オネェの髭Ⅰ(短編集)
「うっそでしょう、あれ、冗談じゃなかったの?」
「私は、ちゃんと考えて話したのよ」ハナは淡々と話した。
そこに直子の彼氏が近寄ってきた。
「どうしたの……? こいつ直子の知り合い?」
瞬間、直子は彼の言葉にムッとした。
「友達よ!」
「まさか、うっそでしょ。 なんでこんなのと?」
「こんなのって、どんなのよ! 私の親友で私が尊敬している友。 なんかもんくあるわけ」直子の語気は強かった。
「いや、なんでもないけど。 俺、先帰るからさ……じゃぁまた」
「もう、またはないから…… さようなら」
彼は直子に背を向けて片手を振りながら去っていった。
直子はハナの方を向いた。
「ハナちゃんごめんね! 悪く思わないで」
「そんなことより、彼、怒って行っちゃったよ」
「いいの。あんないい方してゴメンね。 あいつ最低!」
「いいのよ。私はそういう生き方をしてるんだから」
直子が涙を流して「私は許せないの。 こう見えて私は哲学課卒。 人間の尊厳を大切にしたいのよ。 他人をコイツ呼ばわりするような人間と一緒にいたくないの」
ハナは笑った。
「ありがとうね直子。 私は全然気にしてないから。 毎日、当たり前にいわれてることなのよ。 汚いからあっちに行けだとか、靴を舐めたら金やるとか。 それがホームレスの日常。 多くの人は、私達ホームレスを人間以下と思ってるの」
「ハナちゃんは平気なの?」
「平気だからやってるの。 毎日、生きてるっていう実感があるの、今の社会を角度を変えて下から見るのって案外面白いの。 同じ人間が朝と夕方では顔が違うの。 他人といる時はつんけんしてるけど、自分一人だと私達にも優しかったり。 それに私達の仲間に悟りを開いてる爺さんがいるのよ」
「悟り?」直子は目を丸くしていった。
「そう、悟りよ。さ、と、り!」
「悟りって本当にあるの? 仏教か何かの絵空事じゃあないの?」
「それが違うのよ、実はその人と話をしてからホームレスを決意したの」
ハナは空を見上げながらいった。
「どんな人なの?」直子は身を乗り出した。
「ひと言でいうなら本当の意味で自由の人」
「私から見たらハナちゃんも自由だけど」
「自由が違うのよ」
「どう違うの?」
「私達は自由といいながらどこか縛られてるのね。 身体だったり家庭や社会、最近は家庭や社会から縁遠いけど、そして自分に縛られてる」
「私から見たらハナちゃんは自由じゃない」
「違うの、その爺さんは次郎さんってみんなは呼んでるけど、どう表現したらいいか説明が難しいのとにかく自由なの。 でいて決して世捨て人ではなくすべてを楽しんでるって感じなの。 楽しんでホームレスをしているっていう感じなの、それが次郎爺さん」
「へぇ……で、どこに行けば会えるのよ? その次郎爺さんと」
直子も哲学の道を志した者として興味が湧いた。
ハナが小さな茂みを指さした。
「あそこに夕方の七時頃になると突然現われて、酒飲んでみんなと話しをするの。今日も天気がいいからきっと来るよ」
「七時か、まだ時間があるわね、その前に食事しない?」
「いいけどお金無いし、私をどこの店も入れてくれないよ」
「お金は心配ない。 それより風呂に入らない? 悪いけど、ハナちゃん臭いよ」
「私達、風呂入ったら風邪ひくもん、だから身体を拭くだけ。 これが、ホームレス家業なの解ってね」
花子の言葉には変な説得力があった。
二人はコンビニで弁当を買い公園のベンチで夕飯をとった。
「さっきから視線を感じるんだけど……」
「当たり前よ。 ホームレスと綺麗な年頃の女の子がツーショットなんてありえないから」
「でも、私はハナちゃんと会えたことが嬉しいから全然平気」
「直子もさすが哲学課ね変わってる」
