魔法が解けた、その後も
7.決意の果て
1
目を覚ました私は、最初自分がどこにいるのか分からなかった。
酷く頭が痛んで、確かに開いているというのに、両目はピントの合わないカメラのレンズのようにぼんやりとしか機能しない。だけどその向こうに動く人影が見えて、何となく目をやれば、それは弾かれたように大声を上げた。
「美麗! 起きたのね? 分かる? お母さんよ!」
……お母さん? 顔を向けようとして、体に痛みが走る。
漸く焦点の合ってきた目を巡らせれば、白い天井に白い壁。そしてベッドに横たわる私の体は何かの装置に繋がれていて、そこからはコポコポという変な音がしていた。
慌ててナースコールを押すお母さん。その瞬間、戦慄が私の体を駆け巡った。
「藤倉君っ! 藤倉君は?」
握られていたお母さんの手を強く握り返し問いかける。驚くほどかさついていた感触に、余程心配をかけたんだろうと申し訳なく思ったけど、まずはそれを確認しないことにはどうにも身動きが取れそうになかった。
――生きてる、よね?
するとお母さんは、呆れたような困ったような複雑な表情を浮かべた。
「まったく、あなたたちは揃いも揃って」
その表情に絶望は見えない。だけど早く確証が欲しくて、私はもう一度「藤倉君は無事?」と問い質した。
「ええ。出血は酷かったけど、命に別状はないそうよ。あなたより早く目が覚めて、一足先に一般病棟に移ってるわ」
ほっとした、なんて簡単な言葉じゃ言い表せない。
藤倉君が死んでしまうくらいなら、私が死んだほうがずっとずっとマシだと本気で思ったのだから。
「月島さん、ご気分はいかがですか?」
個室のドアがノックと共にガラリと開けられ、声がかかった。
目を向ければ、五十代くらいの男性医師と、カートのようなものにパソコンを乗せた若い女性看護師が姿を現した。
「あちこち痛いです」
すると医師は少し笑って、丁寧に触診をしてくれた。
その後、私の病状の説明に入る。それによれば、私は外傷性気胸という症状に陥っているらしい。簡単に言ってしまえば、折れた肋骨が肺に刺さったことにより出血し、その血が肺に溜まってしまっている状態だという。繋がれている装置は、その血液を体外へと排出する役割を果たしているんだそうだ。けど傷もそう深くなく、このままいけば二週間程度で外せると説明を受けた。
あれだけ派手に転がり落ちて車にも轢かれそうになったけれども、ちょっと深いかすり傷程度の外傷の他は、肋骨を二本と、腕の骨を一本折っただけで済んだ。
それもこれも、全ては彼が身を挺して守ってくれたからに他ならない。
一通り説明を受けると、お母さんはいったん家へ帰ると言う。聞けば私は三日も眠りこけていたそうで、驚いてしまった。
薄情な娘、苦笑交じりに呟いて、ハナの無事もついでのように告げられた私は、今の今まで頭の片隅にも上らなかった愛しい家族に、心の底から謝罪した。
去り際にお母さんは、
「藤倉君も起きて一番に、美麗の容態を訊いたそうよ」
と、赤面ものの爆弾を投下していった。
でも病室で一人きりになると、ため息一つですぐにその幸福は、不安と恐怖に塗り替えられてしまう。
以前に比べ、こんなにも変わってしまった時の流れ。戻る前は、事故なんて一切起こっていない。全ては疑いようもなく、私が取った行動の結末だ。
今回は無事だったけれども、私が狂わせた現実は、もしかしたらまた私にも、私の周りにも牙を剥くかもしれない。また誰かを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。
そしてそれに付随するように、一つの懸念が頭をよぎるのだ。
もしかしたらこの現実は、本来あるべき姿に向かって、そう、藤倉くんと琴平さんがくっつくという正常な未来に向かって修正されつつあるのではないか、と。異分子な私は、強制退場させられそうになったのではないか、と。
もしそうならば、私は、何のために戻って来たのだろう?
西本さんのことにしてもそうだ。
戻る前の彼女は、名前を聞いても思い出せないほど目立たない人物だった。それがどうだろう。私という、彼女以上に目立たなかった人間が台頭し、更に藤倉君と付き合ったことで、あれほどまでの狂気に走らせてしまったということになる。
彼女の人生を、私が狂わせたのだろうか?
痛む頭を懸命に振った。いや、違う。いくら許せなくても、狂気に陥るか陥らないかはその人の心次第だ。
静かな病室。考えれば考えるほど、思考は際限なく悪い方へと傾いていく。でも、止めることなんてできなかった。
私は……どうしたら良いのだろう?
