霧の魔法
『ヤバイな・・・ほんとに今度の試験で赤点あったら留年になるのかな。三隅(みすみ)(担任)はそう言って脅したけど・・・。』

 宙はかなり焦ってはいたが、一番大切なものは何かと考えると絵羽以外には思いつかない。

勉強や受験も本当は一生懸命しなければならないことは頭ではわかっていたが、気持ちがどうしても行動を起こせなかった。

 絵羽は今一生懸命病気と闘っている。

受験勉強だってしたくてもできない。

だから、俺も今は勉強をしないで絵羽が治ったら一緒に勉強を始めて、一緒に受験して、一緒に大学に行く。 

言い訳にも聞こえるが、宙にとっては何よりも『絵羽と一緒』ということが一番大事だった。

「はぁ、やっぱり勉強は無理だ。絵羽と一緒じゃなきゃだめだ。」

 そう言ってため息をついた。

ふと窓の外を見ると霧が立ち込めていた。

 霧を見ると、それはそのまま絵羽との出会いの時に記憶を遡(さかのぼ)らせる。

 宙が霧の外をボーっと眺めながら、絵羽とのことを考えていた時だった。

「ちょっと!宙!すぐ降りてらっしゃい!」

 母親が大声で呼ぶ声がして、うつろになっていたところだった宙はビクッと身体を起こした。

「なんだよ!こんな時間に大声出すなよ。近所迷惑だろ。」

 そう言いながら階段を下りて行くと母親がこわばった顔で電話の子機を持っていてそれを宙に差し出した。

「なに?電話?誰から?」
「・・・。」

 母親は、その問いに答えることなく、ピンと伸ばした子機を持つ手を宙の前に突き出したままだった。

「なんだよ。ったく・・・。」

 そういいながら、母親を一瞥(いちべつ)すると受話器を受け取った。

「はい、江口です。え?・・・なんですって?!ちょっと、お母さん!もっとちゃんと話してください!お母さん!!とにかく、今すぐ行きます!待っててください!」

 電話の相手は絵羽の母親だった。電話口で泣きながら言われたのは、絵羽が危篤状態だということだった。

それ以上は相手も取り乱していて全く話にならなかった。

 電話を切った宙は二階に上がり、上着だけ羽織った状態で玄関に向かった。

「お袋・・・。」

 玄関先に母親が仁王立ちしていた。

「いいかい、宙、あんたがしっかりしなきゃダメなんだよ。」

 急ぎ焦っている宙にわざとゆっくり噛み砕くように母親は言った。

その目は宙の目をまっすぐに見据えていた。

「わかった。大丈夫だよ俺は。」

 母親が言葉以上に伝えたかったことを理解した宙はそう言い返すとしっかりと靴ヒモを締めなおして玄関を出て行った。

 宙の乗った自転車は猛スピードで夜の街を駆けた。

母親の言葉で気持ちは落ち着いていたが、急がずにはいられなかった。
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