魔法が解けた、その後も
2.奇妙な老婆
1
何だが朝から妙な胸騒ぎがする、そんな日ってたまにあると思う。
目が覚めたのは、時計を見ればいつもより二時間も早かった。毎日寝不足であるここ最近、こんなに早く目が覚めるのは物凄く珍しい。カーテンの向こうはまだ白んですらいない。
勿体ない、もう一度寝直そう。そうやって暖かいベッドに潜り込んでも、何故だか一向に眠気はやってこなかった。睡眠時間は、確実に足りてないはずなのに。
私は一つため息を吐くと、諦めてベッドから抜け出す。途端に足元から這い上がってくる冷気に体を震わせながら、急いでエアコンのスイッチを押した。
ただ起きているだけなら勉強でもした方が良いかもしれないと机に向かったけど、目は参考書の文字の上を滑るだけで一つも頭に入ってこない。
何だろう、心が変にざわついた。
シャーペンを放り出し、天井を仰ぐ。体を背もたれに預けると、重いとでも言うように、椅子がギシッと抗議の声を上げた。
そういえば今日は終業式だ。あまり期待できない通知表に、落ち込んででもいるんだろうか。
ぼーっと考えていると、外から「ワンッ」と元気な鳴き声が聞こえてきた。それで思い立つ。
そうだ、こんなに早いならハナの散歩に行こう。一緒に走ったら、少しはすっきりするかもしれない。
つけたばかりのエアコンを早々に切ると、私はパジャマ代わりにしているスウェットのまま上からダウンを羽織り、階下へと向かった。
「あら、おはよう」
扉を開ければ、キッチンで既に朝食を作っているお母さんと、ダイニングについて新聞を読むお父さんの姿。
「おはよ」
「どうしたの? 今日は早いのね」
お母さんが、カウンターから顔を覗かせた。
「目が覚めちゃった。お父さん、ハナの散歩、もう行った?」
「催促の声が聞こえたから、今行こうと思ってたんだ。行ってくれるのか?」
「うん、良いかな?」
「ハナもその方が嬉しいだろ。美麗みれいに一番懐いてるんだから」
新聞から顔を上げたお父さんが、老眼鏡を鼻にずらして私を見やる。その目は、建前ではそう言ったけど、凍えるような冬の早朝に外へ出なくて済む、そんな嬉しさが隠しきれていない。私は思わず笑ってしまった。いつもごめんね、お父さん。
私は頷いて、「行ってきます」とリビングを後にした。
「ハナ」
玄関を出ると、既にハナは小屋から出てスタンバっていた。
私を認めると立ち上がり、ハッハッ、と白い息を弾ませる。尻尾は千切れんばかりに振られていて、その姿が堪らなく可愛かった。
「最近ごめんね、忙しくて」
優しく頭を撫でてあげると、気持ちよさそうに目を細め、すり寄ってくる。
ハナは私が小学生の頃に飼い始めた秋田犬だ。きっかけはお母さんの知り合いが、子犬が産まれたからもらってくれないか、と打診してきたことによるものだった。我が家に来たばかりの頃は、ぬいぐるみみたいに小さくてふわふわで、兄弟姉妹のいなかった私は、突然できた新たな家族を大歓迎した。
毎日毎日撫で回し、一時構い過ぎたのか避けられたりもして落ち込んだのを思い出し、小さく笑ってしまう。あの頃と変わらず色は真っ白で手触りもふわふわ。だけど、サイズはとてもビッグになった。
西紅を受験しようと決める前までは、毎朝欠かさず私が散歩していたのだけれど、勉強が忙しくなってからは、ほとんどをお父さんにお願いしていた。
「久しぶりに私と行こっか」
言葉が通じているのかは分からないけど、ハナは元気よく「ワンッ」と鳴くと、お利口なことにリードを咥えて戻ってきた。
「いつの間にこんなことできるようになったの?」
