猫のアマテル
第六夜「心身脱落と親方」

「ミルさんただいま戻りました」

「おう、戻ったか」

「母親が亡くなり、見送ることが出来ました」

「そっか、お母さん亡くなったか。 心ゆくまで母親を偲んであげなさい」

「はい、ありがとうございます。 そうさせてもらいます」

そしてアマテルは自分の住居に籠もってしまった。 幾日も幾日も外に顔を出さない。 アマテルは絶望の淵にいた。
身も心も疲れ果て、生きる気力も死ぬ気にもなれない。 そんな絶望の日が何日も何日も続いた。

もはや、頭の中は「死か生か」この選択しか無かった。

ハッキリ言ってそのどちらもどうでもいいと思った。 表に出て死のう。 死んでどうなるのでもないけどとりあえず死のう。 お母さん、ミルさん、祝津のみんなありがとう……。
わたし旅立ちます。

この辺で一番高い場所を探した。 この上から飛び降りよう。一本の背の高いポプラの木を見つけた。一番てっぺんに登った。 アマテルは死を選択したのだった。

「本当にみんなありがとう」手足の爪を納め、目を瞑り、足を踏ん張って飛ぼうとした次の瞬間。

アマテルの胸にどこからか声が響いてきた「アマテル!」
心の奥深くから聞こえる声だった。 その瞬間、こみ上げるような熱いものが胸を突き上げ、弾けた。 生まれてから今日までのこと。 今回の生まれる前の猫生や、これから生まれる予定の猫生と場所。 猫族の仕組み。 犬族の仕組みそのほかのことが一気にアマテルの中を過ぎっていった。


……なんか全部理解できる……


世界が変わった。


次の瞬間涙が流れだした。 ポプラの先端で一匹の猫が大泣きしてると、顔見知りのスズメがミルに報告に来た。

 ミルはポプラの先端を眺めた。

「超えたな……」ミルは呟いた。

しばらくしてアマテルは木から下りてきた。 下ではミルが待っていた。 アマテルが地に足をつけたのを見計らい声をかけた。

「やったな、おめでとう・・・」

「ありがとうございます。きっかけを与えていただき感謝します」

「超えたあとの世界をゆっくり楽しみなさい」

「はい。 そうさせていただきます」

それが二匹の最後の会話だった。

 
 数日間籠もったアマテルは、今まで疑問に思っていた事の答えを一つ一つ味わい、そして仕組みを楽しんだ。
七日目の早朝、住居から出てミルの休む住居の方角に頭を下げ、そのまま天狗山を下りた。

 
 今のアマテルは恐れや不安など一切感じられない。 あるのは歓喜だけ。

総てはあるがままにある。

あるべくしてある。

世界は実に上うまくできている。

なんの問題もない。

すべてが完璧。

これが今の心境。  

このまま他界して元の世界に戻ろうか。 そう考え始めた。

そこに一匹の老犬が通りかかった「のう、そこの猫さん」

「はい」

「この辺にミルというヨークシャーテリアは知らんかね?」

「ああ、あの天狗山のスキー場のリフトの下に行ってください。あの辺にいつもいますよ」

「そうですか、ありがとう」

「気をつけて下さいね」

「猫さん……何があったかわからないけど、生きてくださいな」

そう言い残し老犬は天狗山の方に歩いていった。

「あっ、ハイ、えっ?」

アマテルが振り返るとその老犬は既に消えていた。

「……生きろということか」同時に心の奥底から笑いがこみ上げてきた。

とりあえず行く当てがないから、もとの世界に戻ろうと色内神社の鳥居のところでユラユラを待つことにした。 前回来たときと今回の自分ではまったく違う。

港を歩き始めてすぐに呼び止める声がした。

「おい、アマテル。 アマテルじゃねえか」声の主は犬のクニオだった。

「久しぶりだな、その節は世話になったな。 元気にやってるか?」

「クニオさん久しぶりです。 はい、わたしは元気です」

クニオは職業上相手の態度や口調から、相手の心境を読み取るのが早かった。

「アマテルさんよ、あんたにいったい何があった? 尋常じゃねえなその目。 話してみねえか?」

アマテルはうっすらと笑みを浮かべながら「自分が見えたんです」

「なんだい? 坊主の問答みてえな言い方だな。 俺には難しいこと解らねえけんど、お前さんには世話になったからなんか困ったことあったら言ってくれ。 俺に出来ることなら何でもすっからよ」

