猫のアマテル
第四夜「天狗山の老犬ミル」
あの出来事があって三ヶ月が過ぎた。 不可思議なあのことを思い出す猫はもう誰もいない。 ただ一匹をのぞいて。
そう、アマテルだけは心の片隅に今も鮮明に残っていて、ことあるごとに色内神社やトンネルの側で一日中ぼんやり佇んでいる姿があった。
「みんな、もう忘れたのだろうか? 絶対不思議だよね……
もう誰もあのはなしをしない。 そんなに簡単に忘れること
できるのだろうか? それとも思い出したくない?」
頭の中は複雑に思いが募るばかり。 こうして、色内神社やトンネルの辺りを何度も何度も通った。
そんなある時神社の鳥居のところでユラユラを確認した。 ほぼ三ヶ月ぶりの感覚だった。 懐かしくさえ感じた。
アマテルはなんの躊躇もなくその中に入っていった。 出た先はやはり色内神社の鳥居。
「この世界は? ニャ?」
アマテルは祝津の港を目指し走り出した。
「この世界の祝津はどんなんなってるかニャ? 楽しみ…」
いつもと空気感が違うような気もするけど、全体の景色に変わったところは感じられない。 漁協の裏手では見慣れた顔の猫たちが漁のおこぼれを食べていた。 いつもの風景。
「確かに私はユラユラを通った。 でもこの祝津はいつもとおなじ……ハチも伝助も変わりない」
「ねえ、アマテル」どこからかアマテルを呼ぶ声がする。
アマテルは声の方向を見た。 一羽のカモメがアマテルの上でホバリングしていた。 声の主は銭函からの帰り道で世話になったあのカモメ。
「カモメさん、あの時は本当に世話になりました。 おかげさまで祝津に戻ることができました」
「なんで? 戻ったはずのアマテルがまだここにいるじゃないか?」
「はい、また来たみたい……」
「なんでまたこっちの世界に戻ってきたの?」
「はい、それが……」
アマテルは、あの不思議な事があったこと、誰も口にしなくなったこと。 あの体験がどうして起こったのか? いまだに納得がいかないで、毎日神社の鳥居のところに通ったことなどはなして聞かせた。
「それは、忘れたのではなく、思い出したくないのかもよ」
「どういう事ですか?」
「私も詳しくは話せないよ、もし興味があるなら天狗山スキー場のリフトの下辺りに、ミルという老犬がいるから聞いてごらん。 彼なら知ってるかも?」
アマテルはカモメに礼を言い、天狗を山目指し走り出した。
天狗山は山坂の多い小樽の中でも特に標高があり、町に近いこともあるため冬は市民のスキー場があり、夏場はロープウェーイが絶景の観光スポットになっていた。
見下ろす小樽の夜景は宝石をちりばめたように綺麗で、若者のデートスポットでもあった。
天狗山についたアマテルは鉄塔の下にいる一匹のヨークシャーテリアに声をかけた。
「あの~すみませんけど」
「……ハイ、なにか?」
「この辺でミルという犬を知りませんか?」
「ミル?……犬種は?」
「犬種?」
「犬種だよ犬種」
「犬種ってなんですか?」
「……お前は犬種も知らんのか? 種類のことじゃ! 秋田犬とか柴犬とかあるじゃろ、猫にもペルシャとかシャムっていう種類があるだろうが……ワン」
「三毛です」
「三毛は猫だろ」
「ヨモです」
「ヨモも猫」
アマテルは少しいらついた「必要あるんですか? 名前だけじゃだめですか?」
「名前でもいいけど・・・」
アマテルは口調を荒く「知ってるんですか? 知らないのですか? ……ミャ」
「知ってるけど。 ワシがミルだから。 で、あんたは?」
「はっ、失礼しました。 私は祝津のアマテルという猫です。
カモメさんからミルさんのこと聞いて、ぜひ話を聞いてもらいたくてきました」
「わしが、あんたの体験話しを聞いてどうするのじゃ?」
「ミルさんの見解を聞きたいのですが……」
「わしの見解を聞いてどうするのじゃ?」
「どうするって言われても? わかりません……ニャ」
アマテルは頭を垂れたまま黙ってしまった。 頭を垂れたまま一時間ほど時間が経ち、なおもじっとしてるアマテルに
「アマテルとやら、熱冷めたか?」
「熱ですか? 私熱などありませんニャ」
「その熱ではない。聞きたい。 すぐにでも聞かせてほしいという心の面倒くさい熱のことだ。 ワン」
「何を聞きたいのか? 聞いてどうしようというのか? なんだか解らなくなってます」
「うん、じゃあ、あんたの話しでも聞こうかのう」
「えっ……?」
アマテルはあっけにとられた。 そして不思議とどこか落ち着いている自分に気がついた。 ゆっくりと話し始めた。
