青いチェリーは熟れることを知らない①
瑞貴とチェリー、初デートの夜
そして夕方、満たされたお腹と心で自宅へ帰ってきたふたりを芳醇な香りが包んでいた。
帰り際に買ってきたあの珈琲豆を轢き、今はレンタルしてきた脱出系ホラーの洋画ドラマを観ている。
テレビ正面のソファへ座ったちえりと、その右隣に座る瑞貴。いつもはベッドが定位置な彼だが、いまは手が触れてしまいそうな距離にふたりで片を並べている。
手に汗握るシチュエーションから一転、柔和な雰囲気へと変わったタイミングでちえりが新たなドーナツへ手を伸ばすとタイミングよく瑞貴も同じ行動にでた。
「あ……」
「お、珈琲のおかわりいるか?」
「は、はいっ! ありがとうございます……」
手が触れそうになり目が合うと穏やかに微笑んだ瑞貴。手を引いた彼はふたり分のカップを手にしてキッチンへ向かう。
その姿を目で追うのは心ここに非ずのちえりだ。ずっと見たかった洋画ドラマのはずなのに、さっぱり頭に入ってこない。実をいうとこのドーナツでさえ味がわからないほどに重症だったのだ。
「お待たせ。ミルクと砂糖入りだよな?」
「そうですっ! あ、ありがとうございます!」
再びちえりの左隣に腰掛けた瑞貴。彼の重みがソファを伝ってちえりを揺らす。
「ははっ」
「……?」
不意に幸せを噛みしめたように笑う瑞貴に、カップへと口を付けたちえりが首をかしげる。
「センパイ? どうかしました?」
「あ……、うん。俺とチェリーってさ、昔から同じタイミングでドーナツに手出すよな?」
色素の薄い儚げな瞳に自分が映っている。ちょっとまぬけな顔をした……三十路間近の自分。
ふたりの間には随分な時間が経過してしまったが、こうして変わらぬところを見つけては嬉しそうに話してくれる瑞貴。
『――さぁ、飢えた子供たちよ! ミセスドーナツの差し入れが到着したわよっ!! ホホホ!!』
まるでどこかの御老公が印籠を掲げるようにドーナツの箱を手にしながら部屋に入ってきたのは瑞貴と真琴の母だ。
『おばさんこんにちは。お邪魔してます』
『ちえりちゃんいらっしゃい! お邪魔だなんて言わないの!
いつでもうちの子になっちゃってくれていいのよ? なんなら一緒に住まない~?』
『あ、あはは……』
もはや第二の母とも呼べる瑞貴・母はいつもちえりをあたたかく受け入れてくれた。
彼女のあつい抱擁を有難く受けていると、箱を受け取った真琴は早速目当てのドーナツをひとつ頬張っている。
『やめろよ母さん。チェリーが困ってるだろ?』
『……なぁに? ちえりちゃんが来てくれたら一番うれしいのはあんたじゃない~~~』
『……なっ……!』
『えっ……』
思わず瑞貴・母の言葉に耳をダンボにさせたちえりが過剰反応していると、一度目が合ったにもかかわらずパッと顔を逸らしてしまった瑞貴に少しだけ寂しさを覚えた。
『兄貴だけじゃないよ? あたしだって嬉しいからね? ちえり~!』
クリームをつけた唇で頬に口づけしてくれる真琴のお陰でその場は和んだが、”瑞貴が一番うれしい”のは本当なのか? それも”どういう理由で?”が未だに聞けずじまいだ。
「…………」
(……修学旅行のお土産の話もそうだけど、センパイはきっと私が気にしてることに気づいてない……)
「チェリー? ごめん、砂糖少なかったか?」
急に黙り込んでしまった自分を覗き込む瑞貴の顔が間近に迫る。
「……ううん、ちょうどいいですよ! ありがとうございます。
ちょっと昔を思い出して……コンビニに行って同じアイス取ろうとして手がぶつかったり。真琴とは好みが違ったけど、センパイとはそういうこと何度もありましたよねっ」
(あのとき私のこと好きでいてくれましたかーっ!?
なんて自惚れ発言、……ダメゼッタイ!!!)
