偶然でも運命でもない
57.噂の真相
「えっ!?社長の!?ねえ、それ、マジで?」
目を見開いて固まった響子を、岩井が慌てて手近な会議室に引きずり込む。
「廊下で叫ぶなよ。」
呆れたような岩井の言葉に、響子は俯いて足元を見つめた。


響子と大河の噂はあっという間に広まった。
それ自体は特に気にすることもなかったが、開発部長が妙に響子の顔色を伺うようになったのが気になった。
はっきり言って、仕事がやり難い。
それで、岩井に相談すると、彼は言ったのだ。
--そりゃ、噂の相手が社長の息子だからねぇ……。--
苦笑混じりの岩井の言葉に、「今、なんて?」と訊き返す。
--だから、松本は社長の一人息子だよ。--
響子の本社初出勤日、その姿を見て驚かなかった大河を思い出す。
おそらく彼は知っていたのだ。響子がここに来ることを。


掴まれたままの肩から岩井の手を払うように振り解いて、響子は俯いたまま頭を振った。
「だって。……それ、本当なの?」
「僕が嘘つくメリットがないだろ。」
「そうだけど。全然、似てないじゃない。」
信じられない、というよりは、信じたくない。
けれど、それは事実なのだろう。
駄々を捏ねるように言葉をこぼすと、呆れた声が返ってくる。
「そりゃ母親似なんだろ?知らないけど。」
「あーそうか。そうよね。」
そういえば大河は、自分で母親似だと言っていた。
性格は父に似ていると。
余計なことまで思い出して、頭を抱えたくなる。
「でも、松本、変わってる。ここにいるのもコネとかじゃなくて、自分で求人に応募してきて、実力でここに入ったんだ。あいつの出生を気にしてるのは、部長くらいだよ。」
「……そう。」
大河なら、きっとそうするだろう。
大学でやりたいことがあるから進学はするけど、それよりも早く働いて一人前になって、父親の仕事を助けたい。
知り合ったばかりの頃、彼はそう言っていた。
まさか、その父親というのが、この会社の社長だとは夢にも思わなかったけれども。
だとしたら、自分が社員であることを、彼はいつ知ったのだろう?
響子は溜め息をつくと、岩井の顔を見た。
「ねえ、ってことはさ、大河くんの叔父さんて……」
「あの支社長だよ。」
「うーわー……」
大袈裟に仰け反るようにして壁にもたれる響子を見て、岩井は「そんなにショックなことかよ。」と、笑ったまま眉間に皺を寄せる。
「親族経営なんてよくある話だし。鈴木さん達だって、ただの噂なんだから、気にしなくて良いんじゃないの。」
「……噂じゃないから気にしてるのよ。」
「ちょっと待った。鈴木さん、マジで松本と付き合ってるの?」
「うん。……実は。一緒に住んでる。」
「あいつ……マジか。」
「何か、問題ある?」
眉間の皺を深くして、岩井の顔から笑みが消える。
社内恋愛が禁じられているわけではないのだが、探るようなその言葉に咎められた気がして、言葉に棘がのってしまった。
チラリと視線を向けると、彼は天井を仰ぎ見て「そうか…」と、呟いてこちらを振り返る。
「無い。いや、無いことも無いんだけど。……マジか。僕は今、お前とあいつに訊きたいことが山ほどある。」
「それ、長い?」
「おう。長い。」
「……岩井くん、今夜、あいてる?」
「あいてる。」
「菜々と飲みに行くんだけど、一緒にどう?」
「わかった。続きはそこで。」
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