世継ぎで舞姫の君に恋をする
20、厨房
夕食後は自由時間であった。
ジプサムの食事を片付けると、ユーディアは厨房にいく。
料理長のガレーはユーディアが持って帰ってきた皿を覗くと、満足そうにうなずいた。
作った料理の完食はうれしいものである。
ガレーは当初はベルゼラの料理全般を手伝わせながら教えていたが、ひととおりユーディアがわかるようになると、今度は積極的にモルガンの馬乳酒造りについて、ユーディアに聞いていた。
「レグラン王が馬乳酒が好きなんだ。知っての通り、馬乳酒は高い。
酒ごときではベルゼラの財政がどうなるとは思わないが、何かあるごとに皆に振る舞われるのでな。王宮でも作ろうかと思ってな?」
モルガンでは馬を飼っているところではどこの家庭でも作る酒である。
その家庭毎に、同じ作り方をしても異なる味わいがあって面白い。
ガレー料理長は、ユーディアの話から王宮印の馬乳酒を作ろうと思いついた。
ということで、ユーディアは今度は教える側になっている。
ユーディアは日々の食事を厨房で頂いている。
仕事が一段落した後の厨房の雰囲気は、準備中の殺気だったものとうってかわって大変砕けた気軽なものである。
そのざっくばらんな雰囲気がユーディアは大好きである。
ともすれば奴隷と蔑まれたり、逆に王子の特別扱いのお気にいり、ということで妬まれたりすることもある、ユーディアである。
仕事が関係する女官やほかの側仕えの者たちと一緒にいるのと比べると、厨房は緊張感ゼロであった。
何をしても驚かれはすれども、否定されない雰囲気がある。
それは生きるための絶対的に必要な食事を作るもの特有の、命に対する尊敬の念を持っているためなのかとユーディアは思う。
ベルゼラ王宮で、複雑な立ち位置のユーディアにも、初めて分け隔てなく受け入れてくれた最初の場所が厨房であった。
とはいえ、厨房でもくもくと食事を取るユーディアに、その場所を追い出しもせずに居させてやるぐらいのものだった。
それが、何にも知らない代わりに、自分の知らない草原の民の食文化に精通していることを知ると、先程のガレー料理長ではないが、厨房で働く者たちは見習いも含めて料理に関係することならどんなことでも関心のあるものたちが集まった集団である。積極的に話しかけられるようになっていた。
ある日の話題は羊の話であった。
ユーディアが、羊を絞めるところから捌けるところまでひとりでできると言うと、彼らの反応は予想外に大きかった。
「うへえ!殺して血を抜いて、革はいで、捌けるのか!」
見習いのジャンが言う。
ソバカスが散らばる15才。
「できないと、一家の長にはなれないからね!」
もっとも一家の長の仕事といっても妻の役割りである。これは言わない。
「確かに、今は分業が進んで、目を背けたくなるような屠殺現場は、弱い立場の者に押し付けて、我々のところには最初の形もわからないような、きれいに整えられた肉としてしか届かないからな。内臓は捨てられていると聞いている」
ガレー料理長は感慨深げに言う。
さらに、付け加えた。
「小僧ッ子、今度、我らに教えてくれ!
丸ごと一頭頂こう!
