偶然でも運命でもない
58.ヤバいヤツ
「松本くんの運命の人って、マジで響子だったの!?」
酎ハイのジョッキを片手に、ひゃー!と声を上げて笑う菜々に、響子は頷きかけて違和感を覚えた。
「ん?……何、その運命の人って。」
付き合っているとは言ったが、菜々にも岩井にも再会の話はしていない。
「前に飲み会のときにね、松本くんが言ってたの。彼女居ないの?って訊かれて、『彼女はいないけど、ずっと好きな人はいます。今は遠くにいて、全然相手にされてないけど。その人は俺の運命の人なんです。だから、他の人と付き合うことは考えてないです。』って。」
「大河くんが?」
「すっごいインパクトだったから、覚えてる。だって、10代の男の子が真顔で『運命の人』って言い切ったのよ。」
岩井は既に中身の半分になったビールのジョッキをテーブルに置いて遠い目をする。
「僕も覚えてる。相手にされてないって言う割に、自信満々でさ、『いつかその人にドレスを着せるのが夢です』って。」
「言ってた!背中の大きく開いたウエディングドレス!!」
岩井の言葉に、菜々が同意して、響子を振り返る。
「正直、あたし、コイツちょっとヤバいんじゃないの?って思ったもん。」
「……そう。」
ウーロン茶のグラスを傾けると、響子は溜息をつく。
大河は相変わらずだ。
相変わらず優しくて、真っ直ぐで、照れ屋で、余裕なんてない癖に余裕ぶっている。
大河のような男の子が『俺の運命の人』とか言い出したら、確かにちょっとヤバいと思う。しかも、真顔で。
そりゃ、菜々じゃなくても引くわ。
「まあ、そのヤバいヤツと、付き合ってるんですけどね。私。」
そう言って、響子が口元を緩めるのを眺めて、岩井は少し安心した顔をした。
「鈴木さん、今日は本当に飲まないの?」
「ヤバいヤツに、止められてるんです。」
岩井はメニューの端末を使って追加のビールを注文し、口の端で笑うと、それ以上の追求はしてこない。
代わりに菜々が興味深々といった程で身を乗り出してきた。
「響子、松本くんとどうやって知り合ったの?」
「彼が高校生の時に、駅でよく一緒になって。落し物届けてくれたのをきっかけに仲良くなったんだけど。」
「それで、告白されたとか?」
「ううん。友達のまんま。」
「あ。あたし、思い出した!響子、前に、どう頑張っても結婚出来ない相手を好きになったって言ってたよね?……なるほど。高校生。」
「そう。それ。高校生。」
「今、付き合ってるのよね?」
「うん。一応。」
「一応ってなんだよ。同棲してるんだろ?」
響子の言葉に、岩井が呆れた声を出す。
「だって、彼、何考えてるかわかんないし。……あー。あのね。知り合った時ね。だいたい毎日、駅で会うから連絡先を交換しなかったんだよね。……彼、卒業したら関東を離れるって言ってたし、連絡先を交換したって、離れたら二度と会わないだろうって思ってたし。だから、油断したのよ。それで、最後に会った日に、“連絡先は交換出来ないけど、もし再会することがあったら付き合おう”って約束しちゃって。」
菜々と岩井は顔を見合わせて、こちらを振り返った。
「まさか、それで、ここで再開したの!?」
「その、まさかなの。」
菜々の悲鳴のような言葉に、響子は両手を上に向けて広げ、降参のポーズをしてみせる。
「そりゃ、運命だわ。」
「でも、何で、彼が私がここに来るのを知ってたのか、わからないんだよね。私、仕事の話なんてしてないし、勤め先だって教えてなかったのよ。」
響子の溜息に、岩井は何か思い出した顔をした。
「……すまん。僕それに加担してた。」
「えっ?」
「この部署立ち上げる時に支社からも人を呼ぼうって話になって、名簿を渡したんだ。一緒に仕事をしたい人がいたら印付けといてって。」
「松本くん、見つけちゃったんだね。響子の名前。」
菜々は自分のことのように嬉しそうだ。
「鈴木響子なんて、同姓同名いくらでもいるでしょ!?」
「うちの会社に他に居ないじゃない。」
「だから、勤め先は教えてないんだって。」
盛り上がる菜々と響子に、つまみを取り分けながら、岩井は他人事のように口を開いた。
「まあ、鈴木さんが異動してくるのは、その時は既に決まってたんだけどな。」
「ちょっとまって、それいつの話?」
「1月……2月にはなってなかった。うん。1月の終わり。」
「私、聞いたの3月に入ってからだけど。」
「まあ、他のメンバー決まらなかったからさ。」
「待って。私、それ知ってたら、部屋探す時間あったよね!?」
「お、おう。」
顔を上げた岩井が、戸惑うような声を上げた。「しまったな」と小さく呟いて、響子に視線を戻す。
「そしたら、大河くんと、同棲する必要もなかったってことだよね!?」
喰ってかかる響子の言葉に、岩井は溜息をこぼして両手で顔を覆った。
「……嫌なのかよ。」
その返答は後ろから聞こえた。
聞き慣れた、呆れたような声。
響子は振り返ると、思わず叫んでいた。
「大河くん!何でいるの!?」
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