霧の魔法
第6話
霧多布岬
「やっとついた!」
霧多布岬にいくための浜中(はまなか)という駅に降りた宙は、大きく伸びをして、深呼吸をし、声を上げた。
今別の町から約半日、すでに日は西の空に傾きかけていた。
「やべぇ、宿見つけなきゃ。」
観光地とはいえ、北海道の中では小さな町だったので大きなホテルや旅館はなさそうだった。
とりあえず駅に向かい霧多布岬の近くの宿を紹介してもらった。
その宿までは浜中駅からバスを利用して役場前というバス停まで行き、そこから徒歩で五分くらいのところにあった。
とてもこじんまりとした小さな宿だった。
「いらっしゃいませ。ご予約ですか?」
「あ、先ほど駅の案内所で紹介を受けた者ですが。」
「あーはいはい、高校生の方ね。お待ちしてました。どちらからですか?」
「あ、えっと東京です。」
「あら、東京から?高校生なのに一人旅ですか?えらいですね。」
「あ、えらくはないです。」
「そうですか、確かにイマドキは高校生が夏休みに一人旅をするのは珍しくはないですけど、でも、ふつう、もっと大きな観光地に行くのにどうして、こんな辺鄙(へんぴ)なとこにお寄りですか?」
「あ、えっと霧多布岬、そこに行きたくて。」
「それが目的で?」
「はい。そうなんです。ここに来たくて。」
「変わってますね。あ、ごめんなさい。ここは岬の眺めは確かにきれいですけど、名前の通りほとんど霧がかかってその眺めも見られないことも多いですよ。お客様が滞在中に霧が晴れるかはわかりませんからね。」
「いいんです。その、霧を見に来たんですから。」
「霧を・・・ですか?」
「はい。」
「そうですか。」
少し怪訝(けげん)そうに、案内をしてくれた女将らしき人は、宙の顔を見つめた。
部屋に通された宙は、宿の窓から岬を眺めた。
女将が言っていたように、霧でほとんど岬の先の海は見られなかった。
すでに日も限っていたため、ほとんど風景はわからなかった。
夕食を済まし、風呂に入って、疲れていたので早めに床に入ったが、やはり絵羽のことは常に頭から離れなかった。
『絵羽、おまえは本当に俺の前からいなくなってしまったのか。おまえとの出会い、一緒に過ごした四ヶ月は、いったいなんだったんだ?』
その問に誰も答えることはなく、宙自身、空しい問とわかっていた。
そうこう考えているうちに、宙は旅の疲れが出て、寝入ってしまった。
そして、夢を見た。
絵羽が、出てきて遠くの方でにっこりと微笑んでいる。
宙は必至に近づこうとするが、その距離は全く縮まらない。
だんだんと息苦しくなっていくが、どうしても絵羽に近づけない。
でも、絵羽はずっと微笑んだままこちらを見ている。
「絵羽!いくなー!」
夢の中で大声で叫んでいるのに、その声は絵羽に届いていない。
そして、今度は絵羽のほうがどんどん遠ざかっていく。
「絵羽!いかないでくれー!」
絵羽の姿が今にも消え入りそうになったとき、どこからともなく、声が聞こえた。
「きっと、また会えるよ。」
その声は確かに絵羽の声だった。
「ハッ!はぁ、はぁ、夢・・・か。」
ぐっしょりと寝汗をかいた宙は、息を荒げて眼を覚ました。
時計は午前四時少し前だった。
もう一度寝ようとも思ったが、強烈な夢のおかげですっかり眼が冴えてしまった宙は、着替えて散歩に出た。
一歩外に出るとあたりは着いた時よりも霧が深くなり、ほとんど二、三メートル先が見えなかった。
「ちょうど、こんな霧の日だったな。絵羽と出会ったのは・・・。」
そんなことを、ぼーっと考えていた宙の目の前に急に光が現れ、その瞬間身体に衝撃を感じた。
ドン!キキッー!ガチャン!
