希望の夢路
僕は家の鍵を開け、中へと入った。
「懐かしい…」
彼女がそう呟くから、随分会っていなかったんだなと実感する。
それだけ長く、彼女と離れていたんだな。彼女と離れて一人でいる辛さを、僕は初めて知った。
こんなにも辛いだなんて、想像もしなかった。やはり僕には、君がいなければならないんだよ、心愛ちゃん。
僕は、彼女の靴を脱がした。
「ありがとうございます…」
「やめろよ」
「えっ?」
彼女が驚いて僕を見た。
「やめろ、そうやって敬語使うの。それと博人さんと呼ぶのはやめろ。前みたいに、ひろくんって呼んでくれ」
「でも」
「呼ばないと許さない…」
僕は彼女に顔を近づけた。
でも、彼女には見えていない。
僕が顔を近づけていることさえ、彼女はわからない。
「…っ、んっ!」
彼女の体がぴくりと跳ねた。
逃げようとする彼女を、優しく僕の胸に閉じ込める。
「ひろ、くん…?いま、なにを…」
「わからなかった?」
「そ、その…」
彼女は、僕の胸から顔を離して僕を見た。
おかしいな。しっかりと、君の唇に僕の唇を重ねたはずなのに。
「ひろくん、私に…」
「わかった?」
「き、す…」
「うん、したよ」
彼女はゆっくりと自分の唇に手を当てた。
「…男でも、できたのか?」
「えっ?」
「良い匂いする。香水?それに…そんなに唇をぷるぷるに潤わせて」
「そんな人、いない」
「じゃあどうして?」
「それは…」
「それは?」
彼女の手を握りしめた僕に、彼女が言った。
「遥香さんが…もしかしたら、今日ひろくんに誘われるかもしれないよって」
「だから?」
「だから…その、久しぶりに会えるし…」
「おめかし、してくれたんだ。嬉しいな」
僕はふっ、と笑った。
「さ、入ろう。リビング行こう」
僕は彼女をゆっくりと立たせて、彼女のペースで歩き出した。
彼女の左手は僕に握られているけれど、右手は空いている。
気づくかな。気づいてくれるかな?
彼女の右手は、壁を伝っている。
壁を伝って、少しずつ下に降りていく小さな手。
「えっ、なに、これ?…あれ?」
彼女が、早速気づいてくれた。
壁の下部に取り付けていた何かを、
彼女は気づいた。
「ねえ、ひろくん、これって…」
彼女は僕の方を見た。
「なんだと思う?」
「ひろくん!これってまさか…」
僕は彼女に笑顔を向けた。
でも、この僕の笑顔は彼女には見えないんだ。そう、見えないんだ…。

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