偶然でも運命でもない
16.ウーロン茶を君に
数杯目のビールのジョッキをからにして、響子が手を挙げた。
そのままこちらを見上げて、「ご飯、おかわりいる?」と訊いてくる。
「いらないです。」
即座に答えて振り返ると、店員が立っていた。
響子がビール、と口を開きかけたので、慌てて「ウーロン茶!2つください。」と、でかい声で注文する。
もう、これ以上飲ませるわけにはいかない。
酔っ払ってタコのようにぐにゃぐにゃになって帰ってくる叔父を思い出して、あれは、何をどのくらいの量を飲むとああなるのだろう…と思う。
未成年で酒を知らない大河にとって、酔った大人は未知の生き物だ。響子が未知の生き物のようになるのは想像したくなかった。
「ウーロン茶2つで。」
店員が復唱して立ち去るのを見送って、響子に視線を戻す。彼女はこちらを見上げて不満気な顔をしていた。
狭い席に並んで座っているせいで、普段よりもずっと顔が近い。
上目使いの潤んだ瞳に、柔らかく濡れた唇。
シュシュでまとめた長い髪。
耳の先がほんのりと紅く染まっている。
細い首に絡む華奢なネックレス、胸元まで深く開いた襟の白いブラウス。中に着けた黒いインナー。
近くなければわからない響子の甘く柔らかな香り。
大河は自分の喉が鳴るのに気づいて、慌てて視線を逸らす。
「なーんで、ウーロン茶なのよ。」
「響子さん、飲み過ぎ。」
「そんな言うほど飲んでないわよ。」
「それ、何杯目?」
「まだ3杯。大丈夫よ。明日、休みだし。」
「そういう問題じゃないです。」
「つまんないのー。」
「……それは、俺が酒も飲めない子供だから?」
「ちがうよー。」
彼女の言葉に、きっと深い意味はない。
楽しい遊びを取り上げられた子供のように、ただ口をついて出た言葉が、それだっただけなのだろう。
ざわざわとした店内の喧騒のなかで、このテーブルにだけ静寂が訪れたようなそんな瞬間。
「はい、ウーロン茶2つ!お待ちどうさまです!」
威勢の良い声と共に二人の間に大きなグラスが置かれる。
空いたジョッキと皿を素早く片付けて店員はすぐにカウンターへと消えていく。
響子はグラスを手にすると、一口飲んでテーブルに戻した。
「大河くんさ、もし、キミが高校生じゃなかったら。私とキミは出会ってたと思う?」
「どうでしょう?……俺は、出会いたいけど。」
「じゃあ、出会ってたとして。私達がこうして、ここで肉を焼くことがあると思う?」
「あったとして。俺は、響子さんの為にウーロン茶を頼むでしょうね。」
彼女が何を言いたいのか全くわからないけれど。
いつも響子はこんな風に、誰かと酒を飲みに行くのだろうか?
酔って、誰か、俺以外の男にも寄りかかって笑うのだろうか……?
それは嫌だな、そう思って溜息をつく。
俺以外の男の前で酒を飲むのはやめてくれ、と、言いたくなった。そんな立場でもないけど。
響子の細い指が小皿に取り分けた肉にギュッとレモンを絞って、美味そうに頬張る。その横顔は機嫌を損ねた風でもなく、楽しそうだ。
皿に取り残された飾りみたいな人参を生のままパリパリと齧っていると、響子がおもむろに振り返って、真面目な顔をした。
「私、きっと、大河くんが高校生じゃなくても、ここで一緒に肉を焼いていると思う。」
「え。なんで?」
「だって、そう思ってた方が楽しいじゃない?人生が。」
「そういうもんです?」
「うん。たとえ、ウーロン茶を頼むような男だったとしても。一緒にいたら、きっと、楽しいと思う。」
「響子さん、俺のことバカにしてるでしょ。」
「ううん。ほんとに。きっと楽しいと思うよ。だって、今、私、すごく楽しいもん。」
楽しいもん。そう言って、彼女は俺の顔を覗き込むようにして笑った。
それは、誇張ではなく心からの言葉なのだろう。
グラスに残ったウーロン茶を飲み干して、「出ようか、お腹いっぱいだし。」そう言って響子は立ち上がる。
