クワンティエンの夢(阿漕の浦奇談の続き)

白河大特待生、梅子の詰問

「ねえ、雲水さん。行運流水はいいけどさ、あなたさっき亜希子に…こちらのお美人さんに、なんて云ったの?‘非顕教の純蜜の趣はなはだ強し’なんてさ。彼女が密教の強者とでも云うの?密教どころか彼女、宗教なんてなんにもやってないよ」亜希子の強引さに超フラストしながらも聞くべきところはしっかりと聞き取っていた梅子だった。またさすがに白河大特待生らしく、頭の良さと知識の豊富さはさすがで、非顕教という言葉が密教を意味することまで心得ていた。すればさきほどの僧から亜希子への託宣が、どこか意味深であることを鋭く嗅ぎ取っていたのである。どうやら一番の排斥者とも見えた梅子が、この僧もどき且つプータローもどき男の中に潜むものを、一番に感じ取っていたようだ。いや正確には二番か、知識などではなく亜希子が直感で先に‘何かを’感じ取っている。
梅子の指摘にいまさらのようにみんなが僧に注目する。はて、もしかして端倪すべかざる御仁…?などと、さきほど吹き出しておきながら改めて注目したわけだ。鳥羽がたたらを踏まされた格好である。
梅子の突然の質問に、また一同のシリアスな注目に一瞬サンドイッチを喉につまらせたが、それを持参した水筒の水で何とか飲み込んで僧が口を開く。乞食と云われようがまた吹き出されようが、おもねるような、愛嬌を保ったままの表情を崩さずに正直なところを開陳する。「さあ、それです。それが…わからんのです」仏教の密儀でも述べるかと思いきや正直なのはいいが、無知蒙昧の一言に一同が爆笑する。おそらくたまたま行き合った昼食中の一行から一膳でも得ようとして、覚えていた難解な密教の一語なりを披露したのに違いない、などと皆が思うにいたる。しかしこんどばかりはさすがに僧も顔を赤くして、心外なる胸の内を述べようとするが、あいにくその為のボキャブラリに不足していた。「た、たまたま通りかかって…こちらのお方(亜希子)の見たこともないような、う、美しいお顔に、その、見とれてしまい…茫然自失した途端にですな…」などと云いつくろうが皆の目にはやはり珍妙としか写らない。必死の真摯さだけは伝わって来るがもはや(男への歓待は)これまでと一致したようである。しかしこのときまるで男の窮状を救うかのように、男とはまったく別格の、別人然とした、泰然悠然なる人格が表に現れ出たようだ。目に、声音に、途端に力がこもる。
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