世継ぎで舞姫の君に恋をする
21、秘密の舞台
ユーディアは風呂から上がると、髪をタオルで押さえて水を切る。
ゆったりとした服に着替える。
湯から上がってからは締め付け感が嫌で、いつものように晒しは巻かない。
髪を乾かそうと、窓を開ける。
涼しい風がほほを通りすぎる。
真っ赤な夕焼けだった。風も空も草原と同じものだ。
風に、懐かしい笛の音が乗って、ユーディアの耳をくすぐった。
夜風はたまに、ブルースの弦の音色や、馬担当になったカカやナイードの小太鼓や笛など運んでくる。
この笛の奏者は誰だろう?
ユーディアは、聞きなれないタッチで、だがよく知っているモルガンの調べを奏でる音をたどっていく。
王宮はこの時間にしてはまだ騒がしい。
主の帰還のためだろう。
だが、それも庭を抜けて後宮に向かう小道に入る頃には、静寂に包まれる。
静寂を細く長く、物悲しく切り裂く篠笛の音。
導かれるように、花の香る小道を抜けると、そこには、扇形の野外舞台がユーディアの目の前に現れた。
二つの大きな松明が既に準備されている。
煌々と明るい舞台だった。
その舞台の袖に、ユーディアを呼び寄せた篠笛の主がいた。
高めの塀にもたれ、目を閉じて息を長く笛を吹く。
長い黒髪。細身の体。飾り気のない、シンプルな服に革ベルト。
彼はモルガン族の男か、遊牧民のゼプシーだろうか?
ユーディアは思う。
いつのまにか、ユーディアはジャンの言っていた、秘密の庭に来ていたようだった。
奏でる男と同様に、ユーディアも目を閉じると、草原の営みが浮かび上がる。
ほんの三ヶ月前までは、ユーディアはその景色の中にいたのだ。
それが今や、ベルゼラ国の心臓部、王宮でいろんな規則に縛られて時間に追われて生活をしている。
思ってもみない、激変の生活だった。
幼馴染たちはバラバラになった。
ブルースの親兄弟は亡くなった。
「そんな悲しい顔をしないで」
ユーディアは曲が終わったことに気がつかなかった。
篠笛の男は笛を手に、ユーディアを見ていた。
「こっちにおいで」
誘われて、ユーディアは野外客席を歩いて舞台まで近付く。
そこは男が準備した松明で明るかった。
ジャンの秘密の庭に、誰かがいることが驚きであった。
男は舞台の上からユーディアに手を伸ばした。その節ばった手を握ると、男は軽々と舞台に引き上げた。
見た目よりも力強い手だった。間近に見ると男は、30代ぐらい。
だが実際の年齢の割りに、苦悩の刻まれた顔をしているとユーディアは思う。
「その曲はモルガンの曲だ。あんたはモルガン族か?」
ユーディアは聞く。
黒髪の男は、ちょっと驚きユーディアを見る。
松明に照らされた男の顔に浮かぶ考えは、ユーディアにはわからない。
「モルガン族では今はないよ」
ようやく男はいう。
「たまにこうして懐かしむ。それだけだ」
今はモルガンではないとはどういうことだろう?ユーディアにはわからない。
捕虜として奴隷として、王宮で働いているのだろうか?
「ここは、後宮に近いから、あんたは後宮で働いているのか?」
男はそれを聞くと、あははっと笑った。
「後宮で働く男は、去勢される。わたしには、あれが付いているから、後宮で働いているわけではないよ。久々にわらったような気がする!」
男は少し考える。
「だけど、わたしは王宮に囚われた奴隷でもあるんだ」
自分を奴隷という男はユーディアを見た。
端正でありながら聡明そうな、男の顔だった。
ユーディアは、誰かに似ていると思うがわからない。
彼もまた、捕虜から王宮の誰かに買われたのだろうか?
