偶然でも運命でもない
4.ゆっくりと滑り出す
ドアが、閉まりまーす……
独自のイントネーションで車掌がアナウンスする。
電車のドアが閉まって、ゆっくりと動き出す。
滑るようにホームを出て行く電車をベンチに座ったまま見送って、大河は溜息をついた。
先週、電車の中で、シュシュを拾った。
あれから1週間が経った。
落とし主には、今日も、会えなさそうだ。
単語帳がわりの、小さなメモノートに目を落とす。
受験生の身だ。本来なら真っ直ぐに帰って、勉強をしないといけないのだろう。
しかし、このシュシュを直接、その人に返したかった。
いつも、美しい立ち姿でじっと窓の外を見る彼女。
出来るなら、話をしてみたい。
親友の海都に“それは恋”と言われて、この気持ちをスルー出来なくなった。
きっと、真っ直ぐに帰ったとして、集中出来ない。
学校帰り、時間を決めて、駅のホームで彼女が現れるのを待ちながら、ひたすらに単語帳をめくる。内容はほぼ全て覚えてしまった。次のノートを作らないとな…と思う。
スマホを取り出して時計をみる。
20:30
次の電車に乗ろう。
平均よりも大柄な男子とはいえ、まだ未成年だ。あまり遅いと、叔母さんは心配するだろう。
大河は叔父夫妻の家に居候中だ。
やりたい勉強を出来るところに進学したくて、親父に相談して県外の高校を受験した。
学校から電車で20分。通学には便利なところに住む叔父が、空いている部屋があるからと、住まわせてくれている。
お陰で、衣食住には困らない。
家庭の事情が複雑なわけではないが、周囲の人間は気を遣って家の話をあまりしない。
大学への進学は考えていないわけではないが、早く社会に出て父の仕事を手伝いたかった。
家族は何も言わないが、教師やクラスメイトたちには、進学しないなんて勿体ない、あいつは変わり者だと、事あるごとに言われ、考え方の違いを思い知らされた。
ただ、自分のやりたいように自由に生きることが、こんなにも特殊な扱いを受けるとは、高校を受験する時は考えることもなかった。
アナウンスと共に、次の電車がゆっくりとホームに入ってくる。
顔を上げると、少し離れた場所で見慣れた後ろ姿が立ち止まるのが見えた。
2両目の先頭側ドア。
その前に立って彼女は、ドアが開くのを待つ。
電車に乗り込むのを眺めていると、出発のアナウンスが流れた。
慌てて鞄を掴み、目の前のドアに駆け込む。
自分の後ろでドアが閉まった。
大きく息をついて、空いていた端の席に腰をおろすと、向かいに座った制服の女子が二人、くすくすと笑って肩を寄せる。
ドアの前、姿勢の良いその後ろ姿を眺めながら、どうやって話掛けようか考える。
《あの、シュシュ、落としましたよ。》
……いや、違う。
今、落としたわけじゃないし。タイムラグがありすぎる。
《お姉さん、これを。》
跪いてシュシュを差し出す。
……うっわ、気持ち悪。お前は一体なんなんだ。
《すいません、先週、ここでシュシュ落としませんでした?》
……これだ。これで行こう。
これなら自然だ。きっと警戒されることもない。
待てよ……急に立ち上がって、車内で話掛けたら、警戒されるだろうか……?
