世継ぎで舞姫の君に恋をする
第四話 ベルゼラ王宮
18、側仕えの仕事
ユーディアがジプサム王子一行と王宮に来て、一週間。
王宮での生活が始まっていた。
ジプサム王子の部屋の隣の小部屋を与えられた新参ものの側仕えは、異例尽くしの特別扱いであった。
彼は、モルガンとの戦で捕虜となっていたところ、王子がいたく気に入り、好色で名高い貴族と豪商と競り合って、競売史上最高額で落札されたのは周知の事実である。
王子の隣の部屋を与えられたのは、夜も仕事をしているからである、とまことしやかにささやかれていた。
実際は、傷跡をみられたくないから、合同部屋はいやだと主張したユーディアの意見が聞き入れられて、一人風呂を完備したジプサムの部屋を、掃除がてら使用してもいいということで、その続き部屋を与えられたのだった。
王子と風呂を共有している、ということだけでも、彼は、王子の愛人であると明言しているようなものである。
そして、蛮族の野蛮な若者は、王宮勤めの者がイメージしていたよりもずっと華奢で、その雰囲気は凜とした清清しさを持っていて、またその顔立ちは美しい。
ジプサム王子はその噂を知っていたが、あえて否定はしない。
実際にはユーディアは奴隷でもなく、噂されているように愛人などでもなく、古くからの友人でなのである。
彼が自分の特別な者であるということにしている方が、何かと都合が良いようだった。
例えば、自分が学ぶ授業に同席させ、ただ訊くだけでなくその発言までも許されるとか、側仕えの仕事以外にもしたいことがあれば、ジプサム王子が許せる範囲内で、フリーパスで行うことができるとか。
とにかく異例尽くしの破格の扱いである。
はじめの一週間はジプサムの側近のサニジンが付きっきりで、生活指導をする。
その後、引き継ぐような形で王子の付き人の、生活と教育係に選任されたのは、19才のリラであった。
リラは、ユーディアが来る前にジプサムの側仕えを三年しているベテランである。
ジプサム王子は扱いが難しい。
ジプサム王子の父王のレグランは、ベルゼラを草原の一大強国になさしめた豪の者である。
王の発言はベルゼラでは絶対で、その第一王子は王の意向を反映するだけの、存在価値しかないと見なされていた。
ジプサムはそれを不本意であるが、父王の偉大さの前に従うしかできず、鬱憤がたまり、不機嫌な日々を過ごす。
そのとばっちりを周囲の者がうけることもあったのである。
それなので、リラはその新参ものの側仕えには、ジプサムの機嫌を損ねない方法を教えようと思っていた。
ジプサムには19になるまでに、数人の恋人がいたが、彼の不機嫌の前に二度とお呼びがかからず、終わっていった歴史もあり、側仕えはリラが来る前は、王子の機嫌を損ねて何人も代わっていた。
「ご存じの通り、ジプサムさまは大変難しい方です。
話しかけられる前に、話してはいけません。不機嫌モードに入られたら、詮索せずに、部屋で控えるか、気分を和らげるお茶でもお出しなさい。カモミールや、ハチミツレモン、、、」
「はあ」
その気のない返事を聞き、リラは眉をあげた。
「返事は、どんな場合でもはい!です!
ハーブ茶の作り方は、後で厨房で教えます。
側仕えというのは、王子のすべてを把握するということ。スケジュールを頭に叩き込み、何時に起きるのか、今どこにいるのか、着るものはどんなものがいいのか。気分はどうなのか、お体が疲れていないか」
「機嫌が悪いときはハーブ茶なら、体が疲れていたらどうするの?」
ユーディアは興味を引かれてきく。
「マッサージをしてあげます。もしくは専門のマッサージ師を呼びます」
「わお!」
ここ、ベルゼラでは、ジプサムは驚くほど、至れり尽くせりの王子さまであった。
最初に草原に来たとき、ぷくぷくの色白の少年だったことを思い出す。
そして、マッサージを受けるジプサムを想像すると笑える。
彼はどんな顔をするのだろう?
「わお!ではありません!
さようでございますか!です!