「はい、それは三ヶ月前のことでした……」
今までの経緯そして今日ここに来た理由を説明した。
黙って聞いていたミルが口を開いた「うん、たぶんそれは
パラレルワールドじゃな」
「やっぱりパラレルワールドなんですね」
「そうじゃ、この世界と同時にいくつかの世界が平行して存在するというあれじゃ」
「ミルさんはどこでその考え方教をわったんですか? ニャ」
「昔から心のどこかで思ってたんじゃ漠然とだけど。 ある時わしは車にはね飛ばされたんじゃ。 三日間意識不明で四日目に目が覚めた。 そんなことがあって以後、生活してても今までと何か違和感を感じたんじゃ。 気がついたらいろんな事がわかるようになってた。 誰にも教わってないのに、考えというか答えが自分の中から勝手に湧き出してくるんじゃ。 そのうち、色んな動物がわしの意見を聞きに来るようになった。 相談内容はたくさんある。 わしの知らない分野の相談も当然あるのに、そのどれにも即答できる自分があったんじゃ。 わしにも不思議なんじゃが、たぶん心の奥深いところで、なにかと繋がったんじゃないかと思う。 そして今がある……ワン」
「以前の自分と事故後の自分とどういう変化がありましたか?」
「より自分らしくなった事かな」
「どういうことですか?」
「以前の自分は、自分らさの中にもどこか、他人の目を気にして装っていた自分があったんじゃ。 つまり分裂症のような他を見ている、心定まらない自分じゃ。
簡単に言うと、こうやったらこう思われるからこうしようとか、いつも他の目を気にしてたんじゃ。 でも事故後はそんな他人の目はまったく気にしなくなったんじゃ。 生きる上で他人の目は必要なくなった。 そのことに気がついた。 本当の意味で自分らしくなったのかもしれん」
「本当の意味で自分らしくですか?」
「そう、本当の意味で純粋に自分らしくじゃ! ワン」
「他に何か変わりましたか?」
「大きく変わったのが全部一緒だったってことじゃ」
「またわかりません。 すいませんがわかりやすく頼むニャ」
「みんな、ひとつの中で生きているっていうこと。 わしもおぬしアマテルも、他の動物も五十歩百歩。 なんにも変わりはしないし例外もない。 個性と表現の仕方が違うから、違うように見えるだけじゃ。 みんな一緒じゃ! 特別なモノはひとつもない、始まりも終わりもな!」
アマテルは今まで出会った動物の中でもミルには独特なものを感じていた。 もっと話を聞きたい……ミルさんを知りたい!
「もうひとついいですか?」
「なんだね?」
「私をミルさんの側に置いてくれませんか? もっと色んな事を教えてください。 お願いしますニャ」
「お前の家族はどうする? もとの世界に戻りたくないのか?」
「戻りたいです。 でも、せっかくこの世界に来たのですから楽しんでみたいです。 もっと知りたいです。 ワタシ自身を……」
「自分を知ってどうする?」
「本当はミルさんをもっと知りたいのです。 でも、それにはまず自分を知ることだと思いいました。 ミルさんが『みんな一緒だからっ』て仰ってたから……だから……」
「プッハッハッ……面白い猫よのう! わしは気ままに生きとるけん弟子はとらん主義だ。 そんな、たいそうな器でもない。 あしからず」
「お願いします。私の周りの猫衆は、食べること、寝ること、毛繕い、ただ生きることを目的としてます。 私はそんな一生を過ごしたくないのです」
「わし以外にもお前の期待に添える動物はたくさんいる、だからそこを訪ねなさい……」
「いえ、私はミルさんの下で学びたいのです。 何でもしますから一日一匹のネズミも捕ってまいりますから! ニャ」
「わしの言いたいのはそんなことでない。 わしは型にはまった教義なんぞ持ち合わせておらんから、なにも教えることがない。 わかってもらえたかのう! ワン?」
「そこがいいのです。 そのミルさんの自然体が良いのです。
わたしも自然体でいられるようになりたいのです! ミャ」
「ミャ~といわれても困るワン」
「お願いします」
それから三日間アマテルはミルのそばを片時も離れずつきまとった。
四日目の朝「どうしてもというならお前の勝手にしろ……免許皆伝のようなものは無い。 それでも良いなら好きになさい。 そうじゃ、授業料は必要じゃ! 犬には捕獲できない獲物を食べさせてくれ。 ただし、ネズミは食ワン。 どんなことがあってもネズミは食ワン」
