ハナノユメ


 かつて王宮として使われていたルーセ王立学校を頂として、崖を下り広がるように、旧市街はあった。都市の起源は紀元前までさかのぼり、かつては城塞都市として栄えていたが、現在は修復され歴史保護区になっている。前王朝を滅亡に至らしめた革命の戦禍を免れた建造物は、中世の頃の石造りの街並みで、小道や坂道が多く迷路のように入り組んでいた。週末になると楽しそうな学生たちや露店で賑わい、古の情景が残る街並みを観光に来る人々も多かった。けれどそんな賑やかな雰囲気とは打って変わって、花と煌星はお互い視線を交わしながら、前を歩くユリアとラシェッドに隠れてこそこそと会話をしていた。
「おい、小松さんは。昨日来るって言ってたじゃん」
「ごめん。でもしょうがないでしょ、小松さん用事が出来ちゃったんだって」
 小松を怒らせてしまったことについては、花も理由がよくわからなかったので黙っておいた。煌星は困ったように頭をかいた。
「だからって何でユリアなんだよ」
 花は二人の背中を見つめた。ユリアとラシェッドは、険悪な雰囲気だった。花は、ユリアがラシェッドのことを大嫌いだなんて、これっぽちも知らなかった。ラシェッドへの気持ちを、ユリアに話したことはなかったからだ。待ち合わせの場所に連れて行き、ラシェッドと煌星を見た途端、ユリアは思いっきり振り返って、本当に嫌そうな顔で叫んだのだ。
「ラシェッドと煌星なの⁉」
 そうして今に至る。しぶしぶ着いてきてくれたユリアだが、ラシェッドと煌星とはあまり話をしたくないようだった。どうやら、二人の言い合いと煌星からの話を聞くと、舞踊についての意見の違いがあるらしく、それで一年生の頃に仲違したのがきっかけで、今までお互い無視をしてきたらしかった。その議論は今再熱しているらしい。民族舞踊とクラシックバレエ、ジャンルは違えど、その姿勢には二人とも共通する熱いものがあった。今は、柔軟について、言い合っているらしかった。花は、内容だけ聞いていると、何も二人とも険悪な口調でなくともいいのに、と感じてもどかしくなった。
「言っておくけど、頼まれたから来ただけだから」
 ユリアはラシェッドを一瞥すると、言い放つ。ここからではラシェッドの表情は見えない。ラシェッドのひょんひょんと跳ねた色素の濃い黒髪を見上げた。まだラシェッドとは一言も話していない。なんだか緊張してきた。昨日からの緊張にさらに加えての緊張。どうにかなってしまいそうだ。こんなんで、ラシェッドと話したり出来るのかわからなかった。
「ちょっと、花、花。聞いてんの?」
「え?」
 手首を掴まれて、花はようやく煌星に呼ばれていたことに気づいた。立ち止まると、ジーンズのポケットに手をかけて、煌星は呆れたように見下ろしてきた。
「ボーっとしてんなよ」
「ごっごめん!」
「緊張しちゃって眠れなかったとか?」
「違う!」
 思わず叫んだら、煌星は噴出した。くつくつ笑いながら、屈みこんでいる。やっぱり、思ったとおり。そうやって面白がると思った。
「お前、ほんと、顔に出るのな」
「しょうがないじゃない」
 プイと顔を背けると、煌星は悪かった、と繰り返すが、本当はまだ面白がっている。口の端がにやついていた。
「煌星は緊張しなかったの?」
「どうして?」
「どうしてって。もういい」
 煌星なんて無視して歩き始めようとしたら、また手首を掴まれた。後ろに仰け反りそうになりながら煌星を振り返ると、顔がぐいっと近づく。反射的に後ろに数歩下がってしまった。
「このまんまじゃ花、ラシェッドと話せないだろ。俺がユリア連れてどっかふけるから、後は上手くやれよ」
「えええ!」
 花の慌てた声に、煌星はまた面白そうにニヤニヤしたが、それどころじゃない。ラシェッドと二人きりなんて、そんな、駄目だ。沸騰して死んじゃう。
「だめ、できない!」
「なんだよ、情けないな。大丈夫だって、話題に困ったらちょっと寝不足で疲れたふりして寄りかかっておけ」
「そんなこと出来ないって!」
 花があたふたと慌てるのを煌星は一瞥するが、考え直してくれる気は無いらしく、前を歩いている二人に向かって声を張り上げた。
「おうい、ラシェッド! ……って、あれ?」
 煌星の声は次第に小さくなり、人ごみを見つめた。さっきまで前を歩いていたはずなのに、二人はいつのまにか消えていた。行く手には見知らぬ人ばかりで、ラシェッドの黒髪にユリアの栗色の頭はどこにも見当たらない。
「花、ラシェッドとユリアは?」
「わたしだって知らないよ! はぐれちゃったんだ。煌星が呼び止めたりするから」
「なんだよ、俺のせい?」
「じゃないけど。こんなとこで話してるより、早く探しに行こ」
 花と煌星は足早に通りを抜けた。煌星は右、花は左側のショウウィンドウに目を凝らす。いつも見ていた、癖の強い黒髪を追って。
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