霧の魔法
絵羽の入院も三週間目に入った。

絵羽の治療成績はよく、病室から出て一人で院内を歩けるまでになっていた。

そして、その週の終わりに医師から初めて外泊許可が出た。

 その連絡を受けた宙は病院まで急いで出向いた。

「絵羽、よかった。外泊できるんだね。」
「うん。ありがとう。宙のおかげだよ。」

「なに言ってんだよ。絵羽が頑張ったからじゃないか。」
「ううん。実はね。先生が言ってたんだけど、治療の効果が出てるのは宙のおかげだって。」

「え?どういうこと?」
「うんとね。こういう病気の場合、治療の効果の良し悪しは患者の精神状態にすごく反映されるんだって。」

「・・・。」
「つまり、患者に生きる気力があるかないかで全然違うらしいの。あたしの場合は宙と会いたい。もう一度デートしたい。温泉行きたい。って思ってたから、それが治療効果にも結びついたんだって。」
「え?先生に俺と温泉行きたいとか言ったの?」

「言ったよ。まずかった?」
「いや、まずくはないけど・・・一応高校生だし、それって・・・。」

「あははは、そんなの気にしてんの?おっかしい。いいじゃん、高校生が旅行しちゃいけないの?」
「いや、その・・・。」

「きゃはは、照れてるの?」
「ん、なんか恥ずかしくて、先生に会えないよ。」

「大丈夫だよ。それが結果としてよかったんだから。先生もいいことだって言ってくれたよ。」
「そっか、とにかく、まだ外泊許可が出ただけなんだから。無理すんなよ。」

「わかってる。今日はおうちでゆっくりするよ。」
「そうだな。送ってくから。」

「ありがとう。お願いね。」

 そう言って絵羽の身体を支えて宙は思った。
やけに軽くなったっと。
無理もなかった。

入院から三週間で絵羽の体重は9キロ近く痩せてしまっていた。

 元々大きな目をしていた絵羽の目は痩せてくぼんだようになったためさらに大きく見えた。
 
 絵羽の家まで送った帰り道、偶然美樹生と出会った。

「宙!どうだ絵羽ちゃんの容態は?」
「おう、美樹生、偶然だな。大丈夫、今日外泊許可が出て、今家まで送ってきたとこだよ。」

「ほんとか?!よかったな宙!じゃあ、退院も近いのか?」
「ん?それはわからない。外泊許可と言っても一泊二日だから、明後日からまた病院に戻るし、治療もまだ続くだろう。」

「そうなんだ・・・でも、大丈夫だよ!きっとよくなるって。」
「うん、俺が看病してるんだから絶対治して見せるさ。」

「そうそう、毎日病院行ってるんだってな。お袋さんから聞いたよ。おまえがこれほど一つのことに集中したのは初めてだって。」
「お袋が?・・・また余計なこと言って。」

「あははは、でも、お袋さん感心してたよ。おまえがこれほど人のことを大切にするなんて見直したって。」
「なんだかなぁ。そりゃ大切な恋人だぜ。当然だろ。」

「うん、そうは思うけど、普通自分のことをつい優先しちゃうじゃん、人間って。いくら惚れた相手が入院してるからって、毎日は行けないぜ。休みの日なんて朝から行ってるんだろ?」
「うん、一時でも長く絵羽と一緒にいたいんだ。」

「だよな。俺でもそうすると思う。でも、おまえも身体気をつけろよ。無理しないように。」
「今無理しなきゃいつするって感じだよ。大丈夫、俺は気力が充実してるから。」

「そっか、ならいいけど。俺ができることがあればいつでも連絡してこいよ。」
「ありがと。でも、おまえも最後の夏の県大会近いんだろ。頑張れよ。甲子園は無理としても、去年よりいいベストエイトくらいは狙えそうだしな。」