こうして猫と犬の生活が始まった。
あの出来事があって三ヶ月が過ぎた。 不可思議なあのことを思い出す猫はもう誰もいない。 ただ一匹をのぞいて。
そう、アマテルだけは心の片隅に今も鮮明に残っていて、ことあるごとに色内神社やトンネルの側で一日中ぼんやり佇んでいる姿があった。
「みんな、もう忘れたのだろうか? 絶対不思議だよね……
もう誰もあのはなしをしない。 そんなに簡単に忘れること
できるのだろうか? それとも思い出したくない?」
頭の中は複雑に思いが募るばかり。 こうして、色内神社やトンネルの辺りを何度も何度も通った。
そんなある時神社の鳥居のところでユラユラを確認した。 ほぼ三ヶ月ぶりの感覚だった。 懐かしくさえ感じた。
アマテルはなんの躊躇もなくその中に入っていった。 出た先はやはり色内神社の鳥居。
「この世界は? ニャ?」
アマテルは祝津の港を目指し走り出した。
「この世界の祝津はどんなんなってるかニャ? 楽しみ…」
いつもと空気感が違うような気もするけど、全体の景色に変わったところは感じられない。 漁協の裏手では見慣れた顔の猫たちが漁のおこぼれを食べていた。 いつもの風景。
「確かに私はユラユラを通った。 でもこの祝津はいつもとおなじ……ハチも伝助も変わりない」
「ねえ、アマテル」どこからかアマテルを呼ぶ声がする。
アマテルは声の方向を見た。 一羽のカモメがアマテルの上でホバリングしていた。 声の主は銭函からの帰り道で世話になったあのカモメ。
「カモメさん、あの時は本当に世話になりました。 おかげさまで祝津に戻ることができました」
「なんで? 戻ったはずのアマテルがまだここにいるじゃないか?」
「はい、また来たみたい……」
「なんでまたこっちの世界に戻ってきたの?」
「はい、それが……」
アマテルは、あの不思議な事があったこと、誰も口にしなくなったこと。 あの体験がどうして起こったのか? いまだに納得がいかないで、毎日神社の鳥居のところに通ったことなどはなして聞かせた。
「それは、忘れたのではなく、思い出したくないのかもよ」
「どういう事ですか?」
「私も詳しくは話せないよ、もし興味があるなら天狗山スキー場のリフトの下辺りに、ミルという老犬がいるから聞いてごらん。 彼なら知ってるかも?」
アマテルはカモメに礼を言い、天狗を山目指し走り出した。
天狗山は山坂の多い小樽の中でも特に標高があり、町に近いこともあるため冬は市民のスキー場があり、夏場はロープウェーイが絶景の観光スポットになっていた。
見下ろす小樽の夜景は宝石をちりばめたように綺麗で、若者のデートスポットでもあった。
天狗山についたアマテルは鉄塔の下にいる一匹のヨークシャーテリアに声をかけた。
「あの~すみませんけど」
「……ハイ、なにか?」
「この辺でミルという犬を知りませんか?」
「ミル?……犬種は?」
「犬種?」
「犬種だよ犬種」
「犬種ってなんですか?」
「……お前は犬種も知らんのか? 種類のことじゃ! 秋田犬とか柴犬とかあるじゃろ、猫にもペルシャとかシャムっていう種類があるだろうが……ワン」
「三毛です」
「三毛は猫だろ」
「ヨモです」
「ヨモも猫」
アマテルは少しいらついた「必要あるんですか? 名前だけじゃだめですか?」
「名前でもいいけど・・・」
アマテルは口調を荒く「知ってるんですか? 知らないのですか? ……ミャ」
「知ってるけど。 ワシがミルだから。 で、あんたは?」
「はっ、失礼しました。 私は祝津のアマテルという猫です。
カモメさんからミルさんのこと聞いて、ぜひ話を聞いてもらいたくてきました」
「わしが、あんたの体験話しを聞いてどうするのじゃ?」
「ミルさんの見解を聞きたいのですが……」
「わしの見解を聞いてどうするのじゃ?」
「どうするって言われても? わかりません……ニャ」
アマテルは頭を垂れたまま黙ってしまった。 頭を垂れたまま一時間ほど時間が経ち、なおもじっとしてるアマテルに
「アマテルとやら、熱冷めたか?」
「熱ですか? 私熱などありませんニャ」
「その熱ではない。聞きたい。 すぐにでも聞かせてほしいという心の面倒くさい熱のことだ。 ワン」
「何を聞きたいのか? 聞いてどうしようというのか? なんだか解らなくなってます」
「うん、じゃあ、あんたの話しでも聞こうかのう」
「えっ……?」
アマテルはあっけにとられた。 そして不思議とどこか落ち着いている自分に気がついた。 ゆっくりと話し始めた。
