ビターのちスイート
マリアの言葉に、幸弘は左手首の腕時計を見る。
「そうですね。多分彼女も帰り遅いと思うんで。これから連絡取ってみて、大丈夫そうなら会いに行こうかなと思ってます」
「そうですか。私は今日は無理っぽいです」
「マリア。今日頑張れば三日後にオフが待ってるんだから、我慢して」
恐らくマリアの恋愛事情も把握済なのであろう。マネージャーの言葉には優しさがこもっている。
「はーい。頑張ります。赤瀬さん、私はこれで」
「はい。今日はありがとうございました」
マリアを見送り、幸弘は杏奈に連絡を入れておこうかと思い、胸元からスマートフォンを取り出す。
液晶に浮かぶ時刻は午後八時。杏奈からの連絡は入っていないが、試写会の片づけを済ませ会社を出る頃には、杏奈も仕事を終えて家でくつろいでいることだろう。
「……仕事終わってからでいいか」
杏奈への連絡は後回しにし、幸弘は部屋の片づけへをすべく、椅子を持ち上げたのだった。
しかし、この行動が、後の幸弘に大きな後悔を連れてくることとなる。
母との待ち合わせを終えた杏奈が意図的にスマートフォンの電源を切ったことによって、幸弘は連絡手段を絶たれてしまうことになったのだ。
そんなことには気づいていない幸弘は、会社を出る寸前に杏奈に入れたメッセージが既読にならず、首を傾げながら帰路に着いていた。
今日はバレンタインデー。チョコレートを扱う店に勤めている杏奈もきっと忙しいのだろう。