ユーディアは基本的な正しい言葉遣いができておりません!サニジンさまに言っておきますから勉強なさい。マッサージも学びたいようでしたら、学びなさい。少しできると、側仕えを解任されたとしても、重宝されるかもしれませんから」
リラは現実的なことを見据え、さらっとユーディアに今の生活が続かないかもしれないことを伝える。
そのニュアンスを寵を得ている言葉の不自由な蛮族の奴隷には伝わらないかもしれないが。
ユーディアには何でも勉強させる方針のようなので、勉強リストに、言葉、ハーブ茶、マッサージと加えておく。
今日一日はユーディアをいろいろ連れ回してやらせてみて、何が得意で不得意なのか、リラは把握するつもりだった。
リラは言葉を切る。
ちゃんと、この新参ものが理解しているかを確認するためだ。
新参ものは、思った通り、リラの言葉も上の空で、空を見ていた。
リラはつられて空を見る。空を見るのは久しぶりのような気がした。
「空に何かあるの?」
思わずきく。
空には鷹が一羽、くるくると旋回していた。
「何も。ただ見ているだけ」
リラには、蛮族の若者が見ている景色は自分の見ていものと違うのだろうと、感じる瞬間である。
そしてこの若者は、極めて自由な野生動物のようであった。
リラとユーディアは花を抱えて歩いていていた。
これから王子の部屋に花を飾る。それから昼食の給仕の手伝い。
それから午後は自分と一緒に王子の側付きの仕事を行う。
日によっては午後一杯が、勉強の時間になる場合がある。
夕方から毎日読み書きの授業。夕食の後は自由な時間であった。
かなり過酷なスケジュールである。
その時、ユーディアは1つ下の階の廊下を歩くジプサムとサニジンと、騎士たちに気がつく。
きらっとユーディアの目が輝くのをリラは見た。
何かする!と思ったが、制止するには遅かった。
「ジプサム!」
ユーディアは声をかける。
ジプサムは昨晩は遅く帰宅で、朝も早かったので、今日は初の顔合わせである。
そもそも、そうであること事体、側仕えとしては仕事をしていないのであるが。
声をかけられて、王子は顔を上げた。
大声で上から声をかけられることなどベルゼラ国内の、しかも王宮内ではまずない。
「ユーディア!すごい花だな」
だが、周囲が驚いたことに、王子は朗らかに手をふり返す。
ユーディアはお尻を塀にかけると、ひょいと花ごと下の階の、ジプサムの前に飛び降りた。
腕からこぼれ落ちたトルコ桔梗やバラの花が空を舞ってぱさりと落ちる。
ユーディアが花の香る草原の爽やかな風を、ジプサムの胸に吹きいれる。
「この花をあんたの部屋に活けるのが今日の仕事始めだ!」
ジプサムは、草原の友人が頬を上気させて、楽しそうなことに満足する。
「そうか、きれいに活けてくれよ」
ジプサムはにっこり、ユーディアに笑顔を返す。
そして、付け加える。
「ユーディア、次回からは塀から飛び降りないで、階段を使うんだ」
「駄目なのか?」
草原の世界には何階も層のある建造物はない。
ユーディアが側にいると、ジプサムは自分の周囲の空間が、とても大きく広がるような気がする。
そして、自由に生きたいように生きればいいという気持ちになれる。
子供の頃に毎年、ユーディアたちと過ごして感じたことでもあった。
見たことのない第一王子の笑顔に、リラや騎士たちは絶句したのであった。
王宮での生活が始まっていた。
ジプサム王子の部屋の隣の小部屋を与えられた新参ものの側仕えは、異例尽くしの特別扱いであった。
彼は、モルガンとの戦で捕虜となっていたところ、王子がいたく気に入り、好色で名高い貴族と豪商と競り合って、競売史上最高額で落札されたのは周知の事実である。
王子の隣の部屋を与えられたのは、夜も仕事をしているからである、とまことしやかにささやかれていた。
実際は、傷跡をみられたくないから、合同部屋はいやだと主張したユーディアの意見が聞き入れられて、一人風呂を完備したジプサムの部屋を、掃除がてら使用してもいいということで、その続き部屋を与えられたのだった。
王子と風呂を共有している、ということだけでも、彼は、王子の愛人であると明言しているようなものである。
そして、蛮族の野蛮な若者は、王宮勤めの者がイメージしていたよりもずっと華奢で、その雰囲気は凜とした清清しさを持っていて、またその顔立ちは美しい。
ジプサム王子はその噂を知っていたが、あえて否定はしない。
実際にはユーディアは奴隷でもなく、噂されているように愛人などでもなく、古くからの友人でなのである。
彼が自分の特別な者であるということにしている方が、何かと都合が良いようだった。
例えば、自分が学ぶ授業に同席させ、ただ訊くだけでなくその発言までも許されるとか、側仕えの仕事以外にもしたいことがあれば、ジプサム王子が許せる範囲内で、フリーパスで行うことができるとか。
とにかく異例尽くしの破格の扱いである。
はじめの一週間はジプサムの側近のサニジンが付きっきりで、生活指導をする。
その後、引き継ぐような形で王子の付き人の、生活と教育係に選任されたのは、19才のリラであった。
リラは、ユーディアが来る前にジプサムの側仕えを三年しているベテランである。
ジプサム王子は扱いが難しい。
ジプサム王子の父王のレグランは、ベルゼラを草原の一大強国になさしめた豪の者である。
王の発言はベルゼラでは絶対で、その第一王子は王の意向を反映するだけの、存在価値しかないと見なされていた。
ジプサムはそれを不本意であるが、父王の偉大さの前に従うしかできず、鬱憤がたまり、不機嫌な日々を過ごす。
そのとばっちりを周囲の者がうけることもあったのである。
それなので、リラはその新参ものの側仕えには、ジプサムの機嫌を損ねない方法を教えようと思っていた。
ジプサムには19になるまでに、数人の恋人がいたが、彼の不機嫌の前に二度とお呼びがかからず、終わっていった歴史もあり、側仕えはリラが来る前は、王子の機嫌を損ねて何人も代わっていた。
「ご存じの通り、ジプサムさまは大変難しい方です。
話しかけられる前に、話してはいけません。不機嫌モードに入られたら、詮索せずに、部屋で控えるか、気分を和らげるお茶でもお出しなさい。カモミールや、ハチミツレモン、、、」
「はあ」
その気のない返事を聞き、リラは眉をあげた。
「返事は、どんな場合でもはい!です!
