ビターのちスイート
店に帰ると、店長である川崎が驚いた顔で杏奈に声を掛ける。
川崎は、この『ショコラ・ショコラ』の創業者で、超一流の腕を持つショコラティエだ。
口に入れると誰もが幸せを感じる川崎の作品は、国内外問わず大人気で、海外からの観光客がお店を訪れることも多い。
杏奈も昔からここのチョコレートが大好きで、十二年前に幸弘にバレンタインのチョコレートを初めて渡したときには、恋が叶うと有名なこの店限定のショコラを購入したほどだ。
その噂どおりに幸弘と両想いになった杏奈は、あれ以来毎年、この限定ショコラを購入している。
そして、大学時代に『ショコラ・ショコラ』で販売員のアルバイトを始め、その接客が川崎と妻である亜依子に見初められ、卒業後は正社員としてそのまま働いているのだった。
「食べる気なくても何かは口に入れておかないと。これから忙しくなるんだし、高梨に倒れられたら困るだろう」
「大丈夫ですよ。私、結構丈夫なんで」
そうやって笑う杏奈の手に置かれたのは、ラップに包まれた三角おにぎり。
「食欲なくてもこれくらいなら食べられるだろう」
「でもこれ、店長のお昼ですよね?」
「俺はいいの。ひとつ食ってるし。とりあえずこれ食べて、今日はラストまで頼むぞ」
そう言って、川崎は椅子から立ち上がる。
「……ありがとうございます」
杏奈が頭を下げると、川崎は頭をガシガシとかいた。