「あなたは?モルガンか?なんでこんなところにいる?後宮につれてこられたのか?勝手にはでられないだろう?」
男は目を細めてユーディアを見た。
ユーディアを女と思っているようだった。
ユーディアは胸の晒しをしていないことにようやく気がついた。
外出するときには欠かしたことがなかったが、笛の音に気をとられて忘れていたのだ。
しまったと思ったときには遅かった。
こうなれば、自分が、王子の側仕えのユーディアと同一人物と悟られないようにするしかなかった。
彼と初顔合わせだったので、このまま王宮でも顔を合わさないことを願う。
「後宮だって?そんなところいったこともないよ!わたしは王宮で働いているんだ」
「ふうん?」
男は別の楽器も持っていた。
笛を置いて、絃楽器をジャンジャンとかき鳴らす。
「モルガンなら踊れる?」
「もちろん!なんでも踊れる!」
「そうなの?」
挑発的に男は弦をかき鳴らす。
よく知っている旋律だった。
ユーディアは履き物を脱いで、たんたんと足で床を踏み鳴らすと、踊り出した。
暫く踊っていなかったので、体は少し重い感じがあったが、彼の奏でる曲の癖がわかってくると次第に気にならなくなる。
「久々に見た。女踊り、いいな」
男は言う。
「だが、もっとセクシーに踊ってくれ」
「せ、セクシーにだって?」
ユーディアはびっくりする。姉に習ったときにはそんな指導はなかったからだ。
意識的にセクシーに踊ったのは、あの夜だけ。
ジプサムを誘惑するために踊った時ぐらいだった。
「この女踊りは男踊りと対になる。男踊りと合わせたことはないのか?えっと?」
「ディア」
「ディア、そのまま踊ってくれ」
男は楽器を床に置く。
彼もブーツを脱いだ。
タンっと彼はユーディアに向かって跳躍した!
そしてユーディアの踊りに合わせて、ユーディアを引き寄せては突き放し、また引き寄せる。
男が追いかけ、女が逃げる。
何度か繰り返すうちに、男と女の視線が熱く絡まる。
扇情的に女は男を誘うが、寸でのところをのらりと逃げる。
彼の唇がユーディアのほほをかすめた。
熱い息が耳をくすぐる。
男はとうとう、娘の細腰をつかまえるとその胸に顔を埋める。
その頭を、娘はかきいだく。
ああ、これはそういう踊りだった。
男と女の恋の駆け引き。愛の踊り。
東と西に別れてしまった、対の踊りだった。
男は抱いたまま、ふわりとユーディアを床に寝かせた。
キスされる!とユーディアは思った。
だけど、彼を突き放すことができない。
体が動かなかった。
奥深い目が、ユーディアを慈しむ。
「わかったか?」
ユーディアは気がつくと、体を起こされていた。
「セクシーに踊るということはこういうことだ」
イタズラ気に男は笑う。
「わたしに抱かれてもいいと思っただろう?」
言われてユーディアはみるみる真っ赤になる。図星だった。
あのまま、起こされていなかったら、自分から男の唇に、己の唇を寄せていたかもしれなかったのだ。
そのうぶな反応に、男は眉をあげた。
ユーディアは立ち上がる。
「あんたは危険な男だ!」
あははっと男は笑う。
既に、舞台の外は真っ暗である。
木立の向こうの王宮に設えられた松明が揺れる。
「わたしはレギーだ!また会えるか?ディア?わたしはたまにここに来る」
「、、、気が向けばね!」
ユーディアは走り出した。
胸がどきどきする。
あの男は危険だった。二度と会ってはいけないような気がした。
その後ろ姿をレギーと名乗った男は見守る。明かりのない中、娘は走る。
夜を見通せるのは、娘は正真正銘の草原の育ちだからだ。
モルガン族の奴隷の話は、彼の息子が競売で史上最高額で購入したという、愛人にしているという若者の話と、トニーが得た鷹も操るという戦士の話しか聞いていなかった。
密かにもう一人手に入れていたのか?
