legal office(法律事務所)に恋の罠
「お待ちしておりました」

仲川芸能事務所の社長室をノックすると、中からドアが開き、背の高い黒髪の男性が入室を促した。

「どうも」

和奏は男性と目も合わせずにその脇を通りすぎ、応接室のソファの横に立った状態で仲川社長に挨拶をした。

仲川晴臣(なかがわはるおみ)56歳。

元トレンディ俳優で、息子の将生が生まれた33歳のときに妻の父親が運営する芸能事務所を引き継いだ。

妻は女優の仲川千聖(なかがわちさと)58歳。

二人は映画の共演で恋仲となり、姉さん女房の千聖が晴臣にゾッコンだったと話題になったものだ。

30代で産んだ息子を千聖は溺愛しており、その結果がこうした女性トラブル、だ。

「これで何度目か,,,。夢谷先生には本当に申し訳ないと思っています」

仲川はあっさりと頭を下げた。

奏はその態度を不思議に思って和奏を見たが、彼女は全く取り合う様子はなく、代わりに仲川晴臣が答えをくれた。

「夢谷先生には、将生のことで他にも五件ほど訴訟や示談でご迷惑をお掛けしたんですよ」

苦笑する晴臣には疲れが見える。

「今度は桜坂のお嬢様にまで手を出すなんて、なんて見境のない,,,」

「仲川社長、私に謝ったり子育てを後悔したりする前に、桜坂CEOへの謝罪が先ではありませんか?」

和奏に言われて初めて気づいたという態度に、この男も大したことはないな、と奏は思った。

「あっ、私としたことが,,,。桜坂さん、この度は不肖の息子が妹さんにとんでもないご迷惑をお掛けしました。心からお詫び申し上げます」

深々とお辞儀をする晴臣。

しかし、すでに奏の晴臣への信頼は完全に失われていた。

「早速ですが、本題に入らせていただきます。これは相談ではなく依頼や命令だと考えて頂いて結構です。こちらの書類を...」

本題に入ろうとするの和奏の言葉を遮るように、先程の黒髪の男性が話に割って入った。

「失礼にも程がありますね。夢谷さん。私にも自己紹介させていただかないと・・・。」

黒髪の男は体育会系のがっちりしたジャイアンみたいな風貌で、無駄に自信満々といった感じだ。

男は、晴臣の横に腰かけると

「桜坂さん、私は仲川芸能事務所の顧問弁護士である宇津井洋士(うついひろし)です。はじめまして。夢谷さんは,,,お久しぶりでよろしいですね」

名刺を差し出してニヤリと笑った。

一方の和奏は、洋士の言動に動揺することなく、

「ええ、3週間ぷりでしょうか?できれば2度とお会いしたくありませんでしたが残念です」

となんの感情も灯すことなく答えた。

奏はなんとなく、二人が将生のケースだけで関わる関係ではないと察した。

じわりと胸の中に込み上げる黒い感情。

奏は洋士に目線を向けると口元だけで微笑んで会釈して見せた。


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