希望の夢路

濃青の海

銀色の巨大サークルの部屋を出て左の方へ歩いていくと、
別の絵画が展示されている部屋があった。
その部屋の中に入ってすぐの壁に掛けてある絵画に、僕は釘付けになった。
それは『海』というタイトルで、濃い青をした海の絵だった。
額縁の中の絵は全体的に暗めにまとめられており、
灰色に染まる曇天とのコントラストが絶妙で、まるで本物の海を見ているかのようだった。
「すごい…!まるで、本物の海を見てるみたい」
「うん、そうだね。目の前に海が出現したような感じ」
僕は額縁の中の絵を見た。
目の前に海の映像が突如出現するかのような錯覚に陥る。

「すごいね、この絵。真っ白な白波が勢いよく砂浜に打ち寄せるのが、目に見えるようだね」
「確かに。静止画を見ているだけなのに、何かこう、躍動力、見たいなものを感じる」
僕は絵を見ながら納得するように頷いた。
「今にも白波が目の前に迫ってくるような躍動力も感じるけど、何より海の生命力を感じる」
海の生命力、か。確かにそうだな。
目の前の動き出しそうで動き出すことの決してない海を、僕はもう一度じっくりと眺めた。
「この絵、なんとなく記憶の中の海と重なるの」
彼女はそう言いながら、静止する海を見て言った。
「記憶の中の海?」
僕は首を傾げた。
「うん。小さいころからよく見てた、あの海」
「あの海って、どこの海?」
「うーん、どこだっけ…」
目の前の絵画を見ながら考えるものの、彼女はそれがどこなのか、
なかなか思い出せないようだ。
「どこかで見たような…」
彼女はまた、考え込んでしまった。
一旦考え込んでしまうと、ある程度の答えが出るまではー
いや、納得する答えが見つかるまでは自分の世界から出てこられない彼女。
参ったな。早く、こっちの世界に戻ってきて欲しいんだけどな。
でも、考え込んでいる君もとても可愛いよ、心愛ちゃん。
「どこかで、うーん…」

―なんて、僕が考えているとは知らないんだろうな、きっと。
君は今、考えごとに夢中だもんね。僕の考えていることなんて、おかまいなしに。

「あ!」
彼女が、いつもは出さない大きな声を出したので、僕は驚いた。
幸いにもここには僕と彼女の二人きり。
―そう、二人きり。
二人きりだというのに、恐らく何も意識をしていないであろう彼女。
何と色気のないー

「ねえ、ひろくん!私、思い出した!」
彼女は僕を見て、僕の服の袖を引っ張った。
「思い出した?どこ?」
「小樽」
「小樽?ああ、あの海か…」
「うん。小樽の海」
彼女は目を細めて笑った。
色気はないけど、可愛いから良しとしよう。
「厳密に言えば、銭函だけど」
「うん、まあそうだけど…。でも、小樽の海で良いの!小樽の海は小樽の海!」
「うん、そういうことにしておこうか」
僕は笑った。
「小樽の海に酷似してる、この絵」
記憶を辿っていきついたのが小樽の海、ということらしい。
「海って、天候に左右されるよね。
晴天だったら、日差しを浴びて宝石のように綺麗な水色が輝く。
曇天の時は空が灰色に染まり、寒色系の濃い青へと変貌する。
濃い青に染まった海は、うねった白波を上げながら砂浜へと打ち寄せる。
寄せては返す白波は勢いを増す。白波の勢いは、息を呑むものがある。
そんな情景が思い浮かぶのだ。」

―ん?何かが変だ。まず、途中から朗読口調になっている。
謎の朗読タイムが始まった。一体、どういうことだ?

僕が驚いて目を丸くしていると、それに気づいた彼女が困ったように笑った。
「ごめん。つい言葉が溢れ出ちゃって、気付いたらこうなってた」
「小説の一節に出てきそうな言葉だな」
「そうかな?」
「うん。この絵を描いた画家ってすごいよな。
こんな躍動する海を描けるなんて本当に、素晴らしいとしか言いようがない」
うん、と彼女は小さく呟いた。
僕と彼女は、しばしその絵の前に立ち尽くした。

ふと隣にいる彼女を見ると、彼女は『海』を穴が開くほどにじっと見つめていた。
この素晴らしい絵を忘れぬよう、しっかりと胸に焼き付けているのだろう。

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