昔話をしながら二人は次郎爺さんを待った。 観光客の姿も少なくなったころ次郎爺さんは現われた。
「次郎爺さん、こちら直子ちゃんです。 次郎爺さんの話しをしたら是非会ってみたいというので待ってました」
「私、大学の同級生の直子です。 いつもハナちゃんがお世話になってます」
「まあ、堅苦しい挨拶いいから。 僕は次郎です初めまして」
直子は焼酎と鶏の唐揚げをみんなに差入れた。
仲間の晃平どんが「あんたは良い人だっちゃ。 いつでも歓迎だっちゃ」
次郎爺さんが「我々みたいな者と係わってもいいのかい?」
「はい、私はかまいません」
「そうですかあなたも正直な人だ。 はっはっは」
花子が「今日の日に乾杯!」
全員「カンパイ!」
直子が「ところで次郎さんは、いつからこの生活をしてるんですか?」
「もう、五年程かな? カレンダー見てないから詳しくは解らん」
「そうだよな、俺たちにカレンダーと家族は必要ねえもんな。 酒は絶対必要だけんど……」
「まちがいねえ」みんな笑った。
直子が続けた「切っ掛けは何ですか?」
「切っ掛けがないとホームレスやってはいけませんか?」
「いえ、そんなことはありませんけど」
次郎爺さんが「じゃあ、こちらから聞くけど、直子さんはどうしてホームレスしないのですか?」
「私は、働くところがあって給料を頂いているから自活出来ますから」
「あなたは、自分を社会のルールに合わせて生きることが出来ます。 でも、ここにいる連中はそれがチョット不得手なんですね、そこまでして生きる意味が無いと思ってるんです。 もっと極端な話し、死が怖くない。 ある意味死を超越してるから何も怖くないんですけど。 怖い連中はここにいませんし、ホームレス出来ません。 この花ちゃんは別で、最初から死を超えてますけどね。 ホームレスの天才かもしれません」
「死を超える? どういう意味ですか?」
「人間の最大の問題は死だと思いませんか?」
「そういわれればそうかもしれません。 はい」
「人は生まれながらに死に逆らって生きてます。 死んでどうせ手放すお金に執着を持ち、地位や名誉を欲する人もおります。 でも、死んだら持って行けません。
どんなにお金があっても死には勝てません。 人間にとって最大の問題は死だと僕は思います。
一休禅師が『人間は、生まれたと同時に、
死ぬのに十分な値打ちがある』 と歌を詠んだそうです。
一休らしい表現です。 死を目の前にした人間は価値観が変わるんですよ。 僕達は価値観が普通の社会人と違うのかもしれませんね。 でも、良いこともあります。
僕達は、本当の意味で自分らしく生きることが出来る。 これは、誇れます。 あと、社会的に誇れるものは何もありません。
社会の汚物と処理されます。 でもどこか楽しいですね青空の下が。 三日やったら辞められませんね。 だって、自分らしく生きられるんですからね、たまにはこんな旨い酒も飲める!」
それから直子はみんなとしばらく酒を酌み交わし、いつしか、他人の目がまったく気にならなくなった自分が不思議に思えた。
別れ際、直子はハナに「又、来ていい?」
「駄目! ここは、自分なりの価値観があるうちは来たら駄目。 ここは、無価値の価値が解る人でないと馴染めないところなの。 普通の心境で来てはいけないところ。 今日は私がいたから穏やかなのよ。 私と話したい時にはサインを送ってね、私から直子に会いに行くから……今日はごちそうさま。 楽しかった」
そう言い残し花子は鉄道高架下の暗闇に吸い込まれるように姿を消した。
直子は心配している花子の両親に、このことを報告するかどうか考えた。 自分が花子の親に置き換えた場合、娘がホームレスであることを知らされない方がいいのか?
