恋は、秘密主義につき。
向かう先が決まった様子で、躊躇なく走り続ける車。
会社を出た時は浅い色味だった空も、見知らない街のコインパーキングで降り立った頃には、橙色と水色と藍色の境界を混ぜ合わせていました。

佐瀬さんはそこから私の肩を抱いて、学生の姿も多い商店街を歩き、飲食店が連なってきた辺りで一本、路地を入る。
“千里”と達筆に染め抜かれた、藍色の暖簾がかかった小料理屋さんの前で立ち止まると、引手に手をかけて真横に引き戸を滑らせた。

「いらっしゃい」

落ち着いた年配女性の声に迎えられ、少し緊張気味な私。

一実ちゃんと行くポピュラーな居酒屋さんと違って、こういうお店は初めてです。
思ったよりこじんまりとしていて、L字型のカウンターを挟んで椅子が6脚。行灯風の照明や、床の間風の飾り棚に雪見障子に見立てた内装。隅には小さな石庭も。とても風情があって、自分が場違いに思えてしまったほどです。

時間も早かったからか、他にお客さんもなく。クラシックのようなBGMが弱めに流れていました。

「・・・ご無沙汰してます」

カウンター越しに、クリーム色の清楚な着物姿の女将さんに向かって佐瀬さんが折り目正しく頭を下げた時。
所縁のある場所に連れてきてくれたのを知って、心臓がトクンと波立った音を立てた。

嬉しいような。・・・未知の扉の向こうを覗き見して惑うような。不思議な感傷も綯(な)い交ぜになって。
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