だが、すぐに否定する。
息子のジプサムにそんな器用なことは出来そうにないからだ。
愛人を作ったことでさえ、小心物の息子にはかなりの進歩である。
王宮で働いているのなら、いずれ顔を合わせるだろうと思う。
「後宮にでもいくか」
レグラン王の体は先程の娘との踊りで熱くなっていた。
彼を喜んで迎える娘は何人もいるのだ。
ゆったりとした服に着替える。
湯から上がってからは締め付け感が嫌で、いつものように晒しは巻かない。
髪を乾かそうと、窓を開ける。
涼しい風がほほを通りすぎる。
真っ赤な夕焼けだった。風も空も草原と同じものだ。
風に、懐かしい笛の音が乗って、ユーディアの耳をくすぐった。
夜風はたまに、ブルースの弦の音色や、馬担当になったカカやナイードの小太鼓や笛など運んでくる。
この笛の奏者は誰だろう?
ユーディアは、聞きなれないタッチで、だがよく知っているモルガンの調べを奏でる音をたどっていく。
王宮はこの時間にしてはまだ騒がしい。
主の帰還のためだろう。
だが、それも庭を抜けて後宮に向かう小道に入る頃には、静寂に包まれる。
静寂を細く長く、物悲しく切り裂く篠笛の音。
導かれるように、花の香る小道を抜けると、そこには、扇形の野外舞台がユーディアの目の前に現れた。
二つの大きな松明が既に準備されている。
煌々と明るい舞台だった。
その舞台の袖に、ユーディアを呼び寄せた篠笛の主がいた。
高めの塀にもたれ、目を閉じて息を長く笛を吹く。
長い黒髪。細身の体。飾り気のない、シンプルな服に革ベルト。
彼はモルガン族の男か、遊牧民のゼプシーだろうか?
ユーディアは思う。
いつのまにか、ユーディアはジャンの言っていた、秘密の庭に来ていたようだった。
奏でる男と同様に、ユーディアも目を閉じると、草原の営みが浮かび上がる。
ほんの三ヶ月前までは、ユーディアはその景色の中にいたのだ。
それが今や、ベルゼラ国の心臓部、王宮でいろんな規則に縛られて時間に追われて生活をしている。
思ってもみない、激変の生活だった。
幼馴染たちはバラバラになった。
ブルースの親兄弟は亡くなった。
「そんな悲しい顔をしないで」
ユーディアは曲が終わったことに気がつかなかった。
篠笛の男は笛を手に、ユーディアを見ていた。
「こっちにおいで」
誘われて、ユーディアは野外客席を歩いて舞台まで近付く。
そこは男が準備した松明で明るかった。
ジャンの秘密の庭に、誰かがいることが驚きであった。
男は舞台の上からユーディアに手を伸ばした。その節ばった手を握ると、男は軽々と舞台に引き上げた。
見た目よりも力強い手だった。間近に見ると男は、30代ぐらい。
だが実際の年齢の割りに、苦悩の刻まれた顔をしているとユーディアは思う。
「その曲はモルガンの曲だ。あんたはモルガン族か?」
ユーディアは聞く。
黒髪の男は、ちょっと驚きユーディアを見る。
松明に照らされた男の顔に浮かぶ考えは、ユーディアにはわからない。
「モルガン族では今はないよ」
ようやく男はいう。
「たまにこうして懐かしむ。それだけだ」
今はモルガンではないとはどういうことだろう?ユーディアにはわからない。
捕虜として奴隷として、王宮で働いているのだろうか?
「ここは、後宮に近いから、あんたは後宮で働いているのか?」
男はそれを聞くと、あははっと笑った。
「後宮で働く男は、去勢される。わたしには、あれが付いているから、後宮で働いているわけではないよ。久々にわらったような気がする!」
男は少し考える。
「だけど、わたしは王宮に囚われた奴隷でもあるんだ」
自分を奴隷という男はユーディアを見た。
端正でありながら聡明そうな、男の顔だった。
ユーディアは、誰かに似ていると思うがわからない。
彼もまた、捕虜から王宮の誰かに買われたのだろうか?
