ゼフィルス、結婚は嫌よ
私が社長夫人に…
『…いまと同じこの店で心痛きわまる体験をしていたのよ、あなた。それは俗に云う失恋ね。ふふふ。その失恋相手というのは某大企業の御曹司で、事ここにいたる彼との出会いや恋愛の模様などいまはもう思い出したくもない!とにかく、その時点で私はすでに彼から婚約を受けていたの。娘が玉の輿に乗れるって、私よりも母が全身でこの成婚に入れ込んでいた。社長夫人の将来を思うと気が重くならないでもなかったけど私もまんざらではなく、なにより私を一人で育ててくれたその母を楽にしてあげたいという気持ちが一番強かったの。師走のある日私は彼からデートの誘いを受けて、すわいよいよ来年の挙式の段取りを告げられるのかと思い、私は精一杯のお洒落をしてこの店へとやって来たのよ。グレーのボックスワンピースと同素材のダブルフェースのコートというこの出で立ちは、相手の身分にかんがみてOLに過ぎない私が背伸びして、無理してしつらえたものだった。フルラのバックとアマンのハイヒール、イロンデールのブレスレットをそろえると、私のボーナスをぜんぶつぎ込んでも足りなかったわ。ふふふ…とにかく、その服装に合わせたようなシックな黒のタイツを穿いて、両足を組んで彼を待っていると、やがて伏し目がちに待つその私の視線にフェラガモとおぼしき高級靴が目に入ったの。これ一足だけで私がアルアバイルでそろえた服と小物一式の値段をかるく超えるだろうと思われたわ。彼の到着と勘違いした私は輝くような笑みを浮かべて目を上げたの。ところが…。そこに立っていたのは彼ではなくカシミヤコートを着込んだ彼の父親だったのよ。某大企業の企業主その人ね。