小説請負人Hisae
「待ちなさい!」淳子は声を掛けた。

エイジは一目散に逃げた。

マーくんはその場に立っていた。

「マーくん、何やってるの?」淳子はカバンから雑誌を取り出し店に詫びを入れた。

「マーくん、チョット来なさい」

マーくんなりに悪いことをしているという自覚はあった。

「警察に言わないで下さい。警察に言わないで下さい。お母さん悪くない、悪いのはマーくんです」

「どういう事か説明して」優しい声で淳子が聞いた。

だがマーくんはパニック状態で混乱していたので、携帯でみゆき先生を呼んだ。

駆けつけたみゆきはすぐ推測できた。
「解りました。みゆき先生と淳子先生がお母さんを警察から護ります。約束します。だから、マーくんも話して下さい。
約束してください。解りましたか?」

少し落ち着いたマー君は「はい、みゆき先生と淳子先生とマーくんの約束ですか?」

「はい、そうです」みゆき先生が言った。

「みゆき先生の言うとおりにすると、お母さん警察に逮捕されなくてすみますか?」

みゆきはマー君の話を少しずつ解析し、大まかな内容が掴めた。 みゆきと淳子は涙ぐみながら、マーくんの話を聞いていた。そして、エイジに苛立ちをおぼえた。

校長に事情を説明し、翌日エイジとその親が校長室に呼ばれた。 入室したエイジの顔面に淳子はいきなり平手打ちをした。校長とみゆきが止めに入った。

エイジの親が反発した「何なんですか! この方は? 教育委員会に行きますよ……」

今度はみゆきが「結構です。どうぞ、教育委員会でも警察でも行って下さい。エイジくんはそれ以上の事をこの自閉症の生徒に強要してたんです」

みゆきの目に涙が溢れていた。

校長が穏やかに「みなさん、冷静に、落ち着いて下さい。 お母さんも事情は聞いておられると思いますが、マーくんは自閉症の生徒です。 通常社会通念の常識はこの子達には通用しません。理解できない部分が多いのがこの子達の現状です。
それを利用した犯罪が今回の騒動の発端。
分かりやすく言うと、お子さんがマーくんを誘導して万引きを重ねた。しかも、マーくんのお母さんが警察に逮捕されるという脅し文句を言葉たくみに使っての犯行です」

校長はエイジに向かって「山田くん、どうですか? 異義はありませんか?」

エイジはうなだれていた。

校長は続けた「マーくんのお母さんからは、何とぞ穏便に処理してやって下さい。 との事ですので今回の件はこの場で済ませようと思っております。ただし、今後、山田くんはマーくんに接触しないでいただきたい。 山田くん約束できますか?」

「はい」下を向いたままだった。

校長が「山田くん、人の目を見て返事して下さい。 私の言葉理解できませんか?」語気が少し荒かった。

今度は顔を上げ「済みませんでした」

「最後にお母さんと山田くんはこれを見て下さい」

マーくんの描いた山田くんの顔。絵は鬼のような形相のエイジの顔だった。

「山田くんの顔はマーくんにこのように見えたんですよ。マー君にとって一生涯この顔が心に焼き付くんです。心の傷です。しっかり覚えておいて下さい。今後、このようなことが無いようにしてください。 この学校を出て以降の人生においても同様です」

話が終わり山田親子は頭をさげて校長室を出た。

「みゆき先生と淳子先生は残って下さい」

校長は二人に「君達の心情は解りますが、体罰とそれを肯定する言動はよくありません。 教壇に立つ者はいついかなる時も感情が理性を上回ってはいけません。 常に冷静であって下さい」

2人は校長に頭を下げた。

「もうひとついいですか?これは校長でなく私個人としての意見です……淳子先生、よく叩いてくれました。胸がスッキリしました。 校長という立場上(声を詰まらせ)僕にはできません。 僕の心はスッキリしました。 マーくんの心のケア頼みますよ」

みゆきと淳子は笑顔で校長室を退出した。二人の胸のつかえが落ちた。


Hisaeは手を止めた。書いていてマーくんに会いたいと思った。すぐメールを送った。

マーくんの小説を書いていて、私、個人的にマー君の顔を拝見したいです。 差し支えなければ写真を見せてもらえないでしょうか? Hisae

翌日メールが入り写真が添付されていた。それは天才画家の山下清と一緒に写っている写真であった。 彼はボンズ頭で雰囲気がどこか山下清と共通する何かがあった。

コメントがあった。

大好きな山下清展に行った時、一緒に写した写真です。山下画伯もマーくんの絵を見てビックリしてました。今でもその時の光景が心に焼き付いております。

ツーショットかHisaeの頬に涙がつたわってきた。 思いを新たに書き始めた。

中学校2年になったマーくんの絵は母親や淳子先生の範疇を超えたところにあった。 つまり、凡人では理解できない世界観がそこにあった。天才ピカソも最初は写実画やパイプを持つ少年などの画風が多かったが、徐々に形の囚われを超越した世界に入った。それが有名なゲルニカを誕生させた。
この頃からマーくんは何か焦るように点描画を書き貯めた。