「あぁ、頑張るよ。ほんとは優勝して甲子園といきたいところだけど、去年よりは絶対上げて見せるぜ。」
「おう!期待してる!もし甲子園なら絶対応援行くから。」

「そうだな。絵羽ちゃんと二人で来てくれよ。」
「あぁ、絵羽を連れて甲子園か、悪くないな。」

「じゃあ、俺練習あるからいくな。」
「おう、休み返上で練習お疲れ!」

「甲子園が待ってるからな。」

 そういって美樹生は走っていった。

見送りながら宙は本当に甲子園に絵羽と行っている自分を想像していた。
 
 再び絵羽の入院生活が始まった。

この治療が進めばもう少し長く外泊できる。

場合によっては仮退院をすることもできる。

しかし、今まで以上に苦痛を伴い、髪の毛も完全に抜け落ちて益々痩せていくことは確実だった。

 トイレにいった絵羽は鏡を見て自分がどんどんやせ衰えて、醜くなっていくことに不安を感じていた。

 それでも、毎日見舞いに来てくれる宙のことを考えて、なんとか頑張ろうと気力を振り絞っていた。

「絵羽ちゃん、今日からの治療は今まで以上に苦痛を伴うけど、大丈夫かな。」
「はい、先生、治してもらえるなら。もう一度外に出て、学校にも行けるなら。頑張ります。」

「そうだね。その気持ちが大事だよ。宙君も待ってるしね。」
「はい、先生、お願いします。」

 そして、治療が始まった。

抗がん剤の副作用は想像以上にきつい、食べているものはすべて吐いてしまうし、眠ろうと思っても眠れない。

さらに放射線治療は照射した部分がやけどのようになり、痛みを伴う。

鎮痛剤は使うが、それが切れると泣きたくなるほど痛い。

 しかし、絵羽はもう一度宙と手を繋いでデートすることを夢見て、それを糧(かて)にして治療に耐えた。

 そして、今日も宙が病室まで見舞いにやってきた。

「大丈夫、絵羽?今日の治療は辛かったみたいだし・・・。」
「大丈夫!いっつもね、痛みや辛い時には宙のこと考えてるの。そうすると自然と痛みや苦痛が消えていくの。」

「絵羽・・・。」

 そういうと、痩せて一層細くなった絵羽の手を握りその指に自分の指を絡ませて、そっとキスをした。

「宙、絶対治してみせるね。そして、夏休みには旅行に行こうね。」
「あぁ、もちろんだよ。それまでに絶対治るさ。そうだ、美樹生が今年は甲子園も狙えるかもって。そしたら、二人で甲子園に美樹生の応援に行こうな。」

「ほんと!すごい!美樹生君がんばってるんだね。私も頑張って治して宙と一緒に甲子園行きたい!」
「そうそう、そのついでに旅行しよう。楽しみだな。」

「うん、すっごい楽しみ!ますます頑張る気になってきた。」
「そうだな、俺も毎日絵羽に会いに来るから、一緒にがんばろうな。」

「ありがとう。学校、そろそろ試験だよね。大丈夫?」
「ん?当たり前だろ。ちゃんと授業はバッチリ聞いてるから大丈夫だって。」

「ほんとかな?留年なんかしないでよ。あたしだけ卒業じゃ洒落(しゃれ)にならないぞ。」
「馬鹿言ってんなよ。ちゃんと家にいれば勉強してるから。一緒に卒業するよ。」

「うん、それに受験もがんばろうね。あたしも夏から頑張るから。」
「うん、一緒に大学生になろうな。」

 宙は、そういいながら、本当は絵羽のことで全く勉強は手につかず、担任から留年と脅されていることは絵羽には言えなかった。

「じゃあ、そろそろ時間だから、帰って勉強するよ。」
「うん、今日もありがとう。」

「うん、じゃあ。」
「あっ、宙・・・。」

 そういって宙を呼び止めた絵羽は甘えるようにキスをねだる仕草をした。

「絵羽・・・。」

 そんな絵羽の姿が愛おしくて心の中に何か熱いものがこみ上げてきた宙は、絵羽の一層細くなった肩をそっと抱いて、先ほどよりさらに優しくキスを交わした。
 
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