散りゆく花泥棒と夜明けを待つ花嫁
『山形ちとせ』がもうすぐ『白井ちとせ』になる。
 落とし終えた葉っぱを集めてゴミ袋に入れながら、苗字が変わる現実にいまいちピンとこなかった。
 役所に行って婚姻届けをもらった時に、実感できるのかな。
 役所で名前の変更届をしたらピンと来るのかな。
 ゴミ袋を店の裏のゴミ捨て場に持って行きながら、夕日が落ちつつある深いオレンジ色の空を見上げた。
 夜とお昼の境目って、仕事の定時じゃないのかなって最近思う。
 私の夜は、仕事の定時の十九時だ。現在十八時五十分。足の悪い店長の代わりに店じまいを始めていた。
 空気は夜の匂い。冷たくて透き通っている。遠くから夜ご飯の匂いが漂っている。
 大きく息を吸い込み空を見上げようとして、突然目の前が真っ暗になった。
「山形ちとせだな」
「え、なに?」
「動くな。お前は黙って俺についてこい。暴れるなよ」
「え? ちょ、えええ?」
 目を隠された。どうやらニット帽を深く被らされたようだった。
 脱ごうと抵抗していたら、お店の入り口のシャッターを閉める、錆びた鉄の音がする。
「おっちゃん、ちとせを貰っていくな」
「モノじゃねーぞ。うちの看板娘だ」
「知るか。貰う」
「クソガキがっ」
 目隠し代わりのニット帽を脱ぐと、裏の出口の鍵をかけて出てくる男の子を見上げた。
 黒のパーカーが夜の波みたいに深い皺をつくっていて、今にも泣きだしそうなくしゃくしゃの顔で私を睨みつけていた。
「佐々木 省吾だな。十九時、婦女誘拐未遂の疑いで現行犯逮捕だ」
 私が腕を掴んで警察の真似をすると、省吾は舌打ちをした。
 彼は十歳年下の隣の家の幼馴染みだった。無害な、素朴で大人しい良い子のはずだ。
「違う」
「へ?」
「未遂じゃない。本当に誘拐する」
「えー。困るよー。私、一週間後に――」
 次は口をふさがれた。ふわふわの手袋の手で口を押えられる。
「知ってる。知ってるから誘拐する。おかしいじゃん」
『ちーちゃん、ぼくとけっこんしてくれるんだよね?』
 まだ六歳だった省吾の顔が、目の前の大人になった省吾と重なった。
 大粒の涙を流しながら、軽トラックに乗せられて泣く省吾。私が誕生日にプレゼントした身長と同じ大きさのぬいぐるみよりも彼はだいぶ大きくなっていたっけ。
「じいちゃんの車、借りてきたから。乗って」
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