「はい、ありがとうございます。いまのところ間に合ってます」

「そっかい、いつでも言ってくれよ。じゃあな」

そう言ってクニオは去っていった。

祝津に戻ったアマテルは岸壁でたたずんでいた。

「アマテル…アマテルさん」

空の方から声がした。 声の主は例のカモメだった。

「アマテルさん久しぶりだね」

「はい、お久しぶり」

「アマテルさんの雰囲気が前と違うので、どうしたかなと思い声をかけました」

「なにも変わりません……今も昔も」

「そうですか、海がしけて高波になります。 気をつけて下さいな」

「はい、ありがとうございます」

みんな気にしてくれてありがたいニャ。 その足で漁協に顔を出した。

ハチが「アマテル元気になったかい。 お母さんは残念だったね。あんたはお母さんの分まで長生きしなさいね」

「はい、ありあとうございます。ハチさんも」

数匹の猫がアマテルの周りに集まってきた。

「みなさん、母が生前大変お世話になり、本当にありがとうございました」

ニャン吉が「なに、堅苦しいことは抜きだ。 また一緒にここで俺たちと暮らそうニャン」

アマテルにたいする純粋な思いやりと気遣いが感じられた。


 それから数日が過ぎ、祝津に三十匹ほどのガラの悪そうな猫達が突然現れた。 いきなりジン平を取り囲み顔に傷のある体の大きな猫が威嚇してきた。

「おい、この港の頭は誰が仕切ってるニャ?」

ジン平が「ニャン吉さんですけど、ニャン」

「ニャン吉さんてか? けっ、ちんけな名前だぜ。そのニャン吉さんとやらををここに呼んでこいや……」

「あ、あ、あんたは誰だ?」

「雑魚は黙ってろ! そいつに話すから、ここに呼びな」

「お、お、俺はあんたの手下でも何でもねえぞ」

「今はな、とっとと呼んでこいや。 毛抜くぞ! 髭も全部取っちまうぞオラ」

ジン平はシッポを下げたままニャン吉を探しに行った。 しばらくしてニャン吉がその猫たちの前に現れた。

「おう、あんたがニャン吉さんかね」

「あんたは?」

「俺はゲン、今日からこの港を仕切らせてもらう」

「なに? ゲンとやら、なに寝言いっとる。 お前は馬鹿か」

「ニャン吉ちゃんさあ……俺の云ってること聞こえなかったようね、ちゃんと聞こえるようにしてやろうか? 聞きたくないならその耳必要ないから食いちぎってやろうか? どうする? 返事しろオラッ!」

沈黙が続いた。

「お前らさっさと札幌に帰りな!」ニャン吉の威厳のある声だった。

ゲンは「おいっ!」周りにいた数匹の猫に合図をした。

待機してたその猫達が一斉にニャン吉を取り囲み噛みついた。 一瞬のことにニャン吉は抵抗出来ず、血だらけになりその場に倒れ込んでしまった。一瞬の出来事だった。

ジン平が「ニャン吉大将」側にかけ寄ったがすでに虫の息。

ゲンは淡々と「おい、ジン平よ、俺たちが何を言いたいのか
理解できるよな。 聞こえてるニャ?」

「はい、わかります」

「じゃあここの港の猫をみんな呼んできてくれるか?」

「はい」ジン平はシッポを下げたまま歩き出した。

二十数匹の猫が集まってきた。

ゲンの前には血だるまになったニャン吉が放置されていた。

「みなさん、俺はゲン。 今、札幌から来たところなのね、ここ祝津港はこのニャン吉さんから俺が任された。 今からここは俺たちが仕切るニャン。文句ある猫いる?」

横たわっているニャン吉に後ろ足で砂をかけた。

「俺に従ってくれないニャン子ちゃんは、ニャン吉さんみたいにこうなるかもね……どうするニャ」


「なぜそんなことをする!」群衆の後ろから声がした。

群衆の前に出てきたはアマテルだった

「おや? 聞こえない猫ちゃんがいるのね……感心、感心。
……オイお前ら!」仲間の猫たちに目配せをした。

猫たちはアマテルを一瞬で取り囲んだ。 アマテルはその場に座り込んみ、取り囲んだ猫たちの目をじっと凝視した。

すると取り囲んだ猫達が徐々に後ずさりを始めた。 そのうち震えて逃げ出す猫も出てきた。

ゲンが猫達に向かって「おい、おまえら何やってやがる。 
さっさとけりつけんかいオラ」

ゲンが話し終わる前に、取り囲んだはずの猫は全員いなくなっていた。 その様子を見たゲンはアマテルに向かって歩き出した。

「おい、こら」

アマテルはゲンを凝視した。

アマテルをみたゲンはその目が異様に思えた。 大鷲が小動物を狙うような鋭い眼光。 同時にアマテルの顔がデコボコに見えたり鬼の形相にも見えた。

ゲンは足がすくみ始め、そして「おい、お前らこの島はやばい、とりあえず帰るぞ……」
こうして猫の集団は退散した。

みんながニャン吉大将のところに駆け寄った時には、既に息絶えていた。 何が起こったのか? どうしてあの悪猫たちが退散したのか、理解できないまま呆然としていた。

一匹の子猫が「お母さん何があったの? 親方どうしたの?」

母猫は返事をしなかった。 正確には母親も何が起こったのか理解できない。

アマテルは「さっ、親方を家に運んであげてください。 奴らは戻らないと思うけど念のため私がここに残って番をします」

こうして祝津の悲惨な一夜が明けた。

アマテルは「なんでこんな惨いことを……なんのために」

この世の無常を感じていた。
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