だけどそう言ってから、教えるのは面倒くさがりなお父さんしかいないか、とまた笑ってしまった。
目が覚めたのは、時計を見ればいつもより二時間も早かった。毎日寝不足であるここ最近、こんなに早く目が覚めるのは物凄く珍しい。カーテンの向こうはまだ白んですらいない。
勿体ない、もう一度寝直そう。そうやって暖かいベッドに潜り込んでも、何故だか一向に眠気はやってこなかった。睡眠時間は、確実に足りてないはずなのに。
私は一つため息を吐くと、諦めてベッドから抜け出す。途端に足元から這い上がってくる冷気に体を震わせながら、急いでエアコンのスイッチを押した。
ただ起きているだけなら勉強でもした方が良いかもしれないと机に向かったけど、目は参考書の文字の上を滑るだけで一つも頭に入ってこない。
何だろう、心が変にざわついた。
シャーペンを放り出し、天井を仰ぐ。体を背もたれに預けると、重いとでも言うように、椅子がギシッと抗議の声を上げた。
そういえば今日は終業式だ。あまり期待できない通知表に、落ち込んででもいるんだろうか。
ぼーっと考えていると、外から「ワンッ」と元気な鳴き声が聞こえてきた。それで思い立つ。
そうだ、こんなに早いならハナの散歩に行こう。一緒に走ったら、少しはすっきりするかもしれない。
つけたばかりのエアコンを早々に切ると、私はパジャマ代わりにしているスウェットのまま上からダウンを羽織り、階下へと向かった。
「あら、おはよう」
扉を開ければ、キッチンで既に朝食を作っているお母さんと、ダイニングについて新聞を読むお父さんの姿。
「おはよ」
「どうしたの? 今日は早いのね」
お母さんが、カウンターから顔を覗かせた。
「目が覚めちゃった。お父さん、ハナの散歩、もう行った?」
「催促の声が聞こえたから、今行こうと思ってたんだ。行ってくれるのか?」
「うん、良いかな?」
「ハナもその方が嬉しいだろ。美麗みれいに一番懐いてるんだから」
新聞から顔を上げたお父さんが、老眼鏡を鼻にずらして私を見やる。その目は、建前ではそう言ったけど、凍えるような冬の早朝に外へ出なくて済む、そんな嬉しさが隠しきれていない。私は思わず笑ってしまった。いつもごめんね、お父さん。
私は頷いて、「行ってきます」とリビングを後にした。
「ハナ」
玄関を出ると、既にハナは小屋から出てスタンバっていた。
私を認めると立ち上がり、ハッハッ、と白い息を弾ませる。尻尾は千切れんばかりに振られていて、その姿が堪らなく可愛かった。
「最近ごめんね、忙しくて」
優しく頭を撫でてあげると、気持ちよさそうに目を細め、すり寄ってくる。
ハナは私が小学生の頃に飼い始めた秋田犬だ。きっかけはお母さんの知り合いが、子犬が産まれたからもらってくれないか、と打診してきたことによるものだった。我が家に来たばかりの頃は、ぬいぐるみみたいに小さくてふわふわで、兄弟姉妹のいなかった私は、突然できた新たな家族を大歓迎した。
毎日毎日撫で回し、一時構い過ぎたのか避けられたりもして落ち込んだのを思い出し、小さく笑ってしまう。あの頃と変わらず色は真っ白で手触りもふわふわ。だけど、サイズはとてもビッグになった。
西紅を受験しようと決める前までは、毎朝欠かさず私が散歩していたのだけれど、勉強が忙しくなってからは、ほとんどをお父さんにお願いしていた。
「久しぶりに私と行こっか」
言葉が通じているのかは分からないけど、ハナは元気よく「ワンッ」と鳴くと、お利口なことにリードを咥えて戻ってきた。
「いつの間にこんなことできるようになったの?」
だけどそう言ってから、教えるのは面倒くさがりなお父さんしかいないか、とまた笑ってしまった。