ゼフィルス、結婚は嫌よ

再び1993年6月へと

『その失恋を機にして私はゼフィルスの会に入ったのよ。そしてこの時の屈辱と心痛を忘れないようにしよう、肝に銘じようとして、事あるごとに、また近くに来る機会があるたびに、こうしてこの店に立ち寄っているの。たった一人でね』と云いさらに『ちなみに今回ここに来たのはそのゼフィルスの会の会長から呼び出しを受けているからよ』と先に記した経緯を心で語ったところで、ようやく惑香は完全に今に返ったようだ。さあそれでは以下のセリフはもはやモノローグではなく、現実の2人の会話と致しましょう。
「…そうですねえ。私はその…と、特別な思い入れがあってよくここに来るんです。ま、今日は先生から、あ、いや、だからその高山花枝から呼び出しを受けているので、ここで時間をつぶしているんです。このあと先生のアトリエまで行かなければならないの」
「特別な思い入れ…ですか。なるほどですね。無理にはお聞きしませんが、そのう…何か木枯らしが吹くような寒さを感じますね。ははは」
「え?木枯らし?…な、なぜ」
「いやいや何となく、ですよ。ちょっとそんな気がしただけです。しかしもしそんな時に僕があなたに出会していたならば、僕はあなたを暖めてお慰めしてあげたかったな」
この時の義男の表情は一瞬だが実に無念やる方ないといったもので、それは恰も義男がストーカー然として、この時分の惑香の身辺に現実に居たかのごときものであった。しかし万が一そうであったなら、またいまは分からぬが何某かの事情で惑香の前に顔を出せない身であったのなら、彼の惑香へ寄せる情と思い入れから鑑みて、その折の彼の心情はまさに痛切きわまりないものであったろう。
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