聞いたことのある標語のような言葉が脳と胸を行ったり来たりせわしなく動き回る。
「うん。チェリーと家族になれたら毎日が楽しいだろうな……ってずっと思ってた。こうやって少し手が触れただけで、やっぱ好きだなーっていつも確信してた」
指先を絡めるように触れられ、ちえりの背中が思い切り跳ねる。
「……っ!?」
(……す、好きだなーって何をっ……!!??
あ、あ、あー……)
「……っさ、最近は!! ビックリサンダーのアイスが好きです!!!」
(センパイが好きって言ったのはコンビニのアイスの話だべっ!!
危ない危ない。自惚れ発言、……ダメゼッタイ!!!)
「……俺も好きだよ。明日の帰りに買って帰ろうか」
少しの間の後に切なく微笑んだ瑞貴。
「あ、あの……、センパ……」
(なんか、いまの違う気がする……。
私、間違ったこと言ったかも……)
ここの答えはアイスが正解じゃないかもしれない。
瑞貴の顔を見たちえりは咄嗟に不正解を選んでしまったことを悟ったが――
「よし! 夕食は俺が作るよ。グラタンでもいいか?」
スマホで時間を確認した瑞貴が夕食を意識し始める。
「それなら私が……」
「たまにはチェリーにもゆっくりして欲しいんだ」
再びソファに置いていた手に手を重ねられ、反対の手で頬を撫でられる。
「……っ!」
(……ハッ!!
ここは極楽浄土だべかっ!?
生きてる? わたし生きてるっっ!?)
与えられた刺激により自我を取り戻したちえりだが、スィートな瑞貴の蜜に自然と顔面が蕩けてしまう。
(なんて甘いんだべっ!! ドーナツより甘いっ!!)
瑞貴の一挙一動は#KY__空気読めない__#な発言のあとの落ち込みをいとも簡単に浮上させ、彼の手料理はちえりの心と腹を幸せで満たしてくれた。
――瑞貴は夕食の準備から片付け、風呂の準備までを手際よくこなし、午後九時には風呂をあがってきた。次にベッドメイクをすませたちえりが風呂に入り、午後十時前に再び洋画ドラマを再生することができた。
部屋の照明を暗めに設定し、ホラー感を演出しながらもちゃっかりデザートのプリンも用意する。
やがて飛び込んだ悲劇の前のラブシーンに気まずくなりながら自分を落ち着けるためにミネラルウォーターを口にする。
(……ってか!! ラブシーン長くないっ!?)
恐らくこのシーンは映像の中のカップルのどちらかがこのあと命を落とすフラグだ。
主人公とは別行動という時点で、しかも重要なポジションにいない彼らはせいぜいこの場を盛り上げる脇役にすぎない。それどころか”お楽しみ”の最中に絶命するようなことがあれば、”アレの最中に死んだ人”としてのイメージが視聴者の記憶に強く残るため微妙な役どころなのかもしれない。いつもならばそんな風に先を考えながら視聴するちえりだが今は違う。隣りには瑞貴が居るのだ。
――トン……
「……っっ!?」
突然加わった右肩への衝撃にシャキーンと背筋が伸びる。
暗い部屋のテレビに流れるラブシーンと、すでに濃厚なキスを交わし(?)済みのイケメン王子。そして……風呂で清められた身体。
いずれの条件もクリアした後に来ることと言えば……
(……瑞貴センパイっ……!)
ちえりは鼻息荒く彼の目を見つめるが、彼の綺麗な瞳は見当たらなかった。
(あれ……?)
「スースー……」
「…………」
(ぎゃはっ! 寝てる――っ!!)