何かにぶつかられて尻餅をついた。
「あいたたた。ちょっと、どこ見て歩いてんのよ!」
声のする方向を見ると微(かす)かなシルエットで座り込んでいる誰かがいた。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
立ち上がった宙はその声の方向に歩いていった。
近づいてみると自転車が転がっていて、そのすぐ傍(そば)に後ろ向きに座り込んだ女性がいた。
「大丈夫ですか?怪我しました?」
「大丈夫じゃないわよ。いきなりぶつかってくるから。」
さっきよりは女性のトーンは下がっていたが、怪我をしているらしく声が弱々しかった。
「すみません。霧で何も見えずに、光が見えたと思ったらよけられずに・・・。」
「もう、わかったわよ。あんたここの土地のもんじゃないでしょ?」
座り込んだ女性は尋ねてきた。
「あ、はい、昨日着いたばかりで・・・東京から観光で来たんです。」
「だろうと思ったわ。ここの者ならこの霧も慣れてるからすぐ気配を感じて避けられるもんね。」
「はぁ、すみません。大丈夫ですか?手を貸しますか?」
「うん、起こしてくれる?」
「あ、はい。」
そういうと宙はその女性を後ろから腕をもつようにして抱え上げた。
「ふぅ、ありがとう。」
そういって振り返ると眼鏡を掛けた同い年くらいの女の子だった。
霧が深く、暗さもあってその顔ははっきりとわからなかったが、どうにか身体の方は大丈夫そうだった。
「ありがとう。さっきは気が動転していて怒鳴って悪かったわ。私の家、すぐそこだから、もう、大丈夫よ。」
「そうですか、じゃあ、そこまで送りますよ。自転車持ちます。」
「そう、じゃ、お願いしようかな。」
「はい。」
そういうと、宙は転がっている自転車を起こし、彼女の横に並んだ。
「東京から来たって言ったけど、なんでこんな時間に出歩いているの?それに、こんなところに来たの?たいした名所もないのに。」
「あ、寝てたんですけど眼が覚めちゃって、散歩してたんです。それに、ここ、霧多布に来たかったんです。」
「霧多布に?なんで?」
「あ、ん~理由は色々なんですけど、とにかくここに来たかったんです。」
「そう、変わってるね。あんた。」
「そうですかね。やっぱりそうですか?」
「そうね。あまりそういう人はいないわね。ところで歳いくつ?」
「はぁ、高2、17です。」
「あ、なんだ!じゃああたしとタメじゃん。」
「え?そうなんですか?」
「いいよ。タメなんだからため口で。」
「あ、そうですか・・・じゃなくて、そうなんだ?」
「あははは、やっぱ変わってるね、あんた。名前は?」
「宙、宇宙の宙って書いて宙だよ。」
「ソラ?名前も変わってるね。私は葵、水戸黄門の葵の紋章のアオイってわかる?」
「うん、なんとなく、一文字で書くアオイだよね?」
「そう、たぶんそれ。」
「あははは、なんか君も変わってるね。」
「なによ。いきなり失礼じゃない!」
「先に言ったのは君だよ。」
「あ、そうか。あははは、そうだね。これでおあいコだ。」
「あははは、そうだね。」
「あ、わたしんちすぐそこだから、もういいよ。」
「あ、そう。じゃ、気をつけて。」
「宙こそ、気をつけなよ。あんた来た道わかってる?霧が深いから迷うかもよ。」
「え?だって一本道だったよね。」
「あ、それはわかってたんだ。」
「当たり前だろ。いくら土地のもんじゃなくてもわかるよ。」
「そっか、それは失礼致しました。」
「なんか・・・、初めて会った気がしないな。」
「そう?そうね。なんか、同い年だからかな。実はこの辺、若者いないのよ。それで、ちょっとうれしくなっちゃってさ。」
「そう。じゃ、俺帰るね。」
「うん。」
「じゃ、」
「あ、宙!」
「ん?」
「あのさ、ここにはいつまでいるの?」
「うーん、あと三日くらいかな。」
「そうなんだ・・・、じゃあさ、明日、いや今日なんか予定あるの?」
「え?いや別にないけど。」
「そうなんだ。じゃあ・・・案内するよ、この辺。どう・・・かな?」
「え?それはありがたいけど。葵・・・さんこそ、予定ないの?」
「葵でいいよ。それに予定ないから誘ってるんじゃん。」