慌てて立ち上がって、向かいの席に置いたコートを響子に着せると、自分も上着を羽織る。
そのままこちらを見上げて、「ご飯、おかわりいる?」と訊いてくる。
「いらないです。」
即座に答えて振り返ると、店員が立っていた。
響子がビール、と口を開きかけたので、慌てて「ウーロン茶!2つください。」と、でかい声で注文する。
もう、これ以上飲ませるわけにはいかない。
酔っ払ってタコのようにぐにゃぐにゃになって帰ってくる叔父を思い出して、あれは、何をどのくらいの量を飲むとああなるのだろう…と思う。
未成年で酒を知らない大河にとって、酔った大人は未知の生き物だ。響子が未知の生き物のようになるのは想像したくなかった。
「ウーロン茶2つで。」
店員が復唱して立ち去るのを見送って、響子に視線を戻す。彼女はこちらを見上げて不満気な顔をしていた。
狭い席に並んで座っているせいで、普段よりもずっと顔が近い。
上目使いの潤んだ瞳に、柔らかく濡れた唇。
シュシュでまとめた長い髪。
耳の先がほんのりと紅く染まっている。
細い首に絡む華奢なネックレス、胸元まで深く開いた襟の白いブラウス。中に着けた黒いインナー。
近くなければわからない響子の甘く柔らかな香り。
大河は自分の喉が鳴るのに気づいて、慌てて視線を逸らす。
「なーんで、ウーロン茶なのよ。」
「響子さん、飲み過ぎ。」
「そんな言うほど飲んでないわよ。」
「それ、何杯目?」
「まだ3杯。大丈夫よ。明日、休みだし。」
「そういう問題じゃないです。」
「つまんないのー。」
「……それは、俺が酒も飲めない子供だから?」
「ちがうよー。」
彼女の言葉に、きっと深い意味はない。
楽しい遊びを取り上げられた子供のように、ただ口をついて出た言葉が、それだっただけなのだろう。
ざわざわとした店内の喧騒のなかで、このテーブルにだけ静寂が訪れたようなそんな瞬間。
「はい、ウーロン茶2つ!お待ちどうさまです!」
威勢の良い声と共に二人の間に大きなグラスが置かれる。
空いたジョッキと皿を素早く片付けて店員はすぐにカウンターへと消えていく。
響子はグラスを手にすると、一口飲んでテーブルに戻した。
「大河くんさ、もし、キミが高校生じゃなかったら。私とキミは出会ってたと思う?」
「どうでしょう?……俺は、出会いたいけど。」
「じゃあ、出会ってたとして。私達がこうして、ここで肉を焼くことがあると思う?」
「あったとして。俺は、響子さんの為にウーロン茶を頼むでしょうね。」
彼女が何を言いたいのか全くわからないけれど。
いつも響子はこんな風に、誰かと酒を飲みに行くのだろうか?
酔って、誰か、俺以外の男にも寄りかかって笑うのだろうか……?
それは嫌だな、そう思って溜息をつく。
俺以外の男の前で酒を飲むのはやめてくれ、と、言いたくなった。そんな立場でもないけど。
響子の細い指が小皿に取り分けた肉にギュッとレモンを絞って、美味そうに頬張る。その横顔は機嫌を損ねた風でもなく、楽しそうだ。
皿に取り残された飾りみたいな人参を生のままパリパリと齧っていると、響子がおもむろに振り返って、真面目な顔をした。
「私、きっと、大河くんが高校生じゃなくても、ここで一緒に肉を焼いていると思う。」
「え。なんで?」
「だって、そう思ってた方が楽しいじゃない?人生が。」
「そういうもんです?」
「うん。たとえ、ウーロン茶を頼むような男だったとしても。一緒にいたら、きっと、楽しいと思う。」
「響子さん、俺のことバカにしてるでしょ。」
「ううん。ほんとに。きっと楽しいと思うよ。だって、今、私、すごく楽しいもん。」
楽しいもん。そう言って、彼女は俺の顔を覗き込むようにして笑った。
それは、誇張ではなく心からの言葉なのだろう。
グラスに残ったウーロン茶を飲み干して、「出ようか、お腹いっぱいだし。」そう言って響子は立ち上がる。
慌てて立ち上がって、向かいの席に置いたコートを響子に着せると、自分も上着を羽織る。