turning
「あ、三日月」
建物を出て駐車場に向かおうとすると、上条君が立ち止まり、言った。
私を呼んだわけではないことは、彼の視線でわかった。
彼は空を見ていたからだ。
暮れていく紫色の夕空に、細く白い月が浮かんでいる。
「僕は、この季節の三日月が一番好きだな。夕空の優しいグラデーションに白い月が浮かんでるのを見ると、気持ちがスーッと落ち着くんだ。もちろん冬の夜空の三日月も冴え冴えとしてて凛とした気持ちになれるから、それはそれで好きだけど」
3月に入り、日がだいぶ延びてきていた。
月齢3の三日月は夕空で見られる時期になったんだ。
しばらく並んで眺めていたら、上条君が我に返ったように慌てて言った。
「あ、ごめん。僕、ほっとくと沈むまで見てるよ」
「もうすぐ沈むから別に構わないけど。今日は暖かいし」
「え、あ、そっか。よかった」
「何?」
「高校時代の生き急ぐ三日月さんしか知らないから、今はそうやってゆっくり生きることもできてるんだなって」
「仕事だと今でもせっかちだし、無駄は嫌い。空を眺めることも滅多にない」
「もったいないな、タダで感動できるよ?」
「感動できる感受性があればね」
「あるよ、絶対」
「あっても磨けてないから受容できない」
「あはは、いいなぁ、懐かしいなぁ、この感じ」
ネガティブで、皮肉屋な私。
ポジティブで、柔軟な上条君。
今になってわかる。
こんなやりとりは、お互いを信頼していないとできないんだと。学生時代の損得なしの友情があるからこそだと。
「逆に上条君こそ、そうやって空を眺める余裕のある生活ができていて安心した」
「たまには人間性を取り戻す時間を作るように心がけてる」
「私がヴァイオリンやめた理由を正直に言ったら、いいネタになったのに」
「本人の同意なしに明らかにできないよ。……でも、そんな風に言えるようになったのなら、安心した。っていうか漆原さんのマネージメント会社にいる時点で安心した。
もう乗り越えられてるんだなって」
「紆余曲折あってからの入社だったけど」
「……そっか。でも、よかった」