「そっか、そうだよな。じゃあ、お願いしようかな。」
「ほんと!じゃあ、朝、朝食の後、九時くらいにそっちの宿行くよ。」
「うん、じゃあ、宿の玄関で待ってる。」
「うん、じゃあ、あとで。」
「うん、またあとで。」
こうして、葵と宙は約束を交わして別れた。
少し恥ずかしそうに葵は振り返らず小走りに霧の中へと消えていった。
「ふう、なんか、へんだな。なんか・・・絵羽と話しているみたいな錯角に陥った。葵・・・か。」
そうつぶやくと宙も元来た道を宿へと戻っていった。
霧多布岬にいくための浜中(はまなか)という駅に降りた宙は、大きく伸びをして、深呼吸をし、声を上げた。
今別の町から約半日、すでに日は西の空に傾きかけていた。
「やべぇ、宿見つけなきゃ。」
観光地とはいえ、北海道の中では小さな町だったので大きなホテルや旅館はなさそうだった。
とりあえず駅に向かい霧多布岬の近くの宿を紹介してもらった。
その宿までは浜中駅からバスを利用して役場前というバス停まで行き、そこから徒歩で五分くらいのところにあった。
とてもこじんまりとした小さな宿だった。
「いらっしゃいませ。ご予約ですか?」
「あ、先ほど駅の案内所で紹介を受けた者ですが。」
「あーはいはい、高校生の方ね。お待ちしてました。どちらからですか?」
「あ、えっと東京です。」
「あら、東京から?高校生なのに一人旅ですか?えらいですね。」
「あ、えらくはないです。」
「そうですか、確かにイマドキは高校生が夏休みに一人旅をするのは珍しくはないですけど、でも、ふつう、もっと大きな観光地に行くのにどうして、こんな辺鄙(へんぴ)なとこにお寄りですか?」
「あ、えっと霧多布岬、そこに行きたくて。」
「それが目的で?」
「はい。そうなんです。ここに来たくて。」
「変わってますね。あ、ごめんなさい。ここは岬の眺めは確かにきれいですけど、名前の通りほとんど霧がかかってその眺めも見られないことも多いですよ。お客様が滞在中に霧が晴れるかはわかりませんからね。」
「いいんです。その、霧を見に来たんですから。」
「霧を・・・ですか?」
「はい。」
「そうですか。」
少し怪訝(けげん)そうに、案内をしてくれた女将らしき人は、宙の顔を見つめた。
部屋に通された宙は、宿の窓から岬を眺めた。
女将が言っていたように、霧でほとんど岬の先の海は見られなかった。
すでに日も限っていたため、ほとんど風景はわからなかった。
夕食を済まし、風呂に入って、疲れていたので早めに床に入ったが、やはり絵羽のことは常に頭から離れなかった。
『絵羽、おまえは本当に俺の前からいなくなってしまったのか。おまえとの出会い、一緒に過ごした四ヶ月は、いったいなんだったんだ?』
その問に誰も答えることはなく、宙自身、空しい問とわかっていた。
そうこう考えているうちに、宙は旅の疲れが出て、寝入ってしまった。
そして、夢を見た。
絵羽が、出てきて遠くの方でにっこりと微笑んでいる。
宙は必至に近づこうとするが、その距離は全く縮まらない。
だんだんと息苦しくなっていくが、どうしても絵羽に近づけない。
でも、絵羽はずっと微笑んだままこちらを見ている。
「絵羽!いくなー!」
夢の中で大声で叫んでいるのに、その声は絵羽に届いていない。
そして、今度は絵羽のほうがどんどん遠ざかっていく。
「絵羽!いかないでくれー!」
絵羽の姿が今にも消え入りそうになったとき、どこからともなく、声が聞こえた。
「きっと、また会えるよ。」
その声は確かに絵羽の声だった。
「ハッ!はぁ、はぁ、夢・・・か。」
ぐっしょりと寝汗をかいた宙は、息を荒げて眼を覚ました。
時計は午前四時少し前だった。
もう一度寝ようとも思ったが、強烈な夢のおかげですっかり眼が冴えてしまった宙は、着替えて散歩に出た。
一歩外に出るとあたりは着いた時よりも霧が深くなり、ほとんど二、三メートル先が見えなかった。
「ちょうど、こんな霧の日だったな。絵羽と出会ったのは・・・。」
そんなことを、ぼーっと考えていた宙の目の前に急に光が現れ、その瞬間身体に衝撃を感じた。
ドン!キキッー!ガチャン!