「はい、それは三ヶ月前のことでした……」
今までの経緯そして今日ここに来た理由を説明した。
黙って聞いていたミルが口を開いた「うん、たぶんそれは
パラレルワールドじゃな」
「やっぱりパラレルワールドなんですね」
「そうじゃ、この世界と同時にいくつかの世界が平行して存在するというあれじゃ」
「ミルさんはどこでその考え方教をわったんですか? ニャ」
「昔から心のどこかで思ってたんじゃ漠然とだけど。 ある時わしは車にはね飛ばされたんじゃ。 三日間意識不明で四日目に目が覚めた。 そんなことがあって以後、生活してても今までと何か違和感を感じたんじゃ。 気がついたらいろんな事がわかるようになってた。 誰にも教わってないのに、考えというか答えが自分の中から勝手に湧き出してくるんじゃ。 そのうち、色んな動物がわしの意見を聞きに来るようになった。 相談内容はたくさんある。 わしの知らない分野の相談も当然あるのに、そのどれにも即答できる自分があったんじゃ。 わしにも不思議なんじゃが、たぶん心の奥深いところで、なにかと繋がったんじゃないかと思う。 そして今がある……ワン」
「以前の自分と事故後の自分とどういう変化がありましたか?」
「より自分らしくなった事かな」
「どういうことですか?」
「以前の自分は、自分らさの中にもどこか、他人の目を気にして装っていた自分があったんじゃ。 つまり分裂症のような他を見ている、心定まらない自分じゃ。
簡単に言うと、こうやったらこう思われるからこうしようとか、いつも他の目を気にしてたんじゃ。 でも事故後はそんな他人の目はまったく気にしなくなったんじゃ。 生きる上で他人の目は必要なくなった。 そのことに気がついた。 本当の意味で自分らしくなったのかもしれん」
「本当の意味で自分らしくですか?」
「そう、本当の意味で純粋に自分らしくじゃ! ワン」
「他に何か変わりましたか?」
「大きく変わったのが全部一緒だったってことじゃ」
「またわかりません。 すいませんがわかりやすく頼むニャ」
「みんな、ひとつの中で生きているっていうこと。 わしもおぬしアマテルも、他の動物も五十歩百歩。 なんにも変わりはしないし例外もない。 個性と表現の仕方が違うから、違うように見えるだけじゃ。 みんな一緒じゃ! 特別なモノはひとつもない、始まりも終わりもな!」
アマテルは今まで出会った動物の中でもミルには独特なものを感じていた。 もっと話を聞きたい……ミルさんを知りたい!
「もうひとついいですか?」
「なんだね?」
「私をミルさんの側に置いてくれませんか? もっと色んな事を教えてください。 お願いしますニャ」
「お前の家族はどうする? もとの世界に戻りたくないのか?」
「戻りたいです。 でも、せっかくこの世界に来たのですから楽しんでみたいです。 もっと知りたいです。 ワタシ自身を……」
「自分を知ってどうする?」
「本当はミルさんをもっと知りたいのです。 でも、それにはまず自分を知ることだと思いいました。 ミルさんが『みんな一緒だからっ』て仰ってたから……だから……」
「プッハッハッ……面白い猫よのう! わしは気ままに生きとるけん弟子はとらん主義だ。 そんな、たいそうな器でもない。 あしからず」
「お願いします。私の周りの猫衆は、食べること、寝ること、毛繕い、ただ生きることを目的としてます。 私はそんな一生を過ごしたくないのです」
「わし以外にもお前の期待に添える動物はたくさんいる、だからそこを訪ねなさい……」
「いえ、私はミルさんの下で学びたいのです。 何でもしますから一日一匹のネズミも捕ってまいりますから! ニャ」
「わしの言いたいのはそんなことでない。 わしは型にはまった教義なんぞ持ち合わせておらんから、なにも教えることがない。 わかってもらえたかのう! ワン?」
「そこがいいのです。 そのミルさんの自然体が良いのです。
わたしも自然体でいられるようになりたいのです! ミャ」
「ミャ~といわれても困るワン」
「お願いします」
それから三日間アマテルはミルのそばを片時も離れずつきまとった。
四日目の朝「どうしてもというならお前の勝手にしろ……免許皆伝のようなものは無い。 それでも良いなら好きになさい。 そうじゃ、授業料は必要じゃ! 犬には捕獲できない獲物を食べさせてくれ。 ただし、ネズミは食ワン。 どんなことがあってもネズミは食ワン」
こうして猫と犬の生活が始まった。