料理をするものは、頂くものすべてを知らなくてはならない!それでこそ、我らの生きた血肉となる、滋養の料理を作れるのである!」
後になって思うと、ガレー料理長のその言葉が、厨房に働く者たちの尊敬を勝ち得て、場所を確保できることに繋がったのだとユーディアは思ったのだった。
その日は厨房の雰囲気が全く違っていた。
いつもより、寛いだ雰囲気がなかった。
来る時間を間違えたかと思ってしまう。
ユーディアはジャンに聞く。
「何かあったの?みんな、ピリピリしているような?」
ジャンは夕食を掻き込むように食べた。
「外遊に出られていた王さまが帰国された!その食事を作らねばならなくなったんだ!」
終わったと思ったときに急に飛び込んできた王さまと付き従う騎士10名の夕食作りだった。
「何か僕も手伝おうか?」
言うと、ジャンは嬉しそうに笑顔だ。
「ありがとう!でもユーディも疲れているだろう?王さまの食事は俺たちの仕事だ!」
ジャン以外も、急いで食べ終わると、食材を確認し出した。
ガレー料理長が指示を出している。
「ユーディはゆっくりしていきなよ。そうだ、後宮に隣接している庭にはいったことがあるか?小さな音楽会やなんかができる舞台があるんだぜ?今は季節も良いし、花が咲き乱れてきれいなんだ!気分も安らぐし、ユーディ時間があればいってみるといいよ!」
ジャンは片目をつぶる。
「僕の秘密の庭だ!」
ジャンは自然が好きなユーディアに自分の取っておきの場所を教えてあげる。
本当は、自分が連れていきたかったのだが王さまが帰ってきたとなると、当分、厨房は忙しくなりそうだった。
「秘密の庭!」
ユーディアはその響きが気にいった。友だちに、初めて秘密を打ち明けられた時のような、うれしい気持ちになったのだった。
夕食を食べ終わるとユーディアは王さまの帰国に、普段よりも緊張感の漂う厨房をそっと去る。
少し休んで、ジャンが教えてくれた秘密の庭に行くつもりだった。
ベルゼラの王はどんな人なのだろう?
ユーディアは思う。
ベルゼラを強国に押し上げた豪の英雄である。
ジプサムが自分は王の飾りに過ぎないと言い、無力感に苛まれたのは偉大な父王の存在が大きかったのだろう。
どんなに頑張っても父王を越えることができないと予想され、王の望むままの人生が引かれているという感覚は、気持ちの良いものではないだろう。
あの天幕の夜以来、ユーディアはジプサムが無力感にさいなまれている姿を見たことがない。
王の言葉しか聞く価値がないとする古株たちを、最近は、根気強く説得していることもあるという。
無力感を感じるほど、ジプサムは暇ではない。
部屋でひと息つく。
ジプサムの帰りは遅そうだった。
せっかくいれた湯が無駄になりそうだったので、ユーディアは先に湯に入ることにした。
一日の疲れが湯に溶け出していくようだった。
王子の側仕えも交代制で、既にリラに引き継いでいる。
今日のユーディアの仕事は完了であった。
ジプサムの食事を片付けると、ユーディアは厨房にいく。
料理長のガレーはユーディアが持って帰ってきた皿を覗くと、満足そうにうなずいた。
作った料理の完食はうれしいものである。
ガレーは当初はベルゼラの料理全般を手伝わせながら教えていたが、ひととおりユーディアがわかるようになると、今度は積極的にモルガンの馬乳酒造りについて、ユーディアに聞いていた。
「レグラン王が馬乳酒が好きなんだ。知っての通り、馬乳酒は高い。
酒ごときではベルゼラの財政がどうなるとは思わないが、何かあるごとに皆に振る舞われるのでな。王宮でも作ろうかと思ってな?」
モルガンでは馬を飼っているところではどこの家庭でも作る酒である。
その家庭毎に、同じ作り方をしても異なる味わいがあって面白い。
ガレー料理長は、ユーディアの話から王宮印の馬乳酒を作ろうと思いついた。
ということで、ユーディアは今度は教える側になっている。
ユーディアは日々の食事を厨房で頂いている。
仕事が一段落した後の厨房の雰囲気は、準備中の殺気だったものとうってかわって大変砕けた気軽なものである。
そのざっくばらんな雰囲気がユーディアは大好きである。
ともすれば奴隷と蔑まれたり、逆に王子の特別扱いのお気にいり、ということで妬まれたりすることもある、ユーディアである。
仕事が関係する女官やほかの側仕えの者たちと一緒にいるのと比べると、厨房は緊張感ゼロであった。
何をしても驚かれはすれども、否定されない雰囲気がある。
それは生きるための絶対的に必要な食事を作るもの特有の、命に対する尊敬の念を持っているためなのかとユーディアは思う。
ベルゼラ王宮で、複雑な立ち位置のユーディアにも、初めて分け隔てなく受け入れてくれた最初の場所が厨房であった。
とはいえ、厨房でもくもくと食事を取るユーディアに、その場所を追い出しもせずに居させてやるぐらいのものだった。
それが、何にも知らない代わりに、自分の知らない草原の民の食文化に精通していることを知ると、先程のガレー料理長ではないが、厨房で働く者たちは見習いも含めて料理に関係することならどんなことでも関心のあるものたちが集まった集団である。積極的に話しかけられるようになっていた。
ある日の話題は羊の話であった。
ユーディアが、羊を絞めるところから捌けるところまでひとりでできると言うと、彼らの反応は予想外に大きかった。
「うへえ!殺して血を抜いて、革はいで、捌けるのか!」
見習いのジャンが言う。
ソバカスが散らばる15才。
「できないと、一家の長にはなれないからね!」
もっとも一家の長の仕事といっても妻の役割りである。これは言わない。
「確かに、今は分業が進んで、目を背けたくなるような屠殺現場は、弱い立場の者に押し付けて、我々のところには最初の形もわからないような、きれいに整えられた肉としてしか届かないからな。内臓は捨てられていると聞いている」
ガレー料理長は感慨深げに言う。
さらに、付け加えた。
「小僧ッ子、今度、我らに教えてくれ!
