フェイク×ラバー
「……きょ、拒否権はあるんでしょうか?」
こちらとしては、謝罪とクリーニング代の支払いが、一番後腐れがなくて理想的。
そりゃ加害者はこっちで、被害者はそちらだけど、彼女役というのは無理がある。
自分で言うと悲しくなるが、狼谷 はじめの彼女役に、自分は相応しくない。誰がどう見ても、つり合いが取れてない。
絶対にその場しのぎ、偽物の恋人だと見破られる。
「断ってもいいけど、あのスーツ、結構高いんだよね。クリーニングに出すより、買い替えた方が早いかもなぁ」
「…………」
なんて意地悪な人なんだろう。
断ってもいいと言いながら、実際は断るな、と言っている。
「……私なんかを選ばなくても……」
他にいくらでもいるだろうに。
極論、そこら辺を歩いている女性に声をかけても、狼谷 はじめなら成功するような気がする。
でもそんなこと、この人はしないんだろうな。
「これが最善だと思うから、君を選んだ。妥協したわけじゃない」
なんて自信満々に話す人なんだろう。
やっぱり自分とは真逆のタイプだ。
だからこそわかる。わかってしまう。
彼女役を引き受けない限り、昼の一件が解決されることはないのだと。
「……わかりました」
決して納得したわけじゃない。
不承不承。仕方なくだ。
この選択が彼にとって最良だと言うのなら、この承諾は自分にとっての最善。
そう信じるしかない。
「それはよかった。断られたらどうしようかと思ってたんだ」
……嘘くさいな。
もはや美雪の目に、狼谷 はじめは“王子様”として映らない。
でも今の彼の方が、人間味があっていいと思う。好ましいとは思えないけど。
「じゃあ早速、連絡先の交換をしようか。それから、いくつかの取り決めも」
「取り決め、ですか?」
「必要だと思うよ、君のためにもね」
そう言って、はじめは手帳を取り出す。
「まず当日は、俺のことを名前で呼ぶこと」
「……善処します」
取り決めってそういう意味ね。
少しだけ熱さの和らいだカップを手に、美雪は几帳面なはじめの字を目で追う。
こういうところにも性格って出るのか。
非常に読みやすい字だ。
「あの」
「ん?」
「お兄さん、ご結婚おめでとうございます」
「…………ああ、ありがと」
「…………?」
何か間違えただろうか?
はじめの声がワントーン、低くなったような気がした。
それに浮かない顔つきになったような……。
気のせいだろうか? 気のせいということにしておこう。
深く関わる必要はない。
どうせこの繋がりは、細く短く、一瞬で終わってしまうのだから。