嘘つきは恋のはじまり
もやもやを抱えたまま、いつも通り会社を出て病院へ向かう。
母はまだ手術後のリハビリ中だ。

「お母さんが退院したら、私も実家に戻ろうか?」

そんな提案をしてみる。
一人暮らしといっても実家に近いところに住んでいるのだ。実家に戻ったところで通勤に困ることはないし、退院後の母の手伝いもできる。
そんな私に、母はしれっと言う。

「あんたの気持ちは嬉しいけど、ますますあんたが結婚できなくなるからお断りよ。」

ぐっと言葉に詰まり苦笑いをすると、母は私を見据えた。

「大地くん、彼氏じゃないんでしょ?何年あんたのお母さんをやってると思ってるの?お見通しよ、お見通し。」

さらりと言い放たれ、私は更に言葉に詰まった。
言い返せないでいると、それを肯定と受け取ったのか、母が笑いながら言う。

「咲良のその遠慮深い性格、誰に似たのかしらねぇ。」

「…お父さんだよね?」

「ほんとそっくりよ。その優しいところ。咲良、後悔しないように生きなさい。いつまでも遠慮してると手が届くものも届かなくなるわよ。」

笑いながらも重みのある母の言葉に、胸に何かが突き刺さったような感覚に陥った。

手が届くものも届かなくなる。

まさに今の私に他ならない。
むしろ、すでに届かなくなっているのではないだろうか。
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