この装置が取れるまで、ベッドから動くことはできないと言われてしまった。藤倉君の容態もまだ聞けていないけど、来ないということは同じように動けないということなんだろう。
「藤倉君…………」
早く会ってあの大きな腕に包まれながら、大丈夫だと安心させてほしかった。
酷く頭が痛んで、確かに開いているというのに、両目はピントの合わないカメラのレンズのようにぼんやりとしか機能しない。だけどその向こうに動く人影が見えて、何となく目をやれば、それは弾かれたように大声を上げた。
「美麗! 起きたのね? 分かる? お母さんよ!」
……お母さん? 顔を向けようとして、体に痛みが走る。
漸く焦点の合ってきた目を巡らせれば、白い天井に白い壁。そしてベッドに横たわる私の体は何かの装置に繋がれていて、そこからはコポコポという変な音がしていた。
慌ててナースコールを押すお母さん。その瞬間、戦慄が私の体を駆け巡った。
「藤倉君っ! 藤倉君は?」
握られていたお母さんの手を強く握り返し問いかける。驚くほどかさついていた感触に、余程心配をかけたんだろうと申し訳なく思ったけど、まずはそれを確認しないことにはどうにも身動きが取れそうになかった。
――生きてる、よね?
するとお母さんは、呆れたような困ったような複雑な表情を浮かべた。
「まったく、あなたたちは揃いも揃って」
その表情に絶望は見えない。だけど早く確証が欲しくて、私はもう一度「藤倉君は無事?」と問い質した。
「ええ。出血は酷かったけど、命に別状はないそうよ。あなたより早く目が覚めて、一足先に一般病棟に移ってるわ」
ほっとした、なんて簡単な言葉じゃ言い表せない。
藤倉君が死んでしまうくらいなら、私が死んだほうがずっとずっとマシだと本気で思ったのだから。
「月島さん、ご気分はいかがですか?」
個室のドアがノックと共にガラリと開けられ、声がかかった。
目を向ければ、五十代くらいの男性医師と、カートのようなものにパソコンを乗せた若い女性看護師が姿を現した。
「あちこち痛いです」
すると医師は少し笑って、丁寧に触診をしてくれた。
その後、私の病状の説明に入る。それによれば、私は外傷性気胸という症状に陥っているらしい。簡単に言ってしまえば、折れた肋骨が肺に刺さったことにより出血し、その血が肺に溜まってしまっている状態だという。繋がれている装置は、その血液を体外へと排出する役割を果たしているんだそうだ。けど傷もそう深くなく、このままいけば二週間程度で外せると説明を受けた。
あれだけ派手に転がり落ちて車にも轢かれそうになったけれども、ちょっと深いかすり傷程度の外傷の他は、肋骨を二本と、腕の骨を一本折っただけで済んだ。
それもこれも、全ては彼が身を挺して守ってくれたからに他ならない。
一通り説明を受けると、お母さんはいったん家へ帰ると言う。聞けば私は三日も眠りこけていたそうで、驚いてしまった。
薄情な娘、苦笑交じりに呟いて、ハナの無事もついでのように告げられた私は、今の今まで頭の片隅にも上らなかった愛しい家族に、心の底から謝罪した。
去り際にお母さんは、
「藤倉君も起きて一番に、美麗の容態を訊いたそうよ」
と、赤面ものの爆弾を投下していった。
でも病室で一人きりになると、ため息一つですぐにその幸福は、不安と恐怖に塗り替えられてしまう。
以前に比べ、こんなにも変わってしまった時の流れ。戻る前は、事故なんて一切起こっていない。全ては疑いようもなく、私が取った行動の結末だ。
今回は無事だったけれども、私が狂わせた現実は、もしかしたらまた私にも、私の周りにも牙を剥くかもしれない。また誰かを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。
そしてそれに付随するように、一つの懸念が頭をよぎるのだ。
もしかしたらこの現実は、本来あるべき姿に向かって、そう、藤倉くんと琴平さんがくっつくという正常な未来に向かって修正されつつあるのではないか、と。異分子な私は、強制退場させられそうになったのではないか、と。
もしそうならば、私は、何のために戻って来たのだろう?
西本さんのことにしてもそうだ。
戻る前の彼女は、名前を聞いても思い出せないほど目立たない人物だった。それがどうだろう。私という、彼女以上に目立たなかった人間が台頭し、更に藤倉君と付き合ったことで、あれほどまでの狂気に走らせてしまったということになる。
彼女の人生を、私が狂わせたのだろうか?
痛む頭を懸命に振った。いや、違う。いくら許せなくても、狂気に陥るか陥らないかはその人の心次第だ。
静かな病室。考えれば考えるほど、思考は際限なく悪い方へと傾いていく。でも、止めることなんてできなかった。
私は……どうしたら良いのだろう?
この装置が取れるまで、ベッドから動くことはできないと言われてしまった。藤倉君の容態もまだ聞けていないけど、来ないということは同じように動けないということなんだろう。
「藤倉君…………」
早く会ってあの大きな腕に包まれながら、大丈夫だと安心させてほしかった。