隻眼王の愛のすべて  < コウ伝 >
騎馬隊は庭園いっぱいに待機し森を見ている。ノエリアのいるバルコニーの下まで来ている者もいる。ノエリアはドラザーヌ騎士団のひとりに向かって叫んだ。

「ねぇ! シエル様は?! シエル様はどこにいるの!」

声が届いたらしく見上げたのは髭を蓄えた男性であった。彼は森を指さす。

「あちらへ!」

やはりそうだ。ノエリアは恐怖で息が止まりそうだった。

「シエル様―!」

ノエリアは森に向かって叫んだ。あそこにシエルがいるの。点けてまわる松明の火は大火となり森を飲み込もうとしている。あのように燃えている森にいたら、早く出てこなければ巻き込まれてしまう。

ノエリアは声の限りにシエルの名を叫んだ。木が焼ける匂いがここまで届く。

作戦だと聞いたけれど、こんな危険なことをしなければならないなんて。
まさか、嫌だ。お願い。思いつく限りの願いの言葉を呟きながら顔を覆う。

「シエル様、お願い無事で戻ってください」

なにが起こっているのか分からず、ノエリアはバルコニーの柵につかまり膝をつく。冷たい風は体温を奪い、目に浮かんだ涙も凍らせてしまいそうだ。

「お願い……」

胸が痛くて、ノエリアは爪が食い込むほど寝間着の胸元を掴んだ。
その時、わっという歓声が上がる。なにかと見れば、松明を持つ一騎が森から走り出てきた。歓声を聞きなにごとかと王宮内の人間がノエリアのいるバルコニーや外に出てきていた。

「ノエリア様……! なんてことでしょう」

振り向くとカーラだった。

「ノエリア様、これはいったい?」

「分からないけれど、一時後退の作戦とはこれなのでしょう。けれど、燃える森に入っていくなんて!」

「こんなに冷えてしまって、いけません。ノエリア様」

ノエリアは夢中でバルコニーに出て来たから足元にストールが落ちていて、カーラが拾って肩にかけてくれた。すぐあとにサラも駆けつける。
明けゆく空のせいであたりは明るくなってきていて、森から出てきた一騎がマリウスであることが分かる。そして次に出てきたのは、リウだ。

「リウ様……!」

カーラが押し殺した声で愛おしいひとの名を呼ぶ。

「……早く」

あとひとり、シエルが出てこない。

いち、に、さん……いくつまで数えよう。出てこない。時をいくつまで数えたなら戻ってくる? 戻ってこなかったら止めたらいいの?

ぺルラから落馬しているのでは。火が服に燃え移ってしまったのでは。木々に傷つけられ動けなくなっているのでは。その間に炎に包まれて動けなくなって……。

ノエリアはよくない考えを振り払うように頭を振る。
帰ってくると約束した。わたしを妻にするって。
ノエリアは指を組んで空を見上げ、涙を落とした。

(お願い)

風が吹いて、森が燃えている音が聞こえる。王宮庭園を埋め尽くすほどの人間全員が、たったひとりの帰還を待っていた。ノエリアは目を閉じた。

森は風下、炎は王宮には来ない。

怪我を負ったシエルを助けた。あの瞬間から運命が回り始めた。祖父の思い出と自分たちを取り巻く出来事が、ふたりの心を結んだ。恋をして愛し合って、自分はここにいる。
失いそうになったときも必死で手繰り寄せた。

< 40 / 50 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop