偶然でも運命でもない
59.運命の先
「なんでいるの……」
「すまん。僕が呼んだ。」
蚊の鳴くような岩井の声に、響子は恨みがましい視線を送って、大河に押し付けるようにウーロン茶のグラスを差し出す。
「ちゃんと、約束は守ってるからね。」
「響子さん、俺の質問、はぐらかさないで。」
「嫌なわけないじゃない!」
酒を飲んでいるわけでもないのに、こちらを見上げた響子の瞳は涙で赤く濡れていた。
大河は響子の隣の空いた席に腰を降ろすと、パーカーのポケットに手を入れて溜息をつく。
「……ねえ、私がこの会社にいること、いつから知ってたの?」
菜々と岩井が静かに見守る視線に、申し訳なくなって目を逸らす。
その日、海都と歩いた夜の街を思い出す。
締め付けられる胃の痛みと、初めて知った嫉妬という感情。
「センター試験の帰り道。」
「……えっ?」
「海都と一緒にラーメン食って。叔父さんと響子さんに似た人が、二人で歩いてるのを見かけたんだ。」
「1月……?あ、裏誕生会。」
岩井がポツリと呟いて、響子と顔を見合わせる。
「俺、パニックになっちゃって。場所が場所だったし、叔父さんが不倫してると思ったんだ。……それで、叔母さんに……」
「言ったの!?ヒロコさんに!?それを!?」
叫んで、溜息をついた響子の眉間に皺が寄る。大河はそれを見て、苦笑した。
そういえば、この人達は叔母の元同僚でもあるんだな……。
「笑われたよ。その人、響子ちゃん、英知くんの部下よ。今日は飲み会よって。その場で送られてきた写真、見せられて。海都と一緒に確認したんだ。叔父さんの横にいたのは、やっぱり響子さんだった。」
「松本くん、それで知ったんだね。響子がお父さんの会社の社員だって。」
菜々が神妙な顔で、「だから、また会えるって、自信あったんだ。」と大河を見る。
「うん。でも、それとこれとは関係ないです。」
「なんで?」
関係ない、と言い切った大河を見上げて響子は「関係なくないでよ。」と、唇を震わせる。
「だって、知り合う前から、ここに入るのは決めてたし。叔父さんにも叔母さんにも、響子さんのことは話してない。勿論、親父にも。」
「うん。」
「知ろうと思えば、連絡先だって知れたかもしれないけど。自分で手に入れなきゃ意味ないって思ってた。だから、響子さんの勤め先がどこだろうと関係ない。会えるまで待つつもりだった。会えなかったらそれまでだよ。」


ああ、そうだ。大河はそういう子だった。
そうじゃなかったら、きっと、その場で響子にそれを伝えていたはずだ。
「名簿に名前を見つけた時、嬉しかった。俺が指名して響子さんがここに来ることになったら、それは偶然じゃなくなっちゃうけど。それでも、また会えるのが嬉しかったんだ。」
大河の言葉に、菜々と岩井は顔を見合わせて、小さく笑った。
「……俺、響子さんにずっと隠し事してた。海都に口止めまでして。……ごめん、響子さん。偶然でも、運命でもなくて。」
「ちょっといいところ、失礼するよ。」
俯いた大河の肩に岩井が手を伸ばして、ポンと叩く。
「松本、鈴木さんの異動はお前の指名は関係ないよ。お前に名簿を渡す前に、決まってたからな。」
「えっ……そうなんです!?」
「お前らは、間違いなく、出逢うべくして出会ったんだ。」
そう言い放つと、岩井はビールをぐびぐびと飲んで、ジョッキを空にした。
大河の耳が赤くなるのを見て、響子はそれを愛しいと思う。
きっと、彼は後ろめたい気持ちを抱えて、それでもまた会えたのが嬉しくて、ひとりでぐるぐると悩んでいたのだろう。
思えばずっとそうだった。
互いの感情から目を逸らし、曖昧なまま友人として過ごしたあの半年間。互いに踏み込む勇気もなくて、偶然という言葉に都合よく甘えた日々。
「大河くんさ、ひとつ勘違いしてることがあるよ。」
「何?」
「運命って、その先があるの。人生ってくじ引きみたいなもんだよ。たくさんの運命と選択肢がごっちゃに入ってて。その中から手にした選択肢を自分の判断で進んでいく。だから、これで良いんだよ。例えば、初めて話したあの日、私は大河くんを食事に誘った。それは私がそれを選んだから。転勤も。私がそれを選んだから。だから、私はここにいる。」
「……例えば、俺が響子さんのシュシュを拾った日。駅に届けなかったのは、俺が直接、響子さんに渡すことを選んだから。」
「そう。これは、全部、自分で選んだこと。」
響子は大河を真っ直ぐに見て「そうでしょ?」と、呟く。
それから響子は笑った。イタズラを仕掛けててくる時の、斜めな上目遣いと口角の上がった唇。
「で、いつ着せてくれるの?背中の大きく開いた白いドレス。」
「ちょっ……!?待って!?何で響子さんがそれ知ってるの!?」
赤い顔をして狼狽える大河に、岩井と菜々が「ごめん」と笑って拝むように手を合わせる。
「今度は、ちゃんと待ってるからね。」
響子は満面の笑みで、大河を見る。
その笑顔はしあわせに満ちていて、自由だな、と大河は思う。
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