turning
対談場所は都内の小さなホール。
駐車場から緑に囲まれた建物を目指して歩いていると、入り口の手前でキョロキョロしている男性がいた。

……あれは。

私の二歩くらい前を歩いていた漆原が、早足で男性に近づいていく。脚が長いからストライドも大きくて、あっという間に私から離れていった。

漆原は男性に話しかけた。
二言三言話し、笑顔でお辞儀をしている。

漆原が18歳の時に国際コンクールで優勝した後留学を経て、20代前半から本格的に演奏活動を始めて以来、引く手数多のトップアーティストであり続けられる理由は、才能を差し引いたとして、これだと思う。

芸術家はワガママとか気難しいとかいうイメージがある。彼にもそういうところがなくはない。
ただ、彼は人として“割と”ちゃんとしているし、礼儀正しい。
音楽業界、人との繋がりで仕事が回ってくることだってある。棋士と違い、ヴァイオリニストなんてごまんといる。人間的に魅力がないよりも、あった方がステージに立てる回数は多くなると思うのだ。

漆原は私の方を見た。

まずい。
呼ぶな。

そんな私の念とは裏腹に、

「三日月!」

と漆原が呼んだ瞬間、隣の男性……上条氏は弾かれたように私を見た。

だから呼ぶなと言ったのに。
気に入っているレアな苗字もこんな場面では恨めしい。

「三日月……? 三日月千鶴さん?」

「知り合い?」

漆原が上条氏と私を見比べている。

ふてくされたように黙る社会人失格の私より先に、上条氏が漆原に言った。

「高校の同級生です」




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