「……でも、これで良かったのかも……」
(告白されたわけじゃないし……)
熟睡してしまった瑞貴の体をソファへ預け、薔薇の毛布をとりに別室へ急いだ。
”センパイが起きるまで少しこうしてよう”と、もう一度自分の肩に彼を寄りかからせ、ふたりで毛布をかぶる。
(そうだ。ドラマも停止して、テレビも電気も消しておこう。センパイが目を覚ましたら……きっと起こしてくれる、はず……)
手元のリモコンを操作し終えたちえりは、幸せなぬくもりと重みを感じながら目を閉じた。
「……幸せだな……スー……」
緊張から解放されたちえりは自分でもびっくりするくらい、あっという間に眠りにおちてしまった。
このうたた寝程度で終わると思われた睡眠だったが、彼女が眠りから覚めたのは七時間後の翌朝のことだった――。
帰り際に買ってきたあの珈琲豆を轢き、今はレンタルしてきた脱出系ホラーの洋画ドラマを観ている。
テレビ正面のソファへ座ったちえりと、その右隣に座る瑞貴。いつもはベッドが定位置な彼だが、いまは手が触れてしまいそうな距離にふたりで片を並べている。
手に汗握るシチュエーションから一転、柔和な雰囲気へと変わったタイミングでちえりが新たなドーナツへ手を伸ばすとタイミングよく瑞貴も同じ行動にでた。
「あ……」
「お、珈琲のおかわりいるか?」
「は、はいっ! ありがとうございます……」
手が触れそうになり目が合うと穏やかに微笑んだ瑞貴。手を引いた彼はふたり分のカップを手にしてキッチンへ向かう。
その姿を目で追うのは心ここに非ずのちえりだ。ずっと見たかった洋画ドラマのはずなのに、さっぱり頭に入ってこない。実をいうとこのドーナツでさえ味がわからないほどに重症だったのだ。
「お待たせ。ミルクと砂糖入りだよな?」
「そうですっ! あ、ありがとうございます!」
再びちえりの左隣に腰掛けた瑞貴。彼の重みがソファを伝ってちえりを揺らす。
「ははっ」
「……?」
不意に幸せを噛みしめたように笑う瑞貴に、カップへと口を付けたちえりが首をかしげる。
「センパイ? どうかしました?」
「あ……、うん。俺とチェリーってさ、昔から同じタイミングでドーナツに手出すよな?」
色素の薄い儚げな瞳に自分が映っている。ちょっとまぬけな顔をした……三十路間近の自分。
ふたりの間には随分な時間が経過してしまったが、こうして変わらぬところを見つけては嬉しそうに話してくれる瑞貴。
『――さぁ、飢えた子供たちよ! ミセスドーナツの差し入れが到着したわよっ!! ホホホ!!』
まるでどこかの御老公が印籠を掲げるようにドーナツの箱を手にしながら部屋に入ってきたのは瑞貴と真琴の母だ。
『おばさんこんにちは。お邪魔してます』
『ちえりちゃんいらっしゃい! お邪魔だなんて言わないの!
いつでもうちの子になっちゃってくれていいのよ? なんなら一緒に住まない~?』
『あ、あはは……』
もはや第二の母とも呼べる瑞貴・母はいつもちえりをあたたかく受け入れてくれた。
彼女のあつい抱擁を有難く受けていると、箱を受け取った真琴は早速目当てのドーナツをひとつ頬張っている。
『やめろよ母さん。チェリーが困ってるだろ?』
『……なぁに? ちえりちゃんが来てくれたら一番うれしいのはあんたじゃない~~~』
『……なっ……!』
『えっ……』
思わず瑞貴・母の言葉に耳をダンボにさせたちえりが過剰反応していると、一度目が合ったにもかかわらずパッと顔を逸らしてしまった瑞貴に少しだけ寂しさを覚えた。
『兄貴だけじゃないよ? あたしだって嬉しいからね? ちえり~!』
クリームをつけた唇で頬に口づけしてくれる真琴のお陰でその場は和んだが、”瑞貴が一番うれしい”のは本当なのか? それも”どういう理由で?”が未だに聞けずじまいだ。
「…………」
(……修学旅行のお土産の話もそうだけど、センパイはきっと私が気にしてることに気づいてない……)
「チェリー? ごめん、砂糖少なかったか?」
急に黙り込んでしまった自分を覗き込む瑞貴の顔が間近に迫る。
「……ううん、ちょうどいいですよ! ありがとうございます。
ちょっと昔を思い出して……コンビニに行って同じアイス取ろうとして手がぶつかったり。真琴とは好みが違ったけど、センパイとはそういうこと何度もありましたよねっ」
(あのとき私のこと好きでいてくれましたかーっ!?
なんて自惚れ発言、……ダメゼッタイ!!!)
聞いたことのある標語のような言葉が脳と胸を行ったり来たりせわしなく動き回る。
「うん。チェリーと家族になれたら毎日が楽しいだろうな……ってずっと思ってた。こうやって少し手が触れただけで、やっぱ好きだなーっていつも確信してた」
指先を絡めるように触れられ、ちえりの背中が思い切り跳ねる。
「……っ!?」
(……す、好きだなーって何をっ……!!??
