一葉恋慕
弱い私と強い一葉
「いや…わかりました」と一言云ったあと私は立ち上がって一葉の目をじっとのぞきこんだ。そしてそこに宿る一人ぼっちの寂しさと悲しさを正しく理解する。人に理解されず、のみならず自分にさえ拒否されるという辛さは、つとにこの私に於いて顕著なことだったからだ。前記したことだが、私にとってどれほど無法で、一方的な迫害と生活妨害を被った結果だとしても、一度ホームレスや車上生活者に落ちてしまえば世間は誰も相手にしないし、十把一絡げでプータローとしか見ない。更にこちらは眼前の一葉とはまったく異なるが、斯く不本意で不如意をきわめる境遇に落ちてしまうと、私は自律心や克己心というものを、すなわちそこから抜け出すための気概となるものをほとんど失くしてしまう。自暴自棄になって大量の喫煙や無為徒食等の悪癖に悉くはまってしまうのだ。そしてその挙句こんどは自分で自分を蔑み突き放してしまうこととなる。畢竟他人からも自分からも蔑まれ虐げられる存在となってしまうのだが、しかし思うにこれほどみじめでなさけないなものはない。この弾劾心に充ちた、無慈悲な(あるいは立派な?)世間やいま1人の私への抵抗など私にはもうとっくにできなくなっていたが、しかしこの一葉は違っていた。世に人に「抗うのだ」といま先この耳ではっきりと聞いたばかりだ。しかしではなぜ、彼女はいま斯くもこのように、自他に負け続けるなさけない私風情同様に、強くうっ屈し悲惨なのか。それは云わずもがな、世間にあがらうとしておきながらその実その世間におもねり、助けを求めるがごとく人の妾になろうとしているからだった。彼女の小説「闇夜」の主人公お蘭様が‘仇’波崎におもねって、その女になるがごときもの、耐えられるレベルを超えていた。それゆえ自分で自分を許せず怒りに沈み、うっ屈して、それをはからずも私にぶつけて来たのである。