恋かもしれない
「そうですか。治ったなら良かった。綾瀬さん、誰とも話さずにずっと椅子に座っていたでしょう。だから、気になっていたんです」

「……へ?」

驚きのあまり変な声が出た。

周りに沢山の女性がいたのに、壁際の椅子と同化していた私に気付いていたなんて。

弁護士の荒川さん以外、誰も私の存在を知らないと思っていたのに。

再び、心臓が早鐘をうち始める。

そっと見上げれば、松崎さんと目が合う。

見ている。私のこと、じーっと見ている。

どうしよう、こんなときはどうすれば――そう! 何か、何か話さないと!

「あ、あの!」

「はい?」

「あの、お……おし――っ」

勇気を出してどもりながらも話しかけた瞬間、体がぶるっと震えて派手なくしゃみが出た。

しかも鼻水まで垂れる始末。

肝心なときに、もう、最悪だ。

ハンカチで鼻をおさえて俯いていると、ふわりと、柔らかであたたかいものに体が包まれた。

それは、チャコールグレーの上質な布で、左胸下あたりで松崎さんの名札が揺れている。

「え……これ」

「俺なら平気ですから、どうぞ。外は冷えますね。そろそろ中に戻りませんか?」
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