それとも遠くで見かけて話す余裕が無かったことにするか? どちらにしても、花子が生きてることだけでも両親に知らせたいと思った。
直子はその日に花子の親に電話をした。「
今日、東横線下北沢駅で反対側ホームに入ってきた電車があり、その窓側に花子を見かけ、お互いに手を振ったということにした。
とっても元気そうでした。そう報告した。 受話器の向こうで、花子の母親が涙声で話している姿が直子にはわかった。
直子は胸が締め付けられる思いでいた。
END
「私は、ちゃんと考えて話したのよ」ハナは淡々と話した。
そこに直子の彼氏が近寄ってきた。
「どうしたの……? こいつ直子の知り合い?」
瞬間、直子は彼の言葉にムッとした。
「友達よ!」
「まさか、うっそでしょ。 なんでこんなのと?」
「こんなのって、どんなのよ! 私の親友で私が尊敬している友。 なんかもんくあるわけ」直子の語気は強かった。
「いや、なんでもないけど。 俺、先帰るからさ……じゃぁまた」
「もう、またはないから…… さようなら」
彼は直子に背を向けて片手を振りながら去っていった。
直子はハナの方を向いた。
「ハナちゃんごめんね! 悪く思わないで」
「そんなことより、彼、怒って行っちゃったよ」
「いいの。あんないい方してゴメンね。 あいつ最低!」
「いいのよ。私はそういう生き方をしてるんだから」
直子が涙を流して「私は許せないの。 こう見えて私は哲学課卒。 人間の尊厳を大切にしたいのよ。 他人をコイツ呼ばわりするような人間と一緒にいたくないの」
ハナは笑った。
「ありがとうね直子。 私は全然気にしてないから。 毎日、当たり前にいわれてることなのよ。 汚いからあっちに行けだとか、靴を舐めたら金やるとか。 それがホームレスの日常。 多くの人は、私達ホームレスを人間以下と思ってるの」
「ハナちゃんは平気なの?」
「平気だからやってるの。 毎日、生きてるっていう実感があるの、今の社会を角度を変えて下から見るのって案外面白いの。 同じ人間が朝と夕方では顔が違うの。 他人といる時はつんけんしてるけど、自分一人だと私達にも優しかったり。 それに私達の仲間に悟りを開いてる爺さんがいるのよ」
「悟り?」直子は目を丸くしていった。
「そう、悟りよ。さ、と、り!」
「悟りって本当にあるの? 仏教か何かの絵空事じゃあないの?」
「それが違うのよ、実はその人と話をしてからホームレスを決意したの」
ハナは空を見上げながらいった。
「どんな人なの?」直子は身を乗り出した。
「ひと言でいうなら本当の意味で自由の人」
「私から見たらハナちゃんも自由だけど」
「自由が違うのよ」
「どう違うの?」
「私達は自由といいながらどこか縛られてるのね。 身体だったり家庭や社会、最近は家庭や社会から縁遠いけど、そして自分に縛られてる」
「私から見たらハナちゃんは自由じゃない」
「違うの、その爺さんは次郎さんってみんなは呼んでるけど、どう表現したらいいか説明が難しいのとにかく自由なの。 でいて決して世捨て人ではなくすべてを楽しんでるって感じなの。 楽しんでホームレスをしているっていう感じなの、それが次郎爺さん」
「へぇ……で、どこに行けば会えるのよ? その次郎爺さんと」
直子も哲学の道を志した者として興味が湧いた。
ハナが小さな茂みを指さした。
「あそこに夕方の七時頃になると突然現われて、酒飲んでみんなと話しをするの。今日も天気がいいからきっと来るよ」
「七時か、まだ時間があるわね、その前に食事しない?」
「いいけどお金無いし、私をどこの店も入れてくれないよ」
「お金は心配ない。 それより風呂に入らない? 悪いけど、ハナちゃん臭いよ」
「私達、風呂入ったら風邪ひくもん、だから身体を拭くだけ。 これが、ホームレス家業なの解ってね」
花子の言葉には変な説得力があった。
二人はコンビニで弁当を買い公園のベンチで夕飯をとった。
「さっきから視線を感じるんだけど……」
「当たり前よ。 ホームレスと綺麗な年頃の女の子がツーショットなんてありえないから」
「でも、私はハナちゃんと会えたことが嬉しいから全然平気」
「直子もさすが哲学課ね変わってる」