あ、あ、あー……)
「……っさ、最近は!! ビックリサンダーのアイスが好きです!!!」
(センパイが好きって言ったのはコンビニのアイスの話だべっ!!
危ない危ない。自惚れ発言、……ダメゼッタイ!!!)
「……俺も好きだよ。明日の帰りに買って帰ろうか」
少しの間の後に切なく微笑んだ瑞貴。
「あ、あの……、センパ……」
(なんか、いまの違う気がする……。
私、間違ったこと言ったかも……)
ここの答えはアイスが正解じゃないかもしれない。
瑞貴の顔を見たちえりは咄嗟に不正解を選んでしまったことを悟ったが――
「よし! 夕食は俺が作るよ。グラタンでもいいか?」
スマホで時間を確認した瑞貴が夕食を意識し始める。
「それなら私が……」
「たまにはチェリーにもゆっくりして欲しいんだ」
再びソファに置いていた手に手を重ねられ、反対の手で頬を撫でられる。
「……っ!」
(……ハッ!!
ここは極楽浄土だべかっ!?
生きてる? わたし生きてるっっ!?)
与えられた刺激により自我を取り戻したちえりだが、スィートな瑞貴の蜜に自然と顔面が蕩けてしまう。
(なんて甘いんだべっ!! ドーナツより甘いっ!!)
瑞貴の一挙一動は#KY__空気読めない__#な発言のあとの落ち込みをいとも簡単に浮上させ、彼の手料理はちえりの心と腹を幸せで満たしてくれた。
――瑞貴は夕食の準備から片付け、風呂の準備までを手際よくこなし、午後九時には風呂をあがってきた。次にベッドメイクをすませたちえりが風呂に入り、午後十時前に再び洋画ドラマを再生することができた。
部屋の照明を暗めに設定し、ホラー感を演出しながらもちゃっかりデザートのプリンも用意する。
やがて飛び込んだ悲劇の前のラブシーンに気まずくなりながら自分を落ち着けるためにミネラルウォーターを口にする。
(……ってか!! ラブシーン長くないっ!?)
恐らくこのシーンは映像の中のカップルのどちらかがこのあと命を落とすフラグだ。
主人公とは別行動という時点で、しかも重要なポジションにいない彼らはせいぜいこの場を盛り上げる脇役にすぎない。それどころか”お楽しみ”の最中に絶命するようなことがあれば、”アレの最中に死んだ人”としてのイメージが視聴者の記憶に強く残るため微妙な役どころなのかもしれない。いつもならばそんな風に先を考えながら視聴するちえりだが今は違う。隣りには瑞貴が居るのだ。
――トン……
「……っっ!?」
突然加わった右肩への衝撃にシャキーンと背筋が伸びる。
暗い部屋のテレビに流れるラブシーンと、すでに濃厚なキスを交わし(?)済みのイケメン王子。そして……風呂で清められた身体。
いずれの条件もクリアした後に来ることと言えば……
(……瑞貴センパイっ……!)
ちえりは鼻息荒く彼の目を見つめるが、彼の綺麗な瞳は見当たらなかった。
(あれ……?)
「スースー……」
「…………」
(ぎゃはっ! 寝てる――っ!!)
「……でも、これで良かったのかも……」
(告白されたわけじゃないし……)
熟睡してしまった瑞貴の体をソファへ預け、薔薇の毛布をとりに別室へ急いだ。
”センパイが起きるまで少しこうしてよう”と、もう一度自分の肩に彼を寄りかからせ、ふたりで毛布をかぶる。
(そうだ。ドラマも停止して、テレビも電気も消しておこう。センパイが目を覚ましたら……きっと起こしてくれる、はず……)
手元のリモコンを操作し終えたちえりは、幸せなぬくもりと重みを感じながら目を閉じた。
「……幸せだな……スー……」
緊張から解放されたちえりは自分でもびっくりするくらい、あっという間に眠りにおちてしまった。
このうたた寝程度で終わると思われた睡眠だったが、彼女が眠りから覚めたのは七時間後の翌朝のことだった――。