ハーブ茶の作り方は、後で厨房で教えます。
側仕えというのは、王子のすべてを把握するということ。スケジュールを頭に叩き込み、何時に起きるのか、今どこにいるのか、着るものはどんなものがいいのか。気分はどうなのか、お体が疲れていないか」
「機嫌が悪いときはハーブ茶なら、体が疲れていたらどうするの?」
ユーディアは興味を引かれてきく。
「マッサージをしてあげます。もしくは専門のマッサージ師を呼びます」
「わお!」
ここ、ベルゼラでは、ジプサムは驚くほど、至れり尽くせりの王子さまであった。
最初に草原に来たとき、ぷくぷくの色白の少年だったことを思い出す。
そして、マッサージを受けるジプサムを想像すると笑える。
彼はどんな顔をするのだろう?
「わお!ではありません!
さようでございますか!です!
ユーディアは基本的な正しい言葉遣いができておりません!サニジンさまに言っておきますから勉強なさい。マッサージも学びたいようでしたら、学びなさい。少しできると、側仕えを解任されたとしても、重宝されるかもしれませんから」
リラは現実的なことを見据え、さらっとユーディアに今の生活が続かないかもしれないことを伝える。
そのニュアンスを寵を得ている言葉の不自由な蛮族の奴隷には伝わらないかもしれないが。
ユーディアには何でも勉強させる方針のようなので、勉強リストに、言葉、ハーブ茶、マッサージと加えておく。
今日一日はユーディアをいろいろ連れ回してやらせてみて、何が得意で不得意なのか、リラは把握するつもりだった。
リラは言葉を切る。
ちゃんと、この新参ものが理解しているかを確認するためだ。
新参ものは、思った通り、リラの言葉も上の空で、空を見ていた。
リラはつられて空を見る。空を見るのは久しぶりのような気がした。
「空に何かあるの?」
思わずきく。
空には鷹が一羽、くるくると旋回していた。
「何も。ただ見ているだけ」
リラには、蛮族の若者が見ている景色は自分の見ていものと違うのだろうと、感じる瞬間である。
そしてこの若者は、極めて自由な野生動物のようであった。
リラとユーディアは花を抱えて歩いていていた。
これから王子の部屋に花を飾る。それから昼食の給仕の手伝い。
それから午後は自分と一緒に王子の側付きの仕事を行う。
日によっては午後一杯が、勉強の時間になる場合がある。
夕方から毎日読み書きの授業。夕食の後は自由な時間であった。
かなり過酷なスケジュールである。
その時、ユーディアは1つ下の階の廊下を歩くジプサムとサニジンと、騎士たちに気がつく。
きらっとユーディアの目が輝くのをリラは見た。
何かする!と思ったが、制止するには遅かった。
「ジプサム!」
ユーディアは声をかける。
ジプサムは昨晩は遅く帰宅で、朝も早かったので、今日は初の顔合わせである。
そもそも、そうであること事体、側仕えとしては仕事をしていないのであるが。
声をかけられて、王子は顔を上げた。
大声で上から声をかけられることなどベルゼラ国内の、しかも王宮内ではまずない。
「ユーディア!すごい花だな」
だが、周囲が驚いたことに、王子は朗らかに手をふり返す。
ユーディアはお尻を塀にかけると、ひょいと花ごと下の階の、ジプサムの前に飛び降りた。
腕からこぼれ落ちたトルコ桔梗やバラの花が空を舞ってぱさりと落ちる。
ユーディアが花の香る草原の爽やかな風を、ジプサムの胸に吹きいれる。
「この花をあんたの部屋に活けるのが今日の仕事始めだ!」
ジプサムは、草原の友人が頬を上気させて、楽しそうなことに満足する。
「そうか、きれいに活けてくれよ」
ジプサムはにっこり、ユーディアに笑顔を返す。
そして、付け加える。
「ユーディア、次回からは塀から飛び降りないで、階段を使うんだ」
「駄目なのか?」
草原の世界には何階も層のある建造物はない。
ユーディアが側にいると、ジプサムは自分の周囲の空間が、とても大きく広がるような気がする。
そして、自由に生きたいように生きればいいという気持ちになれる。
子供の頃に毎年、ユーディアたちと過ごして感じたことでもあった。
見たことのない第一王子の笑顔に、リラや騎士たちは絶句したのであった。