ミクロの世界からマクロの世界に移行したように、表現するなら金剛界曼荼羅の世界観がそこにあった。

淳子がある作品について「これってどういう絵なの?」

「空です」

「そら?」

「ハイ!」

「どういう事かなあ・・・説明できる?」

「高い空で星がいっぱいあるんです。そこに色んな人が住んでいます。でも体が無いの。もうすぐマーくんも行きます」

「この星のようなのがみんななの?」

「違う。星は星です」

「そっか、ごめんね。先生、見たこと無いからわからないの。ごめんね」

「大丈夫ですよ」

「何が?」

「大丈夫です」

「……?」この頃になると言動に意味のつたわらない事が多くなってきた。

そして、マーくん中学3年生の卒業間近。 自分の部屋に籠もる事が多くなってきた。

歌手や女優さんの衣装デザインがマー君の目にとまればそれをアレンジして楽しむとか、目に止まるものはジャンルを問わずなんでも描いていた。マーくんはいつも新鮮な目を持っていた。

ある時、淳子先生から親に打診があった。

「マーくんの絵を、知り合いの画商に見せませんか? 作品の展示会を開催してみませんか?」

話は進み卒業後に展示会を開催することが決定した。

淳子先生から「マーくん、今日、展示会場の下見で銀座に行こうか? 帰りにおいしいもの食べて帰ろうよ、お母さんも会場で待ってるのよ」

「ハイ! 行くです」

放課後二人は井の頭線で渋谷に出て、銀座線に乗り換え銀座で降りた。 マーくんは初めての銀座だった。

観たことのない、絵になりそうな風景がそこたくさんあった。
吉祥寺も都会だが銀座の比ではない、マー君は目を凝らして観察していた。

2人は交差点で信号待ちをしていた。

淳子は急に大声を出した「まーくん危ないっ!」

刹那、先生はマーくんを抱え込んだ。次の瞬間ドンという鈍い音。 同時に二人は倒れた。
二人の上にトラックが重なるように止まり、アスファルトは一面血の海と化した。


「卒業生合唱」卒業生の声がした。

「仰げば尊とし、我が師の恩……」

卒業生の席には、マーくんの写真と花が飾られていた。教員の席にも淳子先生の写真と花が供えられていた。 校長先生が最後に事故の経緯と二人へのはなむけの言葉を贈り、式は終わった。

銀座の画廊では「早乙女雅之 作品展」が開催された。個展は新聞、週刊誌にも取り上げられた。

個展は大成功を修めた。特にマーくん晩年の二年間の作品は高い人気と高い評価がえられ、多くの人が絶賛した。

会場受付には淳子先生とマーくんの二人で写った写真が飾られていた。


END


Hisaeのキーボードを叩く手が止まった。何か、むなしい小説だった。 この手の実話は小説のように明るくは終われない。 特にHisaeはマーくんに入れ込んでいただけにショックだった。

製本に取りかかった。 挿絵にはマーくんが描いた家族の想い出の作品の数々をふんだんに入れられていた。

表紙には当然マーくんのお気に入りの作品。 裏表紙は個展で使用した淳子先生とマーくんの二人の楽しそうな写真で飾った。

できあがりましたのでご覧下さい。

早乙女 まみ 様


製本し、早乙女まみに発送した。ひと月後、早乙女まみから荷物が届いた。 一冊の本と手紙が添えられていた。

この度は、まことにありがとうございました。兄の作品まで随所に組み入れていただき大変感謝しています。

勝手ながらこの作品を、淳子先生のご家族にも一冊、下記の住所に送っていただけないかと思います。

当初考えていた以上のすばらしいできに驚いております。
兄マーくんがこの本の中に呼吸して生きております。 特に母は何度も何度も繰り返し読んでおりました。

兄の作品集ができあがりましたので、Hisaeさんに贈呈させていただきます。マーくんの作品見てやって下さい。

ありがとうございました。
早乙女 まみ
 
END
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