偶然でも運命でもない
53.曖昧な現実
「関東支社から移動してまいりました。鈴木響子です。あ。岩井さんとは、以前、同じ部署で仕事をさせていただいていて、今回も、」
ガタン!
響子の言葉を遮るように開いた事務所入り口のドアが、派手な音をたてて開いた。
本社、初出勤の朝。数人の新入社員と移動組は自己紹介をするようにと、事務所に並べられて、響子の番が回ってきた時だった。
勢いよく開いたドアが壁に当たる音に、言葉を止めて振り返り、響子は自分の目を疑った。
白いシャツにネクタイ。
黒に近いくらいに濃いグレーのスラックス。
きちんと手入れの行き届いた革靴。
ここまで走ってきたのだろうか?
見慣れた鞄と脱いだジャケットを小脇に抱え、両手を膝について前屈みのまま肩で息をする、その姿。
顔は見えないが、彼は……。
--偶然、また会えたら運命でしょ?--
あの日の声が、頭の隅で響いている。
皆がドアを一斉に振り返って静まり返った社内に、息を切らしたその人の「おはようございます」という声が響く。
聞き慣れたその声。
「……嘘……でしょ。」
思わず口の中だけで呟くと、彼が顔を上げた。
制服ではなく、スーツを身に着けた彼の視線が流れるように響子を捉えた。唇の端を僅かに上げて微笑む。
それは、間違いなく。
「松本ぉーーー!!アウトぉーーーーー!!お前、今日は早く来とけって言っただろ。廊下出とけ!!」
彼が何か言いかけるよりも早く、岩井が早足で歩み寄り、彼の肩を掴んでドアの外に押し出す。
岩井の言葉に、社内の張り詰めた空気が一気に和み、ところどころから、笑い声が溢れた。
ただ、響子だけは固まったまま、閉まるドアの向こうに消えるその後ろ姿を見ていた。
すぐに戻った岩井が、困ったような笑顔を響子に向ける。
「鈴木さん、今の松本。ああ、松本大河って言うんだ。あいつが本当、若造って感じで。あとで紹介するけど。まだ、19なんだよ。大学……えーと、2年か。」
「松本大河……19歳……。」
小さく呟いて、現実と記憶の答え合わせをする。
「さ、挨拶、とっとと続きやって終わらそう。」
岩井に促されるままに挨拶の続きをして、後のことはあまり覚えていない。
時々、岩井から“あれはドッキリでした”なんて言葉が出ないかと、ほんの少し期待する。
ドッキリでもそうでないとしても、何故、大河がここに居たのか、響子には説明がつかず、気持ちは混乱するばかりだった。
大河はあの一瞬で、響子に気付いたのだろうか?
あの約束だって、忘れている可能性も、きっとある。
彼女だって、いてもおかしくない。
もやもやと過ごす響子とは反対に、響子との再会を岩井はとても喜んでいた。
「また一緒に仕事が出来るのが嬉しい」と、そう言って、一日中、社内のあれこれを世話を焼いて回る。
同期のくせに先輩面をする岩井を、今日ばかりは有り難く思って、響子は目を閉じた。
気付けば終業時間は目前で、この後は近所の居酒屋で歓迎会の予定だった。
あの朝の出来事から大河の姿は見ていない。
きっと疲れすぎて、夢でも見たのだろう。
そう、思いたくなるほどに、それは現実離れした再会だった。
1年前。
彼と最後に会った電車を思い出す。
別れ際に掴まれた腕。
強引な割に、小さく震える触れた唇の温もりと、“あなたが好きだ”と呟いた大河の少し掠れた声。
叶わないはずの約束。
もし、本当に、運命なんてものがあるとして。それは果たして、こういうものなのだろうか。
再び出会った私たちは、恋人ではなく同僚として。
今日から同じ職場で働くことになる。
ガタン!
響子の言葉を遮るように開いた事務所入り口のドアが、派手な音をたてて開いた。
本社、初出勤の朝。数人の新入社員と移動組は自己紹介をするようにと、事務所に並べられて、響子の番が回ってきた時だった。
勢いよく開いたドアが壁に当たる音に、言葉を止めて振り返り、響子は自分の目を疑った。
白いシャツにネクタイ。
黒に近いくらいに濃いグレーのスラックス。
きちんと手入れの行き届いた革靴。
ここまで走ってきたのだろうか?
見慣れた鞄と脱いだジャケットを小脇に抱え、両手を膝について前屈みのまま肩で息をする、その姿。
顔は見えないが、彼は……。
--偶然、また会えたら運命でしょ?--
あの日の声が、頭の隅で響いている。
皆がドアを一斉に振り返って静まり返った社内に、息を切らしたその人の「おはようございます」という声が響く。
聞き慣れたその声。
「……嘘……でしょ。」
思わず口の中だけで呟くと、彼が顔を上げた。
制服ではなく、スーツを身に着けた彼の視線が流れるように響子を捉えた。唇の端を僅かに上げて微笑む。
それは、間違いなく。
「松本ぉーーー!!アウトぉーーーーー!!お前、今日は早く来とけって言っただろ。廊下出とけ!!」
彼が何か言いかけるよりも早く、岩井が早足で歩み寄り、彼の肩を掴んでドアの外に押し出す。
岩井の言葉に、社内の張り詰めた空気が一気に和み、ところどころから、笑い声が溢れた。
ただ、響子だけは固まったまま、閉まるドアの向こうに消えるその後ろ姿を見ていた。
すぐに戻った岩井が、困ったような笑顔を響子に向ける。
「鈴木さん、今の松本。ああ、松本大河って言うんだ。あいつが本当、若造って感じで。あとで紹介するけど。まだ、19なんだよ。大学……えーと、2年か。」
「松本大河……19歳……。」
小さく呟いて、現実と記憶の答え合わせをする。
「さ、挨拶、とっとと続きやって終わらそう。」
岩井に促されるままに挨拶の続きをして、後のことはあまり覚えていない。
時々、岩井から“あれはドッキリでした”なんて言葉が出ないかと、ほんの少し期待する。
ドッキリでもそうでないとしても、何故、大河がここに居たのか、響子には説明がつかず、気持ちは混乱するばかりだった。
大河はあの一瞬で、響子に気付いたのだろうか?
あの約束だって、忘れている可能性も、きっとある。
彼女だって、いてもおかしくない。
もやもやと過ごす響子とは反対に、響子との再会を岩井はとても喜んでいた。
「また一緒に仕事が出来るのが嬉しい」と、そう言って、一日中、社内のあれこれを世話を焼いて回る。
同期のくせに先輩面をする岩井を、今日ばかりは有り難く思って、響子は目を閉じた。
気付けば終業時間は目前で、この後は近所の居酒屋で歓迎会の予定だった。
あの朝の出来事から大河の姿は見ていない。
きっと疲れすぎて、夢でも見たのだろう。
そう、思いたくなるほどに、それは現実離れした再会だった。
1年前。
彼と最後に会った電車を思い出す。
別れ際に掴まれた腕。
強引な割に、小さく震える触れた唇の温もりと、“あなたが好きだ”と呟いた大河の少し掠れた声。
叶わないはずの約束。
もし、本当に、運命なんてものがあるとして。それは果たして、こういうものなのだろうか。
再び出会った私たちは、恋人ではなく同僚として。
今日から同じ職場で働くことになる。