ビターのちスイート
「何があったかは聞かないけど。困ったことがあれば相談しろよ。一応これでも、お前の上司だからな」
「一応どころか、店長は立派な店長で、私の尊敬する一流のショコラティエですよ」
杏奈の言葉には答えず、後ろ手で手を振りながら、川崎は休憩室から去っていった。
杏奈は小さくため息をつき、川崎からもらったおにぎりに口をつける。
具材は杏奈も大好きな鮭のおにぎり。
塩加減も最高なそのおにぎりをゆっくりと味わい終え、杏奈は天井を仰いで目を閉じる。
瞼に浮かぶのは、さっき見かけた幸弘の姿。
幸弘と、あんな風にふたりで歩いてデートをしたのはいつのことだったか。
記憶をたどってもたどり着けないほど、ふたりで会った時間がなかったことに杏奈は気づく。
いつからだろう。電話もメールも杏奈からしかしなくなったのは。
そして、幸弘が杏奈からの連絡に折り返しも返信も入れなくなったのは。
高校、大学とエスカレーター式の学校に通っていた杏奈と幸弘は、高校一年のバレンタインデーをきっかけに交際を始めてもうすぐ十二年になる。
高校時代は三年間同じクラスだったので、特に連絡を入れなくても毎日顔を見て話すことが出来ていた。
学部が違った大学時代も、お互いが同じくらいの頻度で電話やメールを交わし、毎日とは言わなくてもある程度の頻度でデートをしていた。
元々見た目が柔らかく、誰に対しても優しい幸弘は人気があり、杏奈もヤキモキすることも多かったが、幸弘からの愛情を信じていたためどっしりと構えていられた。