた名産米へ切り替えると流石に気づいたらしい。彼が大学、そして就職して県外へ出てしまった頃にこの米はまだ存在しておらず、ここ数年で品種改良された真新しい代物で、全国の名だたるブランド米と肩を並べて戦える自慢の一級品なのだ。
「それにしても"チェリー"お利口さんだね。人が食べててもちょうだい言わないんだ?」
とても濃厚な羊羹を咀嚼しながらワンコ"チェリー"の柔らかな耳を撫でる。
「俺がそう躾けた」
「こんなに小さいのに凄い! うちは全然だめだったよ? テレビに夢中になって箸が止まるとすぐ狙って飛びついて来たっけもん」
「人間も犬も甘やかすとそいつの為にならねぇからな」
「う、うん……」
なぜか自分が言われるような気がして心地悪く座りなおす。
するとワンコ"チェリーが"つぶらな瞳でこちらを見上げてきた。それはまるで"どうかした?"と言っているように見えて――
「お前はお利口さんだねって話してたんだよ」
そう言いながら彼女の眉間を親指で撫でながら上下すると、"もっと褒めて"とばかりに尻尾を激しく揺らす。
「…………」
その様子をジッと見つめていた鳥居にちえりは気づかない。
そしていつの間にか完食していた彼は丁寧に感想を述べてくれた。
「おにぎりが一番旨かった。海苔と塩加減もまぁまぁだし、具のチョイスも俺好み。何より米がうまい」
「……は、はぁ……」
ポカンと口を開けながら瞬きしていると、その次にダメ出しが待っていた。
「ハンバーグもまぁ及第点。ミネストローネは……初めて作っただろ」
「え゙っっ!?」
ドキッとして思わず湯呑をひっくり返しそうになる。
なにを言われるんだろう……と、バクバク音をたてる心臓。大量の冷や汗が片鼻から出てきそうな勢いだった。
「まず味に深みがない。完成形の味を知らないやつが手さぐりで作った感がダダ漏れだ」
「……ダ、ダダ漏れ……」
「なに見て作ったか知らねぇけど、調味料の適量ってのがなってない。塩が多すぎる」
(やっばっ!!
瑞貴センパイにそんなの食べさせちゃったっ!!
塩で味が調うってのは、全部に共通じゃないんだばっ!!)
ハートブレイク間近のちえりはそんな中、ふと瑞貴の言葉を思い出した。
"……俺はチェリーが出してくれるもんなら何でも美味いぜ?"
"……例えばチェリーに毒を盛られても、俺は美味いと思うって言ったんだ"
「センパイの言ってた毒……むしろ私の料理……ほぼポイズンッッ!? 死……っひぃいいっ!!」
「死にはしねぇだろ……んで最後、俺の好みは和食だから」
「え……? 最後は余計のような気が……」
「黙れ。今度美味い店連れてってやる。少しは勉強しろ」
「……なっ!?」
「口答えすんな。今日部屋に入れてやった礼だと思って付き合え」
「…………」
(や、やっぱこいつ俺様野郎だっ!! 悔しいっ!!)
「返事がない」
「は、はいっ! わかりましたっ!! 有難くお勉強させていただきますっっ!!」
「じゃあ次」
「なによ、まだなんか……」
(あー言葉汚いとか、また日本語しゃべれとか――?)
半分自暴自棄になりながらワンコ"チェリー"の毛づくろいを始める。
しかし丁寧にブラッシングされているのか、触って違和感のあるようなところは見当たらなかった。
「お前の犬の話聞かせろ」