魔法が解けた、その後も

 次の日の昼休み、噂は益々過熱の一途を辿っていたけど、私は一人保健室を目指していた。藤倉君の一言は思った以上に効力を発揮しているのか、私に直接声をかけてくる人は今のところまだいない
 それでも心配した鞠が、ついて行こうか、と声をかけてくれたけど、この分なら問題はなさそうだと首を振った。
 それにこれから行く用件は、私一人の方が良い、そんな気がしたから。

 昼休みに行く、と約束したわけではなかったから、もしかしたら外へ食べに出ているという可能性も考えていたけれども、扉をノックするまでもなく、近付くと中からボソボソ話し声が聞こえてきた。

 ――コンコン。

 大事な来客だった場合は出直そうと思ったんだけど、いつもののんびりした声で、どうぞー、と返ってくる。

「失礼します」

 扉を開ければ、先生は一人の男子生徒と話しているところだった。
 視線だけを私へと向け、

「あ、そういえば水曜日にって言ってたんだったね」

 途端へラっと笑ったその顔に、忘れていたのか、と思わず呆れた眼差しを向けてしまった。するとそんな私に少しばかり慌てたようで、忘れてないよっ! と大袈裟なほどのリアクション。

「先生、よろしくね」

 ただ、話していた男子生徒はそそくさと退室の準備をしていて、邪魔をしてしまったかもしれないと焦ってしまう。

「すみません。大事なお話し中でした?」
「いやいや、もう昼休みだし、戻れって言ったところだから大丈夫だよ」

 逃げるように帰る生徒に、何だか申し訳なくて頭を下げる。

「それより、おめでとう、と言って良いのかな?」

 同じように軽く会釈をして去って行く男子生徒の背中から視線を戻せば、今度はニヤニヤ、そんな音がしそうな笑みを貼り付けた顔がこちらを向いていた。

「何がですか?」
「藤倉と付き合い始めたんでしょ? モテるあいつが遂に彼女持ちになって、相談室はかつてない賑わい」

 先生はクリップボードを掲げる。遠目でも分かるくらい、それはびっしりと埋め尽くされていた。

「……面白がってます?」
「ごめんごめん、そういうんじゃない」
「じゃあ何ですか?」

 少しだけ険のある声が出てしまったけど、それは許してほしい。

「悪い、少しからかったんだ。想い合ってた二人が付き合って、何より。本当はそう思ってる」

 先生の笑顔は急に優しくなって、それじゃあこれ以上何も言えないじゃない、とむくれるしかない。

「悪かったよ」

 そんな私に先生はもう一度謝って、「それ、食べるために持ってきたんでしょ?」と、持参したお弁当箱を差した。

「お茶入れてあげるから待ってな」

 そう言って、机を片付け始める。

「先生お昼はどうするんですか?」

 謝ってくれたのにそれ以上機嫌が悪いままでいるのも何だか大人げない気がして、私は大人しく席に着いた。
 すると今度は、自分の都合ばかり考えて、先生のお昼を潰してしまったのではないか、そんな思いが頭をもたげた。
 でも先生は、パーテーションで区切られた流しから顔を覗かせると、コンビニ弁当買ってある、と事務机を顎で指す。その上には確かに、ビニール袋が置かれていた。

「先生っていっつもここで一人で食べてるんですか?」
「まあ大体」
「寂しくないんですか?」
「ははっ」 

 乾いた笑い声が聞こえたと思ったら、お盆に急須と湯呑みを乗せて戻って来た。

「何というか、一人が気楽、かな。どうぞ」
「ありがとうございます」

 注がれた熱々のお茶を受け取りながら、見た目今どきの先生と日本茶という組み合わせに違和感を覚えて、そっと笑ってしまった。お茶と聞いて、私はてっきりペットボトルだと思い込んでいたからだ。

「なあに?」

 だけど先生は、そんな私に目敏く気付いたよう。

「いいえ。ただ先生って、あんまり沼田先生のこと得意じゃないんだろうなって思って」

 お茶もそうだけど、一人が気楽、私はこの言葉を聞いて、戻る前、先生が沼田に対して苦手そうな素振りを見せていたことをふと思い出してしまったのだ。だからだろう、気付けばそんな言葉が口を突いて出ていた。それに、あの未来の出来事がきっかけで、喫煙事件のときは頼らせてもらったのだから。
 小言を言われながら食べるよりは、よっぽどここで一人食べる方が、気が休まるのかもしれない。

 先生は、私の言葉に少しだけ驚いたようだった。

「誰かにその話、した?」
「え、いや、多分誰にも」

 一瞬鞠に話したかな、とも思ったけど、多分そこまでは言及していない。

「……敏いね。頼むから、俺をこの学校から追い出さないでくれよ」

 最後はそうおどけて言ったけど、あっさりと認めてしまったその潔さに敬意を表して、はい、と神妙に頷いておいた。
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