turning
車をスタートさせると、私は助手席の漆原に話しかけた。

「私がヴァイオリンをやめた理由ですが」

「やってたこと正式にきいてないけど」

「必要ありませんでしたから」

「うっすら気づいてたけどな。昔、コンクールで名前聞いた気がする。三日月なんて珍しい苗字、忘れない」

「……」

「まあいいや、はい、やめた理由どうぞ」

「あなたの演奏を聴いたからです。

あなたの存在は同世代の中では有名でしたので、常に意識してきました。差は開くばかりでしたけど。

あなたが国際コンクールで優勝した時にファイナルで弾いたコンチェルトは、私がいつか弾きたいと思っていた理想の遥か上をいく演奏でした。

圧倒的な才能の差を痛感して、私はこの世界では生きていけない、と絶望したんです。

当時は伸び悩んで苦しんでいたので、引導を渡してもらった感じで、むしろ楽になりました。

それから何となく普通の大学に入って、縁あって今の会社に入って、偶然あなたの担当をさせていただけて、ひと時でもストラドを預かれるんですから、人生わからないものです」

「……そうだな」

静かな漆原の返事。

しまった。つい。
慌てて取り繕う。

「すみません、余計なことを話しました。忘れてください」

「忘れないよ。背負ってく」

……さすが漆原建。

「せっかくの機会ですので付け加えますと、絶望したと同時に、ものすごく好きなタイプのヴァイオリニストだと思いました。この人がいるなら私が弾かなくてもいいやと、奇妙な安堵感も抱いたんです。その感覚は今も変わっていません」

「おお、背負うもの増やしてくれるね。
……それにしても、やっぱりな」

「何がです?」

「三日月は、恋をするとかわいくなるタイプだと思ってたら大当たりだ」
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