硝子の恋

油絵って乾くのにどれくらいかかるんだろ?

それにあの大きさの絵を持って電車に乗るのって大変じゃない?

そんな事を考えつつも、私はあの絵の事で頭がいっぱいになっていた。

「山下さん、ご機嫌ね」

「はい、嬉しいことがあったんです」

「よかったわね。この頃、嫌なことが続いていたから神様からのご褒美かもよ?じゃあ私はこれで」

そう言って矢野さんは帰っていった。

喫茶店には今お客さんはいない。今のうちに掃除しちゃおうと、私はモップを取り出した。

食品を扱っているんですもの。不潔だと困りますわ。

というのがシンジョーで、お客さんがいない時間を見計らっては掃除をしていた。

もちろん、お客さんが来たら掃除は止めて接客するけどね。

コツ……お客さんの足音が聞こえた。

「いらっしゃいませー……って政さん」

「やぁ、その後どう?」

「大丈夫です。政さんも、今日はバイトの日ですか?」

「いや、今日はバイトじゃないよ。バイトがある日はこの時間だと遅刻だよ」

そう言えば、政さんは私が入るときによく帰っていったっけ。

「もしかして、いつものはバイト前の一服ってやつですか?」

「タバコじゃないんだから……でも、ま、そんなところかな」

そう言うと政さんはカウンターに座った。

「じゃあ、今日はモカマタリで」

なぜかは分からないけれど、政さんの顔を見れただけでココロが晴れる。

そんな浮き足だったとき、またお客さんが来た。

「いらっしゃいま……せ……」

あのおじいさんだ。おじいさんはカウンターに座ると「アメリカンを」とだけ注文した。

カウンターのあたりで咳をする音が。わざとらしく咳をしたのは政さん。

おじいさんは急に小さくなったようにこそこそとカウンター席から窓際の席に移動した。

「山下さん、今日もまた一緒に帰ろうか」

そんな事を政さんが大きな声で言った。

「え?あの……」

政さんの目はちらちらとおじいさんを見ている。どうやら政さんはおじいさんを意識しているらしい。

わたしも、おじいさんに家までついてこられるのは嫌だし……

「いいですよ」

私の言葉にびっくりしたのか、おじいさんの目がくわっと見開いた。
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