落ち着こう。落ち着いて、駅に着いたら一緒に降りてホームで渡そう。
そう思って、目を閉じる。
電車は流れるように人を運ぶ。
いくつかの駅で、ゆっくりと停車して人を吐き出すと、新たに乗客を乗せて、再びゆっくりと滑りだす。
彼女の降りる駅名がアナウンスされて、またゆっくりと電車が停車した。
ホームに降りると、階段を駆け上がる彼女の姿が見える。
慌ててその後ろ姿を追うが、彼女の足は予想以上に速くて、手が届く範囲まで追いつけない。
そのままの勢いで、改札まで追いかけて、ICカードを翳して改札を通り抜ける。
しまった!と、思った時にはもう遅かった。
考えるよりも先に、手を伸ばしていた。
独自のイントネーションで車掌がアナウンスする。
電車のドアが閉まって、ゆっくりと動き出す。
滑るようにホームを出て行く電車をベンチに座ったまま見送って、大河は溜息をついた。
先週、電車の中で、シュシュを拾った。
あれから1週間が経った。
落とし主には、今日も、会えなさそうだ。
単語帳がわりの、小さなメモノートに目を落とす。
受験生の身だ。本来なら真っ直ぐに帰って、勉強をしないといけないのだろう。
しかし、このシュシュを直接、その人に返したかった。
いつも、美しい立ち姿でじっと窓の外を見る彼女。
出来るなら、話をしてみたい。
親友の海都に“それは恋”と言われて、この気持ちをスルー出来なくなった。
きっと、真っ直ぐに帰ったとして、集中出来ない。
学校帰り、時間を決めて、駅のホームで彼女が現れるのを待ちながら、ひたすらに単語帳をめくる。内容はほぼ全て覚えてしまった。次のノートを作らないとな…と思う。
スマホを取り出して時計をみる。
20:30
次の電車に乗ろう。
平均よりも大柄な男子とはいえ、まだ未成年だ。あまり遅いと、叔母さんは心配するだろう。
大河は叔父夫妻の家に居候中だ。
やりたい勉強を出来るところに進学したくて、親父に相談して県外の高校を受験した。
学校から電車で20分。通学には便利なところに住む叔父が、空いている部屋があるからと、住まわせてくれている。
お陰で、衣食住には困らない。
家庭の事情が複雑なわけではないが、周囲の人間は気を遣って家の話をあまりしない。
大学への進学は考えていないわけではないが、早く社会に出て父の仕事を手伝いたかった。
家族は何も言わないが、教師やクラスメイトたちには、進学しないなんて勿体ない、あいつは変わり者だと、事あるごとに言われ、考え方の違いを思い知らされた。
ただ、自分のやりたいように自由に生きることが、こんなにも特殊な扱いを受けるとは、高校を受験する時は考えることもなかった。
アナウンスと共に、次の電車がゆっくりとホームに入ってくる。
顔を上げると、少し離れた場所で見慣れた後ろ姿が立ち止まるのが見えた。
2両目の先頭側ドア。
その前に立って彼女は、ドアが開くのを待つ。
電車に乗り込むのを眺めていると、出発のアナウンスが流れた。
慌てて鞄を掴み、目の前のドアに駆け込む。
自分の後ろでドアが閉まった。
大きく息をついて、空いていた端の席に腰をおろすと、向かいに座った制服の女子が二人、くすくすと笑って肩を寄せる。
ドアの前、姿勢の良いその後ろ姿を眺めながら、どうやって話掛けようか考える。
《あの、シュシュ、落としましたよ。》
……いや、違う。
今、落としたわけじゃないし。タイムラグがありすぎる。
《お姉さん、これを。》
跪いてシュシュを差し出す。
……うっわ、気持ち悪。お前は一体なんなんだ。
《すいません、先週、ここでシュシュ落としませんでした?》
……これだ。これで行こう。
これなら自然だ。きっと警戒されることもない。
待てよ……急に立ち上がって、車内で話掛けたら、警戒されるだろうか……?
落ち着こう。落ち着いて、駅に着いたら一緒に降りてホームで渡そう。
そう思って、目を閉じる。
電車は流れるように人を運ぶ。
いくつかの駅で、ゆっくりと停車して人を吐き出すと、新たに乗客を乗せて、再びゆっくりと滑りだす。
彼女の降りる駅名がアナウンスされて、またゆっくりと電車が停車した。
ホームに降りると、階段を駆け上がる彼女の姿が見える。
慌ててその後ろ姿を追うが、彼女の足は予想以上に速くて、手が届く範囲まで追いつけない。
そのままの勢いで、改札まで追いかけて、ICカードを翳して改札を通り抜ける。
しまった!と、思った時にはもう遅かった。
考えるよりも先に、手を伸ばしていた。