丸ごと一頭頂こう!
料理をするものは、頂くものすべてを知らなくてはならない!それでこそ、我らの生きた血肉となる、滋養の料理を作れるのである!」
後になって思うと、ガレー料理長のその言葉が、厨房に働く者たちの尊敬を勝ち得て、場所を確保できることに繋がったのだとユーディアは思ったのだった。
その日は厨房の雰囲気が全く違っていた。
いつもより、寛いだ雰囲気がなかった。
来る時間を間違えたかと思ってしまう。
ユーディアはジャンに聞く。
「何かあったの?みんな、ピリピリしているような?」
ジャンは夕食を掻き込むように食べた。
「外遊に出られていた王さまが帰国された!その食事を作らねばならなくなったんだ!」
終わったと思ったときに急に飛び込んできた王さまと付き従う騎士10名の夕食作りだった。
「何か僕も手伝おうか?」
言うと、ジャンは嬉しそうに笑顔だ。
「ありがとう!でもユーディも疲れているだろう?王さまの食事は俺たちの仕事だ!」
ジャン以外も、急いで食べ終わると、食材を確認し出した。
ガレー料理長が指示を出している。
「ユーディはゆっくりしていきなよ。そうだ、後宮に隣接している庭にはいったことがあるか?小さな音楽会やなんかができる舞台があるんだぜ?今は季節も良いし、花が咲き乱れてきれいなんだ!気分も安らぐし、ユーディ時間があればいってみるといいよ!」
ジャンは片目をつぶる。
「僕の秘密の庭だ!」
ジャンは自然が好きなユーディアに自分の取っておきの場所を教えてあげる。
本当は、自分が連れていきたかったのだが王さまが帰ってきたとなると、当分、厨房は忙しくなりそうだった。
「秘密の庭!」
ユーディアはその響きが気にいった。友だちに、初めて秘密を打ち明けられた時のような、うれしい気持ちになったのだった。
夕食を食べ終わるとユーディアは王さまの帰国に、普段よりも緊張感の漂う厨房をそっと去る。
少し休んで、ジャンが教えてくれた秘密の庭に行くつもりだった。
ベルゼラの王はどんな人なのだろう?
ユーディアは思う。
ベルゼラを強国に押し上げた豪の英雄である。
ジプサムが自分は王の飾りに過ぎないと言い、無力感に苛まれたのは偉大な父王の存在が大きかったのだろう。
どんなに頑張っても父王を越えることができないと予想され、王の望むままの人生が引かれているという感覚は、気持ちの良いものではないだろう。
あの天幕の夜以来、ユーディアはジプサムが無力感にさいなまれている姿を見たことがない。
王の言葉しか聞く価値がないとする古株たちを、最近は、根気強く説得していることもあるという。
無力感を感じるほど、ジプサムは暇ではない。
部屋でひと息つく。
ジプサムの帰りは遅そうだった。
せっかくいれた湯が無駄になりそうだったので、ユーディアは先に湯に入ることにした。
一日の疲れが湯に溶け出していくようだった。
王子の側仕えも交代制で、既にリラに引き継いでいる。
今日のユーディアの仕事は完了であった。