隻眼王の愛のすべて  < コウ伝 >

「後退するほどにこちらの分が悪いのか?」

ヴィリヨが言うので、心配が現実になりそうで怖かった。しかし準備はしている。薬も食料だって万端のはずだ。

「いいえ。兵力は勝っていますし武器も食料も余裕があり犠牲多数による後退ではありません」

知りたい情報のひとつではあったが、ほっとひと安心という気持ちにはならない。

「異常です。あんなことをするソラゾは狂っています。話し合いも考えていることをマリウス様がおっしゃっていましたが、あれらはただ破滅しかない悪魔だ」

葬られず汚れた死体を武器に使うなどあってはならない。それに肉や骨が降ってくるなどどれほど恐怖だろうか。

「話し合いもできず、後退するのですか」

「俺はここへ情報を伝える任務だったので離れたあとのことは詳しくは聞いていませんが、作戦を実行するという話を聞きました」

ただ自分の任務を遂行するため、彼はただ真っ直ぐ王宮へ走ったのだという。

「ソラゾ軍をひとりでもここに入れたら、汚される」

ノエリアは王宮を囲む森とヒルヴェラの森を思う。得体の知れないものに汚染させるわけにはいかない。ノエリアは浅かった自分の呼吸に気付いて、静かに深呼吸をした。
そして騎士団の青年の手を取って、持っていた布で汚れを拭き取る。馬の手綱で傷ついたのか爪が割れていた。

「よくぞ、あなたは使命を果たしご無事でここへ帰られました」

「ノエリア様……」

彼は涙を堪えている様子だ。

「あなたにご家族は?」

「国に母と妹が。俺がいないとふたりだけになっちまうんで」

へへ、と笑う青年。彼を無事に家族へ帰すことも自分たちの仕事だ。

「……シエル様は、お元気なのですか」

ノエリアは疲労の色が濃い騎士団員に問いかける。彼はノエリアを見るとなにかを思い出すように目を閉じた。

「シエル国王陛下は他の誰よりも強くそして勇敢です。下がった士気を奮い立たせる素晴らしいお方だ……我が騎士団長マリウス様とドラザーヌのリウ様を従えひるまず葦毛の馬に跨り剣を掲げる様は、黒き狼そのもの」

ドラザーヌの黒き狼。自ら前線で戦う国王。
リウもマリウスも無事なのだ。ノエリアはそのままどうか無事で帰って欲しいと強く願う。

「とにかく、いまはお休みください」

食事の準備を、ノエリアは皆にそう伝え自らも腕まくりをした。
戦っているシエルのためになにかしたいというただそれだけの気持ちで動いていた。リウやマリウスたちのため、戦いに行った皆のため。

「わたしも、戦うの」

誰に聞かせるでもなくひとりでぽつりと言った。
ヴィリヨにマリエ、そしてサラとカーラがいる。シエルのためになら自分はなんでもできる気がした。

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