何かにぶつかられて尻餅をついた。
「あいたたた。ちょっと、どこ見て歩いてんのよ!」
声のする方向を見ると微(かす)かなシルエットで座り込んでいる誰かがいた。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
立ち上がった宙はその声の方向に歩いていった。
近づいてみると自転車が転がっていて、そのすぐ傍(そば)に後ろ向きに座り込んだ女性がいた。
「大丈夫ですか?怪我しました?」
「大丈夫じゃないわよ。いきなりぶつかってくるから。」
さっきよりは女性のトーンは下がっていたが、怪我をしているらしく声が弱々しかった。
「すみません。霧で何も見えずに、光が見えたと思ったらよけられずに・・・。」
「もう、わかったわよ。あんたここの土地のもんじゃないでしょ?」
座り込んだ女性は尋ねてきた。
「あ、はい、昨日着いたばかりで・・・東京から観光で来たんです。」
「だろうと思ったわ。ここの者ならこの霧も慣れてるからすぐ気配を感じて避けられるもんね。」
「はぁ、すみません。大丈夫ですか?手を貸しますか?」
「うん、起こしてくれる?」
「あ、はい。」
そういうと宙はその女性を後ろから腕をもつようにして抱え上げた。
「ふぅ、ありがとう。」
そういって振り返ると眼鏡を掛けた同い年くらいの女の子だった。
霧が深く、暗さもあってその顔ははっきりとわからなかったが、どうにか身体の方は大丈夫そうだった。
「ありがとう。さっきは気が動転していて怒鳴って悪かったわ。私の家、すぐそこだから、もう、大丈夫よ。」
「そうですか、じゃあ、そこまで送りますよ。自転車持ちます。」
「そう、じゃ、お願いしようかな。」
「はい。」
そういうと、宙は転がっている自転車を起こし、彼女の横に並んだ。
「東京から来たって言ったけど、なんでこんな時間に出歩いているの?それに、こんなところに来たの?たいした名所もないのに。」
「あ、寝てたんですけど眼が覚めちゃって、散歩してたんです。それに、ここ、霧多布に来たかったんです。」
「霧多布に?なんで?」
「あ、ん~理由は色々なんですけど、とにかくここに来たかったんです。」
「そう、変わってるね。あんた。」
「そうですかね。やっぱりそうですか?」
「そうね。あまりそういう人はいないわね。ところで歳いくつ?」
「はぁ、高2、17です。」
「あ、なんだ!じゃああたしとタメじゃん。」
「え?そうなんですか?」
「いいよ。タメなんだからため口で。」
「あ、そうですか・・・じゃなくて、そうなんだ?」
「あははは、やっぱ変わってるね、あんた。名前は?」
「宙、宇宙の宙って書いて宙だよ。」
「ソラ?名前も変わってるね。私は葵、水戸黄門の葵の紋章のアオイってわかる?」
「うん、なんとなく、一文字で書くアオイだよね?」
「そう、たぶんそれ。」
「あははは、なんか君も変わってるね。」
「なによ。いきなり失礼じゃない!」
「先に言ったのは君だよ。」
「あ、そうか。あははは、そうだね。これでおあいコだ。」
「あははは、そうだね。」
「あ、わたしんちすぐそこだから、もういいよ。」
「あ、そう。じゃ、気をつけて。」
「宙こそ、気をつけなよ。あんた来た道わかってる?霧が深いから迷うかもよ。」
「え?だって一本道だったよね。」
「あ、それはわかってたんだ。」
「当たり前だろ。いくら土地のもんじゃなくてもわかるよ。」
「そっか、それは失礼致しました。」
「なんか・・・、初めて会った気がしないな。」
「そう?そうね。なんか、同い年だからかな。実はこの辺、若者いないのよ。それで、ちょっとうれしくなっちゃってさ。」
「そう。じゃ、俺帰るね。」
「うん。」
「じゃ、」
「あ、宙!」
「ん?」
「あのさ、ここにはいつまでいるの?」
「うーん、あと三日くらいかな。」
「そうなんだ・・・、じゃあさ、明日、いや今日なんか予定あるの?」
「え?いや別にないけど。」
「そうなんだ。じゃあ・・・案内するよ、この辺。どう・・・かな?」
「え?それはありがたいけど。葵・・・さんこそ、予定ないの?」
「葵でいいよ。それに予定ないから誘ってるんじゃん。」
「そっか、そうだよな。じゃあ、お願いしようかな。」
「ほんと!じゃあ、朝、朝食の後、九時くらいにそっちの宿行くよ。」
「うん、じゃあ、宿の玄関で待ってる。」
「うん、じゃあ、あとで。」
「うん、またあとで。」
こうして、葵と宙は約束を交わして別れた。
少し恥ずかしそうに葵は振り返らず小走りに霧の中へと消えていった。
「ふう、なんか、へんだな。なんか・・・絵羽と話しているみたいな錯角に陥った。葵・・・か。」
そうつぶやくと宙も元来た道を宿へと戻っていった。