偶然でも運命でもない
26.届かぬ指先
「響子さん、指先、真っ赤じゃん。」
「うん。手袋、買わなきゃとは思うんだけど。」
響子はそう言って、鞄から取り出したポーチにハンドクリームをしまい、自分の指先を眺める。
昔から、手が小さいことがコンプレックスだった。婦人物の手袋は指先が余る。好みのデザインで小さいサイズのあるものを探すのに苦労して、毎年買わずに諦めてしまうのだ。
コートのポケットに入れようとしたその手を、大河が掴んで「ちょっと待って。」と、引き止める。
「ポケットに手を入れるのは、よくないんじゃないの?」
大河は優等生の顔をして、響子を覗き込んだ。モコモコした手袋をはめたまま、両手で響子の両手をまとめて包み込むようにする。
胸の前で、手を取り合って祈るみたいな、そんな仕草。
「いいのよ。トレンチとかの、こうやって横向きについてるポケットは、物を入れる為じゃなくて指先を温める為のポケットだから。」
「そうなの?」
「ハンドウォームポケットっていうのよ。」
「ほんとに?」
「パーカーのポケットがお腹で繋がってるのあるでしょ?あれはマフポケット。マフラーとかイヤマフとかハンドマフとかのマフ。」
「マフ?」
「マフ……まふまふしてるから、マフ?」
「知らないんじゃん。」
「……あとで調べとく。」
顔を見合わせて笑う。
「そのポケットが手を温めるものだってのはわかった。でも、やっぱり、手袋はした方がいいよ。」
大河は、モコモコした手袋から自分の手を引き抜いて、手袋をこちらに差し出してきた。
「よかったら、使って。」
「ありがとう。じゃあ、電車来るまでね。」
受け取った手袋に指先を滑り込ませる。大河が外したばかりのそれは彼の体温が残っていて、想像した以上に暖かい。
大河の手袋は響子の手のひらが全て収まっても、その指先はかろうじて手袋の指の別れ目の先に届く程度だ。
「あったかい。……ね、大河くん、見てこれ。」
響子はその手を大河に見せて、指先を動かして笑う。
「この手袋、超おっきいね。」
「いや、響子さん、それマジ?普通のサイズだけど。……響子さんの手が小さすぎるんだよ。」
「……知ってる。」
大河は手を伸ばして、手袋の指先を摘んだ。響子の指先を探して、何も入っていない部分を折るようにすると、口許を緩める。
「ほんとに小さい。」
「私ね、自分の手が小さいのずっと嫌だったんだけど。」
「うん。」
「お父さんが“響子の手の小ささは、彼氏が出来たら相手は絶対喜ぶよ”って。」
「うん。」
「でもね、お父さんが言ってたこと、いまだによくわからない。……大河くんも嬉しかったりするの?彼女の手が小さいの。」
手が小さいのは、単純に不便だ。
他の人が片手で出来ることが、両手を使わないと出来ないこともある。
「俺は彼女いたことないから、わかんないけど。でも、女の子の手が小さいと安心するするかも。」
「なんで?」
大河の大きな掌。手を繋いで得られる、包み込まれ、守られる安心感。大きい手に安心感を与えられるというのは響子にもわかる。
逆に。小さい手に感じる安心感って何だろう?
「自分の方が大きいって“守ってる”みたいな感じ。」
大河は自分の手を広げて眺めている。彼は少し考える顔をしたあと、その手を何度も開いたり握ったりして、ふいに噴き出した。なるほど、と小さく呟いて笑いながら響子の顔を見る。
「いろんなものが大きくなったような感じがする。」
「……?」
「あー……。例えば、スマホとか。同じものを持ったとして、俺が片手で持てるものを響子さんが両手で持つとしたら、そのスマホが大きく見えるでしょ?」
「まあ、確かに。」
「両手で持つってところも可愛いって思うし。……確かにちょっと嬉しいかも。」
響子は大河の手袋の中で指先を動かしてみる。
「なるほど。よくわかんない。」
何がそんなに楽しいのかわからないが、閉じた口角をキュッと上げて目を細める大河を見て、響子は手袋を外して大河に返す。
大河はそれをそのまま鞄に突っ込むと「わかんなくていいよ。きっと深い意味はないんじゃないかな。」と呟いた。
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