恋かもしれない
言った瞬間、声にならない息が漏れたのが聞こえてきて、部屋の空気が凍りついたように感じた。

北本先生の表情も険しくなっている。

「綾瀬さんはそれを目の当たりにしたんですか?」

「見てません。ただ部屋の中が真っ赤だったことを覚えています」

争う音と怒鳴り声と叫び声も覚えている。

「どうしてそんなことに?」

「私の父は暴力を振るう人だったんです。私がまだ幼い頃母は毎日父からDVを受けていて、私が小学生になると私まで被害を受けるようになって、母は七歳の私を連れて逃げたんです」

必死だったことを覚えている。

ランドセルと小さなカバン一つに大事なものだけ詰めて。

夜の暗闇に紛れて、お母さんの手をぎゅーっと握って、お父さんが寝ている間に静かに家を出た。

追いかけて来そうで、すごく怖かった。

それで小さな家にひっそり住み始めて、なんにも物がなくてすっごく貧乏だったけど、暴力も泣き声もなくて、とても平和な日々を送っていた。

***

『奈津美、ごめんね。不自由にして。お母さんもっと頑張って働くからね!』

『ううん、いいの。おかあさんが、わらってるもん。わたし、うれしい!』

それだけで良かった。お母さんの笑顔見ているだけで幸せだって思えた。

でも、すぐに見つかった。夜、突然来て……。

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