阿漕の浦奇談
義清に合掌礼拝する中宮璋子
「何を云う。いつもいつも身分違いを口にして逃げてばかり!すでに真を語り合った互いの身ではないか!?その折り始め、普段からおまえの内実の真摯さを一番知っているのがこのまろじゃ。僧正僧都など知らぬ!宮中の者どもがこのまろを、不貞の君とか云って責めた折りに、‘この世の業、男の業を一身に受けたお方である。見目よくお生まれになったのは罪か’と、たったひとりで、敢然とまろをかばってくれたのがおまえだった。その男気を、誠を、いつの世もまろは決して忘れぬ。この眼前の花散りに等しい、むなしい世の姿である、一時の夢、栄華であると…それに拘泥することは愚かしいと、そう教えてくれたのもおまえではないか。それならば義清、おまえこそがまろの僧正です。できるものならこのまま身も心もおまえに託したい。それが叶わず、おまえが出家して僧侶となるのなら、いつの世もその一番弟子でありたい。そう思えばこそ、まろの身をも欲しがったそなたと、阿漕の裏をともにしたのですよ」と云っては義清が形に逃げることを許さない。この日を置けば最早会うことは出来ないとでもするかのように、控えの間の耳もあらばこそ必死の迫りようである。いまはすでに老女房の、主(あるじ)璋子に生涯を尽くした堀河も、そのような主人への愛しさに思わず目元を袂で隠す。しかしまさにこの時「宮様!」と咳払いもせずに控えの間より女房が声を上げた。かかる非礼を怪しんで目もとを拭いつつ堀河が急ぎ駆け寄る。「何事じゃ」と襖を開けて問えば「院渡らせられます」との御注進。堀河は璋子に目を遣って「例の、得子様立后のことでございましょう。宮様、ここは急ぎ…」と早口で上奏し且つ女房どもへなるべく院を引き留めるようにと指示をする。是非もなく璋子は先ほど認めた唐紙を文袋に入れて御座(みくら)より降り来たり、御(おん)自ら義清に手渡した。「義清、おまえの精進と菩薩請願成就を願う。おまえの出家が能因のそればかりではないことを知っている。‘数奇者め‘と云うたはまろの戯言、悲しみゆえの愚痴じゃ。まろを引導したいと、おまえはあの折り確かにそう云うた。おのれの生き方以て真を世に示したいとも。その菩薩請願成就を信じ、願えばこその、これは心付けじゃ。そしてまろの形見じゃ」と真摯に告げてさらに「まろはただに桜花であった。色衰えて人の愛でざればもはや存(ながら)うことも難しい。いまはせめて、後の世において、おまえとまた会いたいものと…そう告げるばかりじゃ。さあ、もう行きなさい、義清…いや、法師様!」と感極まったように云って、もったいなくも義清に合掌拝礼するのだった。余りのことに義清が返礼しようとするが「義清殿、院の御目に止まっては、今はただに…」と堀河がその背を押す。人が噂する阿漕の浦とも思える現場を院に見られることはやはりはばかられた。院の側の性の乱脈は一切問われず、一世一代の「聖俗合体(注:これには意味がある。のちほど詳述する。著者より)」と璋子が期した逢瀬だったとしても、それは絶対に、且つ永遠に認められることはないからだ。義清は文袋を押しいただいて懸命のひとことを云い残した。「いつの世も決してあなたを忘れません。宮様、いや、璋子様!…おさらばでおじゃりまする!」北面の武士として最後の義清の姿。散る花の下御庭を駆け抜けて行った。