ビターのちスイート
イベント当日
幸弘への連絡を絶ってからも、杏奈の日常はいつもと変わらない。
職場に行ってチョコレートの甘い匂いに癒されながら仕事をし、家でゆっくりお風呂に浸かって疲れを取る。
部屋の隅にある幸弘の荷物が入った段ボールは極力見ないようにして、毎日を過ごす。
相変わらず幸弘からの連絡はないまま、運命の二月十四日を迎えた。
コロコロ、と小さめのスーツケースを転がしながら杏奈は『ショコラ・ショコラ』へ出勤する。
終業後、そのまま羽田に向かい夜のうちにマレーシアへ向かう予定なのだ。
杏奈の都合で弾丸ツアーとなってしまうのが少し心苦しかったが、母の意向もあって、今回は国内ではなく海外へと飛び出すことになった。
母とは空港で待ち合わせている。
店の裏の従業員出入り口についた杏奈が扉を開けようとしたとき、中からひとりの男性が出てきた。
「あ。おはようございます、杏奈さん」
「おはようございます」
人懐っこい笑顔で挨拶をしてくれるのは、杏奈より三歳年下の本山だ。
本山は厨房で働くショコラティエ。この人懐っこい笑顔はバイトの女子学生からも大人気で、休憩時間には彼を囲んで話に花が咲いているのを杏奈はたびたび目にしていた。
「どうしたんですか。スーツケース転がして出勤なんて……。もしかして、ついに杏奈さんあのエセ爽やか彼氏とついに別れたんですか?」
「……なんでそうなるの。別に私、同棲してるわけじゃないから、家を出ることなんて必要ないんだけど」