「あなたは?モルガンか?なんでこんなところにいる?後宮につれてこられたのか?勝手にはでられないだろう?」
男は目を細めてユーディアを見た。
ユーディアを女と思っているようだった。
ユーディアは胸の晒しをしていないことにようやく気がついた。
外出するときには欠かしたことがなかったが、笛の音に気をとられて忘れていたのだ。
しまったと思ったときには遅かった。
こうなれば、自分が、王子の側仕えのユーディアと同一人物と悟られないようにするしかなかった。
彼と初顔合わせだったので、このまま王宮でも顔を合わさないことを願う。
「後宮だって?そんなところいったこともないよ!わたしは王宮で働いているんだ」
「ふうん?」
男は別の楽器も持っていた。
笛を置いて、絃楽器をジャンジャンとかき鳴らす。
「モルガンなら踊れる?」
「もちろん!なんでも踊れる!」
「そうなの?」
挑発的に男は弦をかき鳴らす。
よく知っている旋律だった。
ユーディアは履き物を脱いで、たんたんと足で床を踏み鳴らすと、踊り出した。
暫く踊っていなかったので、体は少し重い感じがあったが、彼の奏でる曲の癖がわかってくると次第に気にならなくなる。
「久々に見た。女踊り、いいな」
男は言う。
「だが、もっとセクシーに踊ってくれ」
「せ、セクシーにだって?」
ユーディアはびっくりする。姉に習ったときにはそんな指導はなかったからだ。
意識的にセクシーに踊ったのは、あの夜だけ。
ジプサムを誘惑するために踊った時ぐらいだった。
「この女踊りは男踊りと対になる。男踊りと合わせたことはないのか?えっと?」
「ディア」
「ディア、そのまま踊ってくれ」
男は楽器を床に置く。
彼もブーツを脱いだ。
タンっと彼はユーディアに向かって跳躍した!
そしてユーディアの踊りに合わせて、ユーディアを引き寄せては突き放し、また引き寄せる。
男が追いかけ、女が逃げる。
何度か繰り返すうちに、男と女の視線が熱く絡まる。
扇情的に女は男を誘うが、寸でのところをのらりと逃げる。
彼の唇がユーディアのほほをかすめた。
熱い息が耳をくすぐる。
男はとうとう、娘の細腰をつかまえるとその胸に顔を埋める。
その頭を、娘はかきいだく。
ああ、これはそういう踊りだった。
男と女の恋の駆け引き。愛の踊り。
東と西に別れてしまった、対の踊りだった。
男は抱いたまま、ふわりとユーディアを床に寝かせた。
キスされる!とユーディアは思った。
だけど、彼を突き放すことができない。
体が動かなかった。
奥深い目が、ユーディアを慈しむ。
「わかったか?」
ユーディアは気がつくと、体を起こされていた。
「セクシーに踊るということはこういうことだ」
イタズラ気に男は笑う。
「わたしに抱かれてもいいと思っただろう?」
言われてユーディアはみるみる真っ赤になる。図星だった。
あのまま、起こされていなかったら、自分から男の唇に、己の唇を寄せていたかもしれなかったのだ。
そのうぶな反応に、男は眉をあげた。
ユーディアは立ち上がる。
「あんたは危険な男だ!」
あははっと男は笑う。
既に、舞台の外は真っ暗である。
木立の向こうの王宮に設えられた松明が揺れる。
「わたしはレギーだ!また会えるか?ディア?わたしはたまにここに来る」
「、、、気が向けばね!」
ユーディアは走り出した。
胸がどきどきする。
あの男は危険だった。二度と会ってはいけないような気がした。
その後ろ姿をレギーと名乗った男は見守る。明かりのない中、娘は走る。
夜を見通せるのは、娘は正真正銘の草原の育ちだからだ。
モルガン族の奴隷の話は、彼の息子が競売で史上最高額で購入したという、愛人にしているという若者の話と、トニーが得た鷹も操るという戦士の話しか聞いていなかった。
密かにもう一人手に入れていたのか?
だが、すぐに否定する。
息子のジプサムにそんな器用なことは出来そうにないからだ。
愛人を作ったことでさえ、小心物の息子にはかなりの進歩である。
王宮で働いているのなら、いずれ顔を合わせるだろうと思う。
「後宮にでもいくか」
レグラン王の体は先程の娘との踊りで熱くなっていた。
彼を喜んで迎える娘は何人もいるのだ。