昔話をしながら二人は次郎爺さんを待った。 観光客の姿も少なくなったころ次郎爺さんは現われた。
「次郎爺さん、こちら直子ちゃんです。 次郎爺さんの話しをしたら是非会ってみたいというので待ってました」
「私、大学の同級生の直子です。 いつもハナちゃんがお世話になってます」
「まあ、堅苦しい挨拶いいから。 僕は次郎です初めまして」
直子は焼酎と鶏の唐揚げをみんなに差入れた。
仲間の晃平どんが「あんたは良い人だっちゃ。 いつでも歓迎だっちゃ」
次郎爺さんが「我々みたいな者と係わってもいいのかい?」
「はい、私はかまいません」
「そうですかあなたも正直な人だ。 はっはっは」
花子が「今日の日に乾杯!」
全員「カンパイ!」
直子が「ところで次郎さんは、いつからこの生活をしてるんですか?」
「もう、五年程かな? カレンダー見てないから詳しくは解らん」
「そうだよな、俺たちにカレンダーと家族は必要ねえもんな。 酒は絶対必要だけんど……」
「まちがいねえ」みんな笑った。
直子が続けた「切っ掛けは何ですか?」
「切っ掛けがないとホームレスやってはいけませんか?」
「いえ、そんなことはありませんけど」
次郎爺さんが「じゃあ、こちらから聞くけど、直子さんはどうしてホームレスしないのですか?」
「私は、働くところがあって給料を頂いているから自活出来ますから」
「あなたは、自分を社会のルールに合わせて生きることが出来ます。 でも、ここにいる連中はそれがチョット不得手なんですね、そこまでして生きる意味が無いと思ってるんです。 もっと極端な話し、死が怖くない。 ある意味死を超越してるから何も怖くないんですけど。 怖い連中はここにいませんし、ホームレス出来ません。 この花ちゃんは別で、最初から死を超えてますけどね。 ホームレスの天才かもしれません」
「死を超える? どういう意味ですか?」
「人間の最大の問題は死だと思いませんか?」
「そういわれればそうかもしれません。 はい」
「人は生まれながらに死に逆らって生きてます。 死んでどうせ手放すお金に執着を持ち、地位や名誉を欲する人もおります。 でも、死んだら持って行けません。
どんなにお金があっても死には勝てません。 人間にとって最大の問題は死だと僕は思います。
一休禅師が『人間は、生まれたと同時に、
死ぬのに十分な値打ちがある』 と歌を詠んだそうです。
一休らしい表現です。 死を目の前にした人間は価値観が変わるんですよ。 僕達は価値観が普通の社会人と違うのかもしれませんね。 でも、良いこともあります。
僕達は、本当の意味で自分らしく生きることが出来る。 これは、誇れます。 あと、社会的に誇れるものは何もありません。
社会の汚物と処理されます。 でもどこか楽しいですね青空の下が。 三日やったら辞められませんね。 だって、自分らしく生きられるんですからね、たまにはこんな旨い酒も飲める!」
それから直子はみんなとしばらく酒を酌み交わし、いつしか、他人の目がまったく気にならなくなった自分が不思議に思えた。
別れ際、直子はハナに「又、来ていい?」
「駄目! ここは、自分なりの価値観があるうちは来たら駄目。 ここは、無価値の価値が解る人でないと馴染めないところなの。 普通の心境で来てはいけないところ。 今日は私がいたから穏やかなのよ。 私と話したい時にはサインを送ってね、私から直子に会いに行くから……今日はごちそうさま。 楽しかった」
そう言い残し花子は鉄道高架下の暗闇に吸い込まれるように姿を消した。
直子は心配している花子の両親に、このことを報告するかどうか考えた。 自分が花子の親に置き換えた場合、娘がホームレスであることを知らされない方がいいのか?
それとも遠くで見かけて話す余裕が無かったことにするか? どちらにしても、花子が生きてることだけでも両親に知らせたいと思った。
直子はその日に花子の親に電話をした。「
今日、東横線下北沢駅で反対側ホームに入ってきた電車があり、その窓側に花子を見かけ、お互いに手を振ったということにした。
とっても元気そうでした。そう報告した。 受話器の向こうで、花子の母親が涙声で話している姿が直子にはわかった。
直